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華桜藍の激情  作者: AF
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二〇一三年 四




 圭は遠慮なくクッキーを口にした。躊躇(ちゅうちょ)もない。どこで何を食べてどう死んでも圭は圭なのである。


「貴方たちのほうは、どうやって計画を()ぎつけたわけ?」


 (あい)を待ってもきりがないので、この際、広渡(こうと)に聞けるだけのことは聞いておくことにした。


 広渡の話によると、そもそも計画を察知したのは藍なのだという。ネットワーク上で見られる奇妙な求人情報を集めると、それがすべて一つのグループ会社に属していた。奇妙な、とは、運送業なのに普通免許さえあればよかったり、十八歳以上はともかく上限なしだったり、男性限定はまだしも疾患の有無を問わなかったりする点である。

 その上、二十歳以上三十歳未満、普通免許あり、健康体の男性が不採用になる一方で、四十代後半、免許の有無も怪しい、天涯孤独の疾病(しっぺい)持ちが採用されている。


「そんなのが続いたから、ウェブでもおかしな噂が常識になってる。あんたらの会社に採用されるには、とりあえず身内がいないことにしとかなきゃいけない。運送業は特に危ないから、会社は疾患の有無も免許の虚実も問わず、死んでもいい人間を採用してるんだってね。だが現実に運送会社が事故や事件に関わったって情報は一つもないんだな」


 そのグループの親玉が、圭の上司というわけだ。


 圭はからのカップをテーブルに置いた。


 コーヒーが足りない。早くも袋の半分のクッキーをむさぼっている。


「そんなことで?」


 広渡は微笑んだ。物柔らかに。


「こっちも同じだよ。手に入るありとあらゆる情報を検討した。新興企業の潰しもやってるだろう、あんたらのとこは? ちっちゃい企業の頭が死んだって話題は絶えた月がなかったな。

 検索エンジンはアホになったまま復旧しもしない。電力と水道、ガス、食料はしっかり保全してくれてる大企業が、ウェブ以外のメディアは無視し続ける。犯罪は減らないのに貨幣経済は一応保たれて。企業だけじゃなく自治組織の頭まで、その死因をまともな医者が《魔物》だと診断した記録はない」


 広渡がカップを傾けるさまに、圭は羨望のまなざしを注いだ。


「誰かが故意に、惨状を維持してるってことになった」


 カップの傾斜角度を見ると、広渡はコーヒーを飲み終えたようだ。

 おかわりが貰えそうである。


「それで、どうやってオフィスを特定できたの?」

「あんたらの頭に心当たりのある奴がいたんだよ」


 立ち上がり、歩いてきて、広渡はクッキーを(くわ)えた。圭は広渡の一挙一動を目で追ったが、圭の願いは目線では伝わらなかったようだ。広渡はクッキーだけ口に入れて、席に戻ってしまった。


 やむなく、話の続きを求める。


「誰?」

「それは企業秘密、ってわけでもないんだけど、本人が入手経路を教えてくれないんだな」


 圭は顔をしかめた。仲間ではないのだろうか?


「元官僚なんだよ。口が堅くてね」


 行政に(たずさ)わる地位にいた者なら、上司の周辺部に顔が()いても不思議ではない。


 圭は眉間の皺を深めた。今の不機嫌は決してコーヒーが追加されないせいではない、と思っていた。


 広渡の視線を追って壁の時計を見る。ついでに腕時計も確かめる。十一時を少し過ぎている。


「その(あと)も、よくは知らないな。でも藍ちゃんはその官僚を全面的に信頼してるからね。あんたの職場を特定して、経路を割り出して、(せい)を派遣した。タイミングはギリってとこかな。クビになったんだよね?」

「三日ほど音信不通になったのよ」

「見捨てられたわけだ」


 圭の訂正を、広渡はすげなく却下した。

 その顔に似合わない柔和な声音で続ける。


「あんたらの頭は、情報の漏洩には無頓着みたいだな。人類抹殺なんて大それた企画実行するくせに、メディアの不具合以上の情報の保護をしない。計画の主旨だけなら聞いたことのある奴は意外といるよ? ほとんどは信じてないみたいだけど」

「茶化されて終わるから放っておくのよ。だから嘘だと思うでしょう?」


 圭はなげやりに返答した。広渡に指摘を受けるまでもなかった。ネットでの噂の混沌ぶりは、圭自身、よく観察していた。


 その中で、事実に即し、かつ証拠もあると言えそうな情報は、せいぜい会社の惨状維持くらいのものだった。人類抹殺計画の名がもれたのは、大方、社員かどこかからだろうが、ネットに何か書きこむ(やから)は誰も、真剣に取り合ってなどいなかった。

 内容が詳細に及べば及ぶほど、噂に尾鰭(おひれ)がついたものと見なして人は茶化したがる。計画について情報が追加され、一般の目に触れるたびに、人々はより信用しなくなった。たまにはかなり核心をついた情報も混じっていたのに。本当に茶化しただけの情報も混じると、輪をかけて嘘らしくなった噂の原型など儚い。


 圭は計画の中枢にいて、上司とは衛星通信か固定電話で連絡を取っていた。関係する情報はネットワークには流れない。コード37564、人類抹殺計画は、一般の人々に現実味を伴って伝わるはずがなかったのだ。


「人類を抹殺する人間は考えることが違うね」


 (あざけ)るでも(ののし)るでも、感服するでもない。無関心ゆえの誠実さで、広渡は呟いた。


 圭は無言でいた。


 広渡も、唯一のメディアであるネットに参加する不特定多数も、こうして日常を過ごしているだけであの上司に頼っている。

 食料、水道、電気、ガス。生活の根幹を支配したために、この列島には無二の絶対者がいる。


 上司が念を入れているのは、新興企業よりも自治組織の破壊だ。各地に発生する団体が、政治の上で力を持ちすぎることを拒んでいる。

 だがそれも、そろそろ限界。

 上司の死角で大きくなった組織が存在する。

 ネットを介さない地続きの縁が、有機的に働き始めているのだ。


「これ以上の順延は不可能だわ。今計画を阻止すれば、二度と実行には至らないでしょうね」


 広渡の横目が圭を見た。


「断言するのには、理由がありそうだね」

「そうよ」


 間を置かず肯定する。

 そうしておきながら、圭は一拍、言うのをためらった。


「《見えない魔物》は、二〇〇八年に消滅している」


 圭が算出した結果が、それである。


 病の衰退後、五年。


 今年、二〇一三年まで。

 五年間、上司は荒廃を維持したのだ。






 《見えない魔物》はその渦中、謎の伝染病あるいは感染症と言われ続けたが、原因となる細菌やウィルスが見つかったことはない。人だけでなく、鳥獣、虫、植物、大気からも、これと特定できる原因は発見されなかった。

 だから、あの結果を症状と言うのは厳密ではない。あれは言わば、ただ、突然死という現象だったのだ。


 年齢、性別、健康状態、居住地域の寒暖、疎密に関わらず、ある日突然、誰かが死ぬ。統計上の人口動態の推移は劇的だった。国内で見ても世界的に見ても、全地域が同じ割合で死者数を増やした。


 一貫しているのは、その()()だけである。老齢人口が多い地域では老人が多く逝き、青年、壮年層が多い地域ではその層が多く倒れた。それは別に、新生児や少年層が免れたことを意味しない。

 国内最初の症例は二十歳の男性と言われているが、ほとんど同時に全世界で発生している。老齢層で同様の例があっても見過ごされていた可能性は高いと圭は思う。


 あれが感染症とか、伝染病と言われていたのは、死亡者のごく一部が生前、死の直前に《罹患した》と自己申告したからだ。申告者の一部は確かにその後、それらしき最期を迎えたが、そうでない者もいたという。いつ、どこで隣人が、あるいは自身が事切れるともしれない状況だ。そういう意味では、一種の精神疾患だとすら言えそうである。


 あれは本当に、無作為な、ただ人口を減らすだけの機能のように見えた。統計上の数字には、毎年、同じ割合で人が減っていることだけが顕著だった。

 まるで神が天寿を振り分け直したかのように。

 寿命と健康状態の相関を切り離したように。


 《見えない魔物》が続いていれば、そもそも上司の計画など、必要なかったことだろう。


 しかし二〇〇八年を境に、人口動態は一変する。《魔物》に顕著な一定割合の減少が(とど)まり、《魔物》以前の状態――老齢人口が多く死亡し、一定数の新生児が誕生する――に急激に回帰する。

 人類滅亡を望むなら、もうあの《魔物》には頼めない。


 一昨日までの圭の上司が本懐を遂げるなら、青年、壮年人口がまだ少ない、今しかないのだ。






 十二時になる前に、里実(りみ)が昼食の準備開始を告げにきた。広渡が腰を上げ、圭も食堂のテーブル拭きを任じられた。


 数十分後、食卓に五人分の食事が揃った。青は現れず、一人分はそのまま残された。春原(すのはら)の顔は微笑んでも青ざめて、里実が終始気遣わしげな表情をしており、広渡は平常どおり飄々(ひょうひょう)として、圭はとりあえず図々しくするだけであった。


 食後の片付けを広渡と済ませて、圭はまたもや保健室の窓辺にいた。自分でいれたコーヒーを机に置きっぱなしにし、とうとう室内を振り返った。


 広渡がソファに座っている。


「あの子を救出しに行かないの?」


 圭は落ち着かなかった。焦燥(しょうそう)は空腹によるものでもカルシウム不足でもおそらくない。他人の目が常にあるのに慣れないのだ。


「全員揃わないうちは無理だよ」


 口をつぐむ。青を探しに行こうかとも思ったが、それは食後すぐに里実が申し出ていた。


 腕を組んで、圭は窓枠に寄りかかった。


「いつ揃うのよ? 勿論、藍さんは含まないわよね」

「あ、そう、含まない、残りの全員だよ。好戦的だね、統計局は」

「名前を聞いて連れて行ったのよ? 銃を撃つのも素早かった。安全だとは思えないわよ。あたしじゃなく貴方たちの敵じゃないの?」

「わざわざ誘拐するってことは、殺すこと以外に目的があるんだろう」

「ずいぶん冷静ね」

「俺が騒いでも始まらないよ」


 圭はふとコーヒーに気づき、手に取って飲みこんだ。いささか冷めすぎた液体は、喉の通りが悪かった。


「心配?」


 広渡が聞く。

 圭はカップを置き、肩ごしに窓の外を(かえり)みた。


「何かしていないと落ち着かないのよ」

「誘拐犯が会社の奴だと思ったのは、昨日の狙撃手に似てたから?」


 顔をしかめ、広渡を振り向く。


「違うわ。このご時世にあんなオープンカーテカテカにして走らせる誘拐犯なんて、九割はあの会社の関係者なのよ」

「なるほど。じゃ、藍ちゃんが連れられてった場所に心当たりは?」

「この近辺の系列会社……目的がわからないからはっきりしないわね。社屋なんかいくらでも転がってるけど。あたしが知ってるのは本社の社屋くらいよ、大半は所在地もわからない」

「じゃあ、やっぱり待つしかない。とりあえず東陸(とうろく)が戻るまで」

「トウロク?」


 うん、と広渡は頷いた。


 それが例の官僚なのだろうか?


 圭は長らく広渡を睨んでいた。すると突如、広渡が足元を見たまま微笑した。


「よく来る気になったね」


 圭は片眉を跳ね上げる。

 息を吐くように笑って、広渡は微笑した顔で圭を見た。


「どういう意味?」

「いや、迎えに行ったのが青だろう? 青一人で帰ってくるもんだと思ってた」


 意外に邪気のなさそうな笑顔だ。

 圭は表情を緩めた。


 人類抹殺計画の一責任者を、小学校低学年生が連行する、という状況を思い描く。


 確かに不自然そのものだ。通常なら小学生が殺されて終わりだろうが、それ以前に相手にされないかもしれない。

 しかし、青の話術も銃の腕前も、通常を逸脱している。


 圭は息を落とした。間違いなく自分は、会社に殺されると判断したのだ。


「あのときは、従ったほうが保身になると思ったのよ。人類の殺戮(さつりく)を阻止しようって組織が、こんな生ぬるいファミリーだとは思わないもの」

「返す言葉もないな」


 ところが今も自分は生きていて、対抗組織の頭領が誘拐されている。


 誘拐犯が会社の人間だとしたら、単純に目的は一つ。

 対抗組織の壊滅。圭を含む構成員全員の死だ。


 それにしても、誘拐という方法を取る必然性は乏しい。頭領を誘拐したからといって士気が()えるとは限らず、部下全員が助けに走るわけもない。人数を把握しきれていないというなら、何日間か観察した末、一斉に突撃、殲滅するのが効果的だ。


 だから、何かがおかしい。


 誘拐犯は()()()()()()のだ。


「あの子が貴方たちのリーダーだということは、公式なものなの?」


 ん、と言って、広渡は目を上げた。


「公式なものなんて、ここにはないよ。春原さんは先生で、近所づきあいもたまにして、俺は修理工ってことで仕事は受けてるけど。藍ちゃんが中心になるのは、この学校の中だけだ。リーダー、って呼ぶのも実際、里実だけだね」

「じゃあ、犯人の目的は別にあるのね」

「そういうことだろう」


 急に、別の声がした。


 圭と広渡は同時に戸口を見た。戸口を塞ぐには小柄な全身が、戸に片手を添えて立っていた。


「青」

「遅くなった」


 広渡に目もくれず、青は室内に踏み入った。まっすぐに圭を見()える。その眼は一見、冷徹だった。


「何発撃った?」

「……二発よ」

「そうか。足しておいてくれ」


 青は圭から目を逸らし、テーブルに厚手の巾着袋を下ろした。

 金属塊のこすれる音が、圭に中身を推察させた。


 弾丸だ。


「どこで――」

「昨日、射撃室から拝借した。弾は一種類だけだった」


 圭は口を閉じた。今日あの後にオフィスに戻ったのかと、一瞬、思ったのである。

 青は無謀ではなく、周到だ。


「昼飯は?」


 広渡が聞いた。


「食べた。どこまで話した?」

「ほとんど()()話だよ。これから本題。犯人の目的が何だって?」


 ベッドの柵に(もた)れかかり、青は腕を組む。


「目的はこの組織ではなく、姉貴個人にあるということだ」


 厳格に告げる青を見て、広渡は圭に視線を転じる。


「同じ意見?」


 圭は首を縦に振った。


 犯人は圭とは無関係のところで、華桜藍を探していたのだろう。




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