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華桜藍の激情  作者: AF
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二〇一三年 一




 二〇一三年、八月。

 海津(かいづ)(けい)は地下オフィスで書類をかきわけていた。


 (やと)い主である上司に連絡がつかなくなって三日目、通常回線も緊急連絡手段も不通が続いている。棚からバインダーを取って乱暴にめくり、日程、詳細、備考に素早く目を通した。何度読み返しても、ここ数日の音信不通に関する記述はない。


 バインダーに付したファイル名は『M』。二〇〇九年八月までの最重要企画、コード37564に関する書類を一括している。


 日程表に記された今月の予定は、簡潔なものだ。


「八月一日、準備完了。

 八月下旬、計画開始。」


 八月一日は三日前に過ぎた。


 空白の二十日間に圭の仕事はない。

 回線は繋がらない。


 圭は唾を呑み、バインダーを閉じた。


 社宅を離れてこの職場に泊まりこんで三ヶ月である。八月一日を待つまでもなく、七月三十一日、与えられた職務は全うした。その日、任務完了の報告をしたのが、上司と通信した最後だった。


 計画開始は、八月下旬。

 それは上司を除く人類の死を意味する。


 圭はカレンダーを確かめた。

 今日が八月四日。当初の予定での準備完了が八月一日。


 連絡がないということは、殺されるということだ。


 三日も無駄にしてしまった。圭は舌打ちした。逃げるならもっと早くに発つべきだったのだ。


 社宅には戻れない。仕事が泊まりがけだったため、幸い、生活用品は隣室にある。

 決意し、圭はバインダーを棚に戻した。

 潮時だ。


「おい」


 だしぬけに声がかかった。


 圭は咄嗟に戸口を振り向いた。右手を腰に滑らせる。

 声のした方向に、小さな人影があった。


 薄く開いたドアの隙間に、九、十歳ほどの少年が立っている。その小柄さを認めて、圭は若干緊張を()く。


 また施錠を怠ったようだ。人が入ってきたのは初めてのことだが。


 この建物の地上部は、ごく一般的なオフィスビルの外観をしている。周辺の住民が興味本位で入りこむことも可能なのだ。

 ゆっくりと、腰から手を外し、圭は姿勢を正した。ひとまず平和的説得から始めることにした。


「ここは個人所有のオフィスビルよ。関係者以外の立ち入りは禁止されているの。わかる、坊や?」


 少年はまっすぐ圭を向き、黒い眼で圭を射た。


「知っている」


 一瞬、圭は眉をひそめた。


 これは盗人(ぬすっと)ではない。


「君、どこから来たの?」

「それよりも、ここを出るのだろう。身の安全は保障する。来てもらえないか」

「何を」


 圭は少年の全身を見直した。

 身の丈よりも大きな服を着、キャップをやや深めに被っている。落ち着きはらった態度は、幼い外見に似合わない。


「人類殺害の計画なら知っている」


 ――麻のサマースーツの上着に、圭は手をかけた。


「見放されたのだろう、上役(うわやく)に。その身も既に安全ではないはずだ」


 腰にある硬い感触を、意識した。


「……どこから来たの、坊や」

「計画を阻止する目的がある。協力してくれないか」

悪戯(いたずら)も程々にしないと、本当に殺されるわよ」

「承知の上だ。信用しないというのなら、おれも無理()いはしない」


 沈黙が室内を固化させた。

 息を吸い、圭は目を細めた。


 ここで、少年一人を殺すのも無視するのも簡単だ。

 だが、それは賢い選択ではない。

 このオフィスを突きとめて侵入してきた。

 少年に付かなければ、彼の裏にある組織をも敵に回すことになるだろう。


 圭は覚悟した。

 いよいよ、会社を切り離すことを。


「いいわ。協力する」

「礼を言う」


 感情の起伏のない声が応じた。

 キャップを外して前髪を寄せ、少年は圭に手を差し出した。圭は廊下に警戒しつつ、そちらへと歩み寄る。今思えば、昨夜は施錠を確認したのではなかったか。圭以外には開けられない重厚なドアの。

 少年が単独とは、限らない。


「では、まず挨拶だ。おれは(せい)華桜(かおう)青。七歳だ」

「海津圭よ、何歳――七歳!?」


 握手した手を思わず離し、圭は改めて少年を見下ろした。


 この喋り方、この態度で。

 (さば)読むのも大概にしなさいよ、と、つい口走りそうになって、慌てて口を押さえた。


 青が微かに顔をしかめる。


「歳は言わなくていい。礼儀を失した、失礼した。とにかく、ここを出よう」


 言ってくるりと背を向ける。青の姿を追い、圭は仕事用の部屋を出た。周囲を見回したが、ほかに人影は見えなかった。

 廊下の途中、小柄な後ろ姿に聞いてみる。


「君、本当に七歳なの?」

「そうだ」

「本当の、本当に?」

「……そうだ」

「その歳で鯖読んでも、得なことないわよ?」

「知っている」


 わずらわしげに、というより苦々しげに、青は顔をわずかに(そむ)けた。


 青の隣を歩きつつ、圭はまだ口を開けていた。


 七歳といえば小学校に入りたての年齢だ。それも男児なんて、幼稚園児と大差ないはずだ。それなのにこの少年はどう見ても小学三、四年生の体型で、態度と口調から推察すれば、もう三、四歳は上と見ても自然なくらいなのだ。


 圭がしばらく離れている間に、俗世はこんなふうになっていたのだろうか。


 廊下の突き当たりのドアをくぐって、階段を上り、青は近隣のビル裏の路地へと進む。圭が存在こそ知っていたものの、今まで通ったこともなかった非常用の経路である。


 ここを利用したのだ。やはり只者ではない。

 少年も、少年の背後の組織も、あの計画を阻止すると言い出すだけの実力を備えている。


 年齢の数え方はともかく。圭は黙って青に従い、薄暗い路地を渡っていった。






 炎天下を三十分以上歩いた。路地が長く続くはずもなく、約二十分間は公道を堂々と通過している。オフィス街、商店街を抜け出てあとは住宅街へ向かうのみ、という地点で、青は割合大きな建物に足を踏み入れた。


 堂々と正面玄関に立つ小さな背中の上に、その建物の名が刻まれている。この地域の公民館だった。


 圭は拍子抜けし、(いぶか)った。まさか、特殊技能の持ち主が集まった市民団体が相手なのだろうか?

 それはそれで怖ろしい、と、大して危機感もなく思う。


 正直、久々に外を歩いて、疲れとともに逃げ出したい気分になっていた。だが、逃げ出しても会社のあの計画が中止になるわけではない。阻止をもくろむという集団の顔を眺めておいても損はない。その集団が、圭の命を救ってくれるかもしれないのだから。


 館内は冷房が効いていないようだったが、日陰なりに涼しかった。無人のロビーを横目に廊下を過ぎ、階段を上って、青は二階の一室のドアを叩いた。


 強く、一回。

 ドアを開く。


 十二畳ほどの広さの会議室で、三つの人影が縦長のテーブルを囲んでいた。


「連れてきた」


 青が告げると、三人が三人とも、お帰り、と言って迎える。

 その数少ない面々の外見と取り合わせに、圭は面食らった。


「ようこそいらしてくださいました」


 奥のホワイトボードの前にいた少女が、立ち上がって圭に対した。圭の背後で、青がドアを閉めている。


「こちらへどうぞ。まずは自己紹介と、いうことでよろしいでしょうかね」


 無邪気に言い、少女は柔らかく微笑んだ。その姿はセーラー服をまとってはいるが、背が低く肉付きが薄い。中学生なら入学したて、一番しっくりくる外見年齢は、十一、二歳、小学六年生。背中までの長い黒髪を、首の後ろで色気もなく結わえている。


 可愛いけど変な子、というのが、圭の第一印象だった。


「ええと、ではまず、わたしから。華桜(あい)と申します、何といったらよろしいですか、この団体の、代表です。いたらない点もあるかと思いますが、よろしくお願いいたします」


 末席に着く圭に向かって、少女は丁寧に頭を下げた。悪い予感が的中したことに圭は閉口した。


 代表者っぽいと思ったら、本当に代表者だったのだ。


 しかも、華桜ということは、今、後ろにいるこの少年の姉なのか。

 セーラー服はコスプレだろうか?


「ご丁寧にどうも。海津圭です。失礼だけど――年齢を伺っても?」


 藍は頭を上げ、目を瞬かせた。


「はい。十五歳です」

「……」


 予想と推測と現実の折り合いをつけるのに苦労した。


「そう。ありがとう」


 深く考えないことにして、圭は目を閉じた。藍の声が続いた。


「次は、そうですね、青はもう挨拶を済ませている? ようですから」


 青に聞き、頷きを確認し、そのまま言葉を繋いで、


里実(りみ)ちゃん。お願い」


 はい、という快活な声が響いた。


 起立した女児に、圭は目を向ける。地味な色の長袖のTシャツを着、茶色の柔らかそうな髪をポニーテールにしたこの子どもは、一体何歳だろうか。


(みさき)里実、九歳です」


 それだけ言って、里実は圭をあからさまに睨んだ。圭はこの女児が年齢どおりの外見であることに感心した。


「最後に」


 敵意むきだしの里実に見とれていると、最後の一人が声を発する。


「俺だね。水上(みなかみ)広渡(こうと)、二十七歳、この団体の最年長です」


 圭はようやく視線を転じ、その男性を認識した。


 この人も普通だ。年齢と外見が一致している。

 青と藍に毒されて、広渡の口調のわりに酷薄そうな顔立ちも、後ろで束ねられた長い茶髪も、ほとんど眼に入らなかった。


「それでは」


 藍が胸の前で手のひらを合わせる。真っ平らな胸である。


「早速なのですがね、人類の抹殺計画のことを、圭さんのほうから、詳しくお聞かせいただきたいのですけれど」


 抹殺計画、と聞いて、圭は自分の立場を思い出した。


 そうだった。この面々が計画を阻止しようとする組織の人間なのだ、ということは間違いがないようなのだ。


 しかし、こんな団体に加担して機密情報を漏らしても、リスクに見合うほどの利益があるだろうか?


 見たところ命の危険はない。その気になれば圭の腕でもこの場の全員を撃てるだろう。

 注意を要すると思われるのは、成人男性一人だけ。

 あとは子どもだ。多少見た目と実年齢の誤差が大きくても、身体的には大差のない子どもが三人。

 余程の動体視力の持ち主でもない限り、逃げ出せる。


 視線に気づいて、圭は計算を中断した。

 広渡が冷めた目つきながら、刺すように圭を観察していた。


 ここで逃げるのは、どうやら得策ではないらしい。

 しかたない。圭は観念して立ち上がった、その途端。

 圭の真横を風が突き抜けた。

 金属音。


「伏せて!」


 藍の指示に、即座に全員が従った。圭も頭を抱えてうずくまる。ガラスの穴とドアの窪み。被弾している。皆、床に這って頭を(かば)ったが、第二射は放たれなかった。


 蝉の鳴き声も止んだきり。閑寂の中、藍、広渡がわずかに首をもたげる。


「避難しましょう。なるべくこっち、壁側へ。伏せたまま、隣の部屋に」

「おいおい。ジープがやられたらやばいぞ」


 藍に促され、皆が動き始めた。圭は里実の後につき、青に後ろを固められ、いきおい壁際へ移動した。


「無差別じゃないですね」

「そうだね、狙撃している。少なければ一人。靴屋さんの上のマンションから」


 里実と藍の会話である。少なくとも状況判断の能力は、子どもとはいえ侮れない。


「この人を助けにきたんでしょうか?」


 振り返った里実の視線を、圭は受け止めた。


「まさか。殺すのが仕事でしょう」


 平然と答える。誰をと言うまでもなく、圭を。それが会社とあの計画のためだ。


 とうに標的になっていたのに違いない。何せ三日も無駄にしている。里実が顔をしかめたが、藍はおっとりと言った。


「そうなっては、結構、まずいかもしれませんね。とにかく、とりあえず隣に」


 部屋の奥にあったドアを開けて、五人は会議室を出た。広渡、藍、里実、圭、青の順だ。新しく入ったのは物置のような狭い部屋だった。書類棚と電話、電気ポットが据えられ、傍らに椅子が積み上げられている。


 一同が窓の下で息をついたとき、頭上のガラスに亀裂が入った。

 風を切る音がして、銃弾が椅子の脚にぶつかる。


「圭さん!」


 叫んだ藍が這ってきて圭の胸に触った。圭は目をむいた。


「失礼しますっ」


 あの、そんな接近は。


 何というか、要するに、他人に触られるのも久々なのだ。


 スーツの上から胸と腰をはたき、藍は圭の胸ポケットのボールペンを取る。後ろに放ると広渡が捕まえる。


「こりゃめっけもの」


 楽しそうに呟いて、瞬く間に広渡はペンを解体した。

 ひゅう、と、口笛を吹く。


「久しぶりの部品だ。手口は粗末なのにね」


 発信機が取りつけられていたのだ――藍はまだ圭の尻の辺りを撫でていた。


「これは拳銃ですよね?」

「え、ええ」

「一応確認させてください」


 圭の答えを待たず、ホルスターから銃を引き抜き、藍は後ろの広渡に手渡す。さらに念入りに服を撫で、最後に圭の顔を見上げる。


「ほかに何か思い当たるものは、お持ちでないですか?」


 真剣そのものの表情に、気圧(けお)されぎみに圭は頷いた。


「ええ」

「これはないみたいだよ。はい」


 広渡が軽い口調で言って、拳銃を藍に戻した。藍は受け取って圭に差し出す。


「ありがとうございました」


 会釈つき。

 い、いえ、と戸惑って返事をし、圭は不安に誘われた。


 ……返してくれるんだ?


 この団体は、非常に危ない。

 銃をホルスターに戻す。後ろで青が腰を浮かせていた。


「姉貴」

「うん」


 青が壁際をスライディングし、積み上がった椅子を引き倒した。ガラガラと椅子が散乱し、崩れきる前に、廊下側のドアを開け放って外へ駆け出る。ドアを掠めた銃弾が廊下で跳ねる。


 危なっかしさの限度を超えている。


「問題ない、姉貴、隣に戻れ!」

「了解」


 真っ先に里実が動いて、圭を越して先頭に回り、四つん這いで会議室に引き返した。藍に後押しされ、圭も続かざるをえない。

 戸口から駆け足でテーブルの下にもぐる。廊下側のドアの手前まで来ると、青が供給した椅子で頭と背中を防護して廊下に出た。

 この死地の滑稽さは何だ、と、圭は呆れつつ情けなく感じる。


 実際の窮地など、こんなものなのかもしれないが。

 緊張感はあっても、この子どもらには緊迫感がない。


 広渡が会議室のドアを閉めると、青も物置のドアを閉めていた。


「見たところジープは無事だ」


 青の報告に、広渡と藍が頷く。


「よしゃ」

「行きましょう」


 青が駆け出し、一行も走った。階段を駆け下り、ロビーから裏口へ向かった。銃撃はない。

 蝉の声が復活した裏庭を、青がすばやく見回して走り出る。広渡、里実がそれに続き、圭を追い立てて藍が最後尾だ。


 発車直前、左手から低いエンジン音が近づいてきた。藍が座席に飛び乗る瞬間、広渡がアクセルを踏みこんで車道に(おど)り出る。一瞬前にタイヤのあった地点で弾丸が跳躍した。

 銃声が轟く。車道の真ん中にバイクが一台停車し、それに跨る人間が両腕で銃を掲げている。


「バイクか。無茶するなあ」


 鷹揚(おうよう)な口ぶりで、広渡は乱暴にハンドルを切った。ジープは二度目の銃弾も()け、違法な速度で狭い道路を突き抜けていく。

 狙撃手は発進する動きを見せたが、ジープに追い(すが)りもせず、二つ目の角を曲がると見えなくなった。圭も何度か後ろを確認したが、追跡されている様子はなかった。


 それから一時間あまり、車は制限速度を超えて走り続けた。市街地を過ぎ、郊外へ出、まばらな木々の合間に別の住宅地が見え始めてしばし。


 五人は公立小学校の校庭に乗り入れた。




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