まずはお友達から7
伽羅色をした獣は犬の姿に良く似ているが、大きさや体格の違いからして狼といっても過言ではない。
元々野犬の話など聞いたことがないこの地で狼など物語でしか見たことのない生き物が、自身の目の前で背を向け、吸血鬼を威嚇している。異常という言葉では足りない、もはや災厄のような現状にただただ圧倒されて見つめることしかできなかった。
「よくもやってくれたな。捨て犬が」
自然界では目を逸らした時点で敗者となる。
両者とも逸らすことも瞬きすることもなくセシルの赤い瞳と狼の金色の瞳は互いを睨み続けながらセシルは血が流れる肩を手で抑えながら皮肉そうに笑みを浮かべそう吐き捨てた。
一度ならず二度までも優の危険を察知し、身を守ったこと。
呆然と立ち尽くす女と狼になんの共通点があるかは分からないものの、セシルにとっては最大の好機であった。
「まあいい…、その指輪を持つ女さえ手に入れられればな!」
吸血鬼は自身の精気を対価に治癒能力を高めることが出来る。何かが蒸発したような音を出しながらセシルの周囲が僅かに白く光れば瞬く間に血が止まり、裂けたロングコートと抑える手の間から見えていた肉が生々しい音を立てながら増殖していった。
肩が動くほど回復すれば力が入るかどうか数回手を握り確かめたと思いきや空に向かって高く飛び上がり、狼目掛けて襲いかかった。
人間の跳躍を遥かに超えたセシルの身体能力を諸共せず、狼は大きく吠えると街灯の光に牙を煌めかせながら迎え撃つかのように飛び込んだ
「ぐ、ゥ……だが、これでいい…」
セシルの鋭利な爪は狼の胸元を抉り、狼の強靭な牙はセシルの腹部に深く噛み付いた。
人知を超えた力を持っていたとしても、セシルの身体にはその力を完璧に使えるほどの体力など最初からありはしなかった。
セシルの腹を噛む牙は服など存在しないかのような勢いで柔らかい皮膚や肉に食い込み、噴き出した血は行き場所を選ばず痛みに耐える声を漏らしつつそう呟いたセシルの口からも溢れ出した。
宙でぶつかり合った両者だったが、セシルは狼に押し負けコンクリートの上に叩きつけられ、身体の上から狼が剥き出した牙から血を滴り落としながら見下ろしていた。
相手の思惑など御構い無しにトドメを刺そうとセシルの首元めがけて口を開いた時
「や、やめろ!」
と、後ろの方から声とともに何かが飛んで来るのを察知し、狼は反射的にセシルから離れて声のした方へ振り向いた。
そこには息を荒げて自身の肩にかけていたバッグを投げた優の姿があった。
優は自身の勇気が残っている間に行動を起こそうとすかさずセシルの方へ駆け寄り、身動き1つ動かさない男を庇うように地面に座り手で覆えばじっと狼を見つめた。
いくら人間ではなければ悪に手を染めているのかもしれないとはいえ、目の前で命が無残にも終わる事など、優には耐えられなかった。
「も、もうこの人は悪さしないよ…だから…、だめ!」
狼に人の言葉など通用せぬと分かっていても、感情は通じるだろうと思い、必死にそう口にすると戦闘態勢だった狼は小さくキュウンと鳴いて頭を振り、優たちに背を向けて胸から血を滴らせながら駆け去って行った。
「おい、大丈夫かあんた」
狼の姿が完全に消えるまでその切なそうな背中を少し心を痛めながら見つめ、消えたことを確認すると弱々しく息をするセシルに声をかけた。
傷だらけの人に無闇に触れると死に直結してしまうが、いずれにせよ応急手当てしなければこのまま出血多量で死んでしまう。
セシルのロングコートを問答無用で前だけ開いて自身が着ていたパーカーを脱ぐと、先程投げてセシルの足元に落ちたバッグからハンカチを取り出し傷口に当てがえば、体を刺激しないように出来る限り優しくゆっくりとパーカーをセシルの胴回りに通し、両方の袖を持って手が痛むほどキツく縛った。
「いま救急車を呼ぶから、もう少しだけ我慢してーー」
吸血鬼を治療してくれる病院などこの世にいるのだろうか、そんなことを頭の奥でぼんやり考えていた優だったが、苦悶の表情を浮かべるセシルにいてもたってもいられず、安心させようと血に濡れた手を掴んでは今にも意識を手放そうとしている虚ろな赤い瞳を見つめつつそう言うと先程落としてしまったスマホを拾おうと周囲を見渡しながら立ち上がろうとした瞬間、掴んでいた手が弱々しく握り返してきたのだ。
「、を…」
「な、なんて…?もう一度言って」
動きを止めてセシルを見つめていれば、血の泡を垂らしながらか細い声でそう言葉をこぼしたが、優は聞き取ることができず相手の口元まで耳を寄せた。