まずはお友達から10
「…ねえ、僕の血、ほんとに欲しい?」
人を散々小馬鹿にしながら笑っていたセシルに優は頬を膨らませて不服そうに眉を曲げていたが、見下されるのも癪に触り立ち上がりながらそう問いた
「なんだ、珍しい奴だな。自ら同胞となる道を選ぶのか」
「吸血鬼になるつもりはないよ。でも、君をこのまま野放しにはできない。」
目を開いて明らかに上機嫌な表情を浮かべたセシルを見ながらそう否定しつつも、優はある一つの決意をして言葉を続けた。吸血鬼という種族に誇りを持っているセシルはその言葉に少し表情を曇らせるも、優の真っ直ぐな瞳に口出しは無用と判断した。
「他の人を襲わないって誓うのなら、僕の血をあげる。」
偽善者のようなセリフは優にとって今出来る最善の共存法だった。お人好し、といえば聞こえがいいものの悪くいえば自己犠牲心の強い夢見事。セシルは歯が浮くようなその言葉に喉を鳴らした。
「俺が人間風情にそんな契約を交わすとでも?」
「君は誇り高き吸血鬼でしょ?だからこうして提案してるんだよ」
セシルは純血の吸血鬼を崇高なものだと自負している。条件を飲んだ場合、誇りにかけて誓いを破るなど到底考えられないし、低俗だと蔑む人間からの願いだとしても美食家のセシルが手をかけようとした自身の願いならば望みはあると賭けに出たのだ。
身長差により見下すように優を見つめるセシルだったが、自身の赤い瞳を前にしても逸らす事なく見つめ返す優に決して安易な考え言ったわけではないと判断し
「…いいだろう。しかしそれには条件がある」
セシルは優に見せるように手を伸ばし指を三本立てた。
「その1、俺に住居を提供する」
「……僕と同じ家でいいなら…」
優の稼ぎでは自宅以外の家賃を払うことは出来ない。苦渋の選択で僅かに目を揺らしながらそう言った優にセシルは玩具を手にした子供のような、純粋な破壊衝動に襲われながらも頬を緩ませた。
「その2、俺は鮮血しか食せぬ。その都度その場で俺に血を寄越せ」
「そ、外じゃなければ…」
赤ん坊のミルクのような冷凍保存や紛い物は許されないということらしい。思わず目を逸らしそうになるも自身の腕を握って必死に堪えつつせめてものと室内、最悪の場合は人目のつかないところでならばと言い足した。
「その3、俺を殺そうなどと愚かな事を目論まない」
先程までの条件と同じように淡々と話し、指を下ろして腕を組むセシルに、優は思わず目を疑った。
これまで吸血鬼は人間に対しあまり良い交流をしてこなかったのだろう。それはセシルの思考や対応で分かりきっている。けれどそれはきっと人間も同じで、命を弄び恐怖の対象だった吸血鬼はどんな時も極刑の対象だったのだろう。
言葉を交わせる知能を持ち合わせているのに互いが互いを啀み合い信用すらしない、何千年という長い歴史の中でさえ叶わなかった理想。
自身の考えの甘さに目のやり場に困り思わず目を伏せてしまうも、その条件を前に引くということは、セシルの出した条件が守れないと言っているのと同意語なのだ。
優が目を伏せ互いの視線が外れた時、セシルの脳内で過去の思い出が過ぎり所詮は異なる種族同士が共存など無理だという分かりきっていた諦めが蘇り、組んでいた腕を下ろして口をつぐんだままの優を見つめていたが、うつむき気味になっていた優の顔が上がり、再度見つめ合う目と目はお互いの姿が良く映っていた。
「…勿論。君に悲しい思いなんてさせないよ。」
開かれた口から放たれた言葉は、セシルにとって未だかつて言われたことのない、はじめての言葉だった。
「…その言葉、忘れるなよ。」
優の黒い瞳に映っている朝焼けとセシルの姿はその色取り取りな色彩に包まれ輝き、まるで宝石のようだった。
生半可な覚悟ではないという優の意志の強さがセシルの心にも伝わり、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「しかし、血の契りでもない貴様との関係は何になるのだ?お前は俺の従者か?」
今まで人間を吸血鬼にせず側に置くということが無かったセシルは二人の関係性を問いた。今まで吸血鬼として孤高に生きた者の良くも悪いところであろう。
人間であればすぐに出てくる単語に悩むセシルを見て小さく笑みをこぼした。
「んー…、友達かな」
「友達…?人間と俺が?」
案の定信じられないといった表情になったセシルだったが、優の提案にふむ、と漏らして考え出した。
「…面白い、貴様と友好関係を築けということだな」
人間と吸血鬼の共存。古の時代から成し遂げれなかったその大きな溝に今、二人は試みようとしていた。
優の案を承諾するセシルを見た優は満足げに微笑んでは血濡れていたはずのパーカーも陽の光により一切の汚れがない見慣れた服に元どおりになっていたため、袖を解いてはセシルに差し出しつつ
「僕の名前は矢野 優。そのコートボロボロだから、このパーカー着て。一緒に帰ろ」
優がそう言うと、セシルは差し出された服に一瞬躊躇いつつも受け取り、自身が羽織っているロングコートを脱ぎ捨て先程まで体を縛っていた裾に手を通した。
「我が名はセシル。これからの活躍を期待しているぞ、優。」
コンクリート上に散らばっていた血だったはずの灰が風で舞い上がり、思わず片目を瞑る優の視界には白髪が揺れ見せつけるかのように先の尖った耳と牙が映り、相手は吸血鬼、人間ではないのだと再確認させるようだった。
その堂々たる姿に思わず苦笑いを浮かべた。
「でも、良かった。君を通報せずに済んで」
風が止み両目を開けて駅へと歩き出した優の言葉に疑問を感じセシルが首を傾げれば、スマホ片手に優は振り向き笑みを浮かべた
「スマホ、壊れてた」
顔の近くで見せびらかすように手の中で揺れるスマホの画面にはヒビが入り、真っ暗だった。
その長方形の薄い物がなんの機能を果たしているのかセシルには分からなかったが、壊れたという良くはないセリフに比例した優の笑みにセシルは釣られてクスリと笑みをこぼし、歩き出した優の後をゆっくりと追いかけた。




