玄武の過去
夢に出た母様の言葉を思い出す。
『……あの人を、どうかよろしくね。翠玉。あの人は、強いように見えて、存外繊細な人だから』
……繊細って、つまりこういうことか。
「……どうしても、私を娘とは思いたくないわけですね」
流石に少し腹が立ったので、敢えて低い声で嫌みを口にすると、玄武は目に見えて狼狽えだした。
「ちが、違います! 朱雀、貴女は素晴らしい女性です! 貴女のような方に、父と呼ばれることができたら、どれ程幸福か! ……ただ」
「ただ?」
「……私は、その幸福を享受する資格は、ありません」
唇を噛み締めて俯く玄武を見ていると、何だかずっと憎しみを捨てられなかった自分が、馬鹿みたいに思えてくる。
私も馬鹿だが……父様も、馬鹿だ。
お互いに親子であることを信じて疑っていない状態なのに、一生このまま関係を否定し続けるつもりなのだろうか。
……けれど、その気持ちがわからないわけでもない。
「……分かりました。貴方がそう言い張るなら、叔父でも父でも、どちらでもいいです」
「っ」
「どっちにしても……大切な家族であることには変わりませんから」
繋いだ手をひいて、固まるその体を抱き締めた。
胸元に顔を埋めると、懐かしい、記憶の中の父の香りがした。
「……貴方が、生きていてよかった。少なくとも今の私は、心からそう思います。こうして、貴方を抱き締めることができてよかったと」
「……翠、玉……」
「いつか、覚悟ができた時は……今度は貴方から、抱き締めて下さい。ーー幼い日のあの日のように」
◆◆◆◆◆◆
ーーどうやって、後宮を後にしたのかよく覚えていない。
翠玉が体を離した途端、咄嗟に何か適当な挨拶をして、逃げるように出て来た気がするが、あの時彼女はどんな顔をしていたのだったろうか。
全てが、まるで夢の中にいるかのようで、脳の理解がついていかない。
「……大きく、なった」
腕の中にすっぽり収まる程小さくて細い翠玉の体は、それでもなお、記憶の中の彼女よりは、ずっと大きくて。
何故、私は彼女がここまで大きくなった過程を知らないのかと、声をあげて泣きたくなった。
翠玉。
私の宝石。
私の小さい、赤い小鳥。
『いつか玄武に選ばれる』という一族からの期待を、ただ無感情に受け止めるだけの無機質だった私の世界に、鮮やかな彩りを与えてくれた最愛の女性、紅玉。
彼女が遺してくれた、もう一つの私の宝物。
「……翠玉に、ちゃんと親子の名乗りができたのか」
執務室に入るなり、書類に視線を落としたまま尋ねてきた青龍王を睨みつける。
……いつの間に、翠玉などと呼ぶようになったか。
胸を過ぎる別種の苛立ちは、口にする権利もないことは分かっていたので、黙って飲み込んだ。
「父だなぞと、言えるはずがないでしょう。……あの娘が最も不幸だった時に傍にいれなかった男が、どの面を下げて、今更あの娘の父親ぶれるのですか」
「……それは、そなたのせいではないだろう」
「ええ、貴方のせいです! 貴方と先王のせいで……私は妻の死も、あの娘の不幸も知らないままだった!」
鳥人族の妻と一緒になる為、一族を捨てた。
私は当時は、あくまで「玄武候補」でしか過ぎなかったし、「玄武」なんて立場は、なりたい奴にくれてやればよいと思っていた。
定住場所を持たずに、妻と二人で、国中を転々とする日々。
だけど、幸い私は生活に必要な金を稼ぐ為に十分な能力はあったし、本来ならば使用人に傅かれて生活していた妻も、それでも私といられる方が幸福だと言ってくれた。
二人の懸念は、ただ一つだけ。
『いつか私は、貴方より早くおばあさんになってしまうのね……』
亀人は他種族よりも老化が遅く、寿命が長い。
今はまだ年相応の釣り合いだが、妻は私より先に老いていくことになるだろう。
『……きっと、おばあさんになった君も、素敵だよ。私は、どんな君でも一生愛し抜く自信があるよ。紅玉』
こんなにも愛しい存在を、いつか失うことを想像したら、胸が苦しくなる。けれど、それは何十年も先の話だ。
ーーその時は、そう思っていた。
彼女がしわくちゃなおばあさんになるまで、隣で生きてくれるのだと、信じて疑ってなかった。
やがて、娘が生まれ。ーー世界で一番大切な宝石が、二つに増えた。
背中が甲羅状になる亀人の遺伝子と、背中に羽が生える鳥人の遺伝子がそれぞれ打ち消し合い、鳥人なのに羽がない子どもだったが、私は鳥人の価値観を持つ妻ほどは気にしていなかった。
だって……こんなにも愛らしい娘だ。羽がないくらいで、人々が受け入れないはずがない。
それでももし娘を害そうとする輩がいたら、私が排除してやる。私には、その力があるのだから。
『翠玉。翠玉。私の、私達の、可愛い赤い小鳥。羽がなくてもお前は、私達の一番の宝物だよ』
幸せだった。
どうしようもなく、幸せだった。
紅玉と出会う前の人生が、もう思い出せないくらいだった、
ただただこの幸せが続くことだけを、祈っていたのに。
『ーー碧風様。王が代替わりする時が来ました。陛下は、貴方を次代の「玄武」に選定しました。どうか、次代の幼い王の為に、共に王宮に来て下さい』
ある日やって来た先王の使者が、全てを壊した。




