【羽無し】と母様
幸福な夢を見た。
夢の中で私は小さな子どもに戻っていて、優しい光りに包まれながら、大好きな母様に膝枕をしてもらい微睡んでいた。
『翠玉……私の可愛い、赤い小鳥』
母様は愛おしげに私をそう呼びながら、私の髪を指で梳いた。
ああ、なんて心地良いのだろう。
なんて、温かいのだろう。
ここには、私と母様以外誰もいない。
羽の無い私を蔑む目もなければ、私や母様に良からぬことを目論む怖い人もいない。
ただただ、安らぎだけが、ここにはあった。
……ああ、でも何故だろう。
何かを、忘れている気がする。
とても大切な、忘れてはいけない人達が、確かに存在していたはずなのに。
『……そろそろ、時間だわ』
『母様?』
不意に母様はそう言って、寝ころがる私を起こした。
『翠玉。ごめんなさい。早々に貴女を置いて逝ってしまって。本当は、もっと貴女の為に色々してあげたかったのに。……でもね、これだけは覚えていて。ーー私の人生は、本当に本当に、幸せだったわ』
『母様……? 何を言っているの?』
『あの人と出会い、愛し合って、貴女を生んで………最後は心から私を慕ってくれる妹に看取られた。こんな愛に満ちた人生を送れた私が、幸せじゃなかったわけないでしょう?』
『母様!』
『……あの人を、どうかよろしくね。翠玉。あの人は、強いように見えて、存外繊細な人だから。父親として過ごした時間がすごく短かったけど、貴女に対する愛情は本物だから、それは信じてあげて。……あと、難しいかもしれないけど。あの娘のことも、あまり憎まないであげて欲しいの』
母様の体に、震えながらしがみつく。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
これじゃあ、まるでーーこれでお別れみたいじゃないか。
せっかくまた、会えたのに。
ようやく再び、こうして抱き締められるのに。
『行かないで、母様……私、ずっとここにいるから……だから、母様もここにいて』
泣き出して懇願する私に母様は苦笑いして、その涙を拭った。
『駄目よ。【朱雀】……愛する人が、待っているのでしょう?』
『す、ざく……?』
『それに私は、どこにも行かないわ。……粉々に、砕け散ってしまっても、変わらずこれからもずっと貴女といる。貴女をずっと、見守っているわ』
母様の顔にぴきりとひびが入った。
ひびはどんどん大きくなり、あっという間に母様の体はひびだらけになった。
『かあさまっ!』
『……幸せにおなり。愛しい子』
砕け散る瞬間、母様の姿は、一瞬別の姿に変貌した。
『ーー……弟と、蒼燕をよろしくお願いします。貴女なら、きっと、どんな未来も乗り越えられるはずよ。……どうか、私のようにはならないで。朱雀』
『っ……藍華さん?』
瞬きをした途端、母様だった藍華さんの体は粉々に砕け散って、光りとなって私に降り注いだ。
あまりの眩しさに、思わず、目を瞑る。
「……あれ、私………」
そして次に目を開けた時、私は医務室のベッドの上にいた。
「ーーああ。よかった。朱雀。目を覚ましたな」
眠る私の傍らに寄り添い、夢の中の母様のように髪を梳いていた青龍王が、目を覚ました私の体を抱き締める。
「体調は、悪くないか? どこにも違和感はないか?」
「……はい、大丈夫です。え、と……私は……」
「そなたは、歌で傷ついた者を全て癒し終えた後、力の使いすぎで気を失ったんだ」
……何となく、それは覚えている。
あの時、私は、その場にいる全ての人を、愛することに決めて、力を使った。
それが、最も青龍王の為になると思ったから。
「っ王! 羽は、羽は治りましたか!? もう、痛みはありませんが」
使用した力の範囲があまりに大きかったので、王をちゃんと癒せたか確かめられていない。
欲張った結果、誰よりも癒したかったこの人の傷が、中途半端にしか癒えていなかったら、どうしよう。
王は私の言葉が予想外だったのか、少し唖然としたように目を見開いた後、小さく苦笑を漏らした。
「ああ。そなたのおかげで、すっかり良くなった。空も飛べる。……というか、あの時点で既に一度飛んでいる」
「……なら、よかったです」
ホッと安堵の息を吐いてから、根本的な疑問が胸に湧き上がってくる。
「……何故、私は今、無事に生きているのでしょう?」
力が枯渇寸前の体で、あれだけの力を行使したのだ。
運良く死は免れたとしても、重い後遺症は残ってなければおかしいはずなのに。
何故私は今、こうも元気なのだろう。
「ああ……これが、そなたを救った」
差し出されたのは、覚えがある小さな袋だった。
開けると、中には、ばらばらになった緑色の小さな欠片が入っていた。
「………これは、もしかして」
「ああ。……そなたが持っていた、碧甲石だ」
夢の中で、ひびが入ってばらばらに砕け散った母様を思い出す。ーーああ、あれはこういう意味だったのか。
「碧甲石は、またの名を『翠玉』。ーー亀人族が愛する者に贈る、守り石だ。持ち主に切実な死の危険が迫った時に、一度だけ身代わりになってくれる」
そうか……。これは元々は、母様が父様から贈られたものだったのか、と納得する。
母様は、父様との思い出を、娘である私に託したのだろう。
「……いつもは細工箱にいれていると聞いていたが、身につけていたのだな」
「枕元にないのが落ちつかなくて……侍女に後宮から持ってきてもらったのです。それでも、最初は身につけるつもりはなかったのですが……」
蒼燕が帰った後、侍女に命じて持って来てもらった細工箱を眺めているうちに、ふと思ったのだ。
腕には父様から贈られた、ブレスレットを……母様の名を冠した石を身につけている。
それなのに、母様から贈られた碧甲石を身につけなくても良いのだろうか、と。
父様から贈られた石だけを身につけるのは、何となく母様を蔑ろにしているような気がした。
……否、単純にどちらも身につけることで、父様と母様を再会させた気になりたかったのかもしれない。
私は、見張りの兵士に頼んで、ちょうどいい首から下げられる袋をもらい、そこに碧甲石を入れて眠ったのだった。
「ああ、やっぱり。……母様が、私を守ってくれたのですね」




