青龍王の涙
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「ーー【翠玉】!」
玄武が叫び、落下する朱雀の下に必死に駆けつけようとしている姿が見えた。
だけど、私は叫ぶことすらできなかった。
ーー失われて、しまう。
奇跡のように愛おしい、私の唯一が。
そう思った瞬間、剣で切りつけられた羽の痛みも、姉上の裏切りに対する感情も全て、忘れた。
代わりに湧き上がるのは、押し潰されそうな程の激しい恐怖だった。
愛される資格も、愛していると口にする資格も無いと思っていた。
彼女の過去の不幸の根本的な原因が、私にあることを知っていたから。
理解しながら、彼女を手放せず、心のどこかで愛されることを望んでしまう、自分自身の浅ましさを恥じていた。
だけど、そんな醜い私に、彼女は言ってくれた。
『青龍王、どうか……もっと私に縋って下さい』
『弱さを、見せて。痛みを……分けて。私の前では、王であることを忘れて、ただの貴方でいてください。もっともっと……喜びも悲しみも、何もかも、全てを二人で分かち合いましょう。そうすれば、きっと私は、憎しみを乗り越えられる気がします』
『貴方は、私。私は、貴方。……そんな風に思えれば、きっと』
憎い私をそれでもなおーー愛そうとしてくれたのに。
切られた羽を必死に動かす。
頼む。もう一度ーーもう一度だけでいいから、飛ばせてくれ。
それであの子が守れるなら、もう二度と、空など飛べなくても構わない。
だから、どうか……あの子が、落ちる前に……!
だけど、どれ程必死に動かそうとも、根本から切られ、皮一つで繋がっている羽では、飛べるはずがない。
朱雀の落下軌道は、風のせいで建物の方向に逸れていた。屋根が緩衝剤になり、命を落とすことは免れるかもしれないが、あくまでそれは希望的な観測だ。
王なんて大層な地位を与えられているのにーー私は彼女の為に、何もできない。彼女を救えない。
失わせるばかりで、愛する者一人を救えない地位に、一体何の価値があるのだろう。
「……翠、玉……」
先程玄武が口にしていた名前が、口から零れた。
ずっと知りたかった、彼女の本名。ーーだけど、こんな風な形で知りたいわけじゃなかった。
いつかその口から、「呼んで欲しい」と言われることを、夢見たのに。
『藍、清』
掠れた喉で呟いた声が、朱雀に届くはずがない。
だけどその瞬間、彼女が私の本当の名を、呼び返してくれた気がした。
そして、次の瞬間、柔らかな光が辺りを包み込んだ。
ーー光? 否、歌だ。
胸が潰れるほどに美しい歌声が、光りのように輝きながら、私達を包み込んでいる。
力の可視化なんていう、小手先の技ではない。
この光は、彼女の歌そのものであり、彼女の力そのものだ。
「……羽、が」
切られた痛みが消え、傷ついた羽が修復されていくのが分かった。
「ーーやめて、くれっ、朱雀! そんなことに、力を使わないでいい! 自分を守ることだけに使ってくれ!」
彼女が確かに私を愛してくれたのだと言う喜びは、すぐに失う恐怖に塗り替えられた。
羽なんて、いらない。
一生痛みが続いても、構わない。
そなたを……そなたを失わないで済むなら、私はもう何もいらないのに……!
力によって、落下速度が緩やかになり、光りの中を舞うように落ちていく朱雀の姿が、よけい恐怖を煽った。
息を飲む程美しい、神話のような光景。
存在しないはずの翼さえ、その背中に見える気がした。
まるで、彼女が、現世を捨て人ならざる存在へと変わっていっているかのように。
「……何故だ。何故なのだ……!」
傍らに倒れ込んでいた黒生が、悲痛な声をあげた。
「王は、分かる。白虎将軍も……同じ四神という意味で、理解できる。ーーだが、何故、我らまで癒すっ!? 王に刃を向けた、我らを、何故!?」
「………それはきっと、そなた達が、私の民だからだ」
私の言葉に、黒生は固まった。
「彼女は………自らの命を削ることになっても、全てを愛すると、決めたのだろう。私が慈しみ、守りたいと思ったものを全て」
黒生は私の言葉に唇を震わせ、その場に突っ伏して声をあげて泣き出した。
信念が砕けきった騎士の慟哭を背中で聞きながら、私は舞い降りてくる朱雀の元に飛んだ。
「……たとえ、どれ程そなたが私の為を想っていてくれても、そなたがいなければ何の意味もないのに」
ただでさえ、力が枯渇寸前だったのに。これ程の力を使って、彼女が無事だとはとても思えない。
唇を噛み締めながら、光りに包まれた彼女の体を静かに抱き締めた時、ぱきりと何かが割れた音がした。
抱き締めた衝撃で、ブレスレットが壊れてしまったのかと思ったが、そこには何も変化はなかった。
ハッとして、朱雀の首元に視線をやる。
首元に紐で繋がれている、この袋の中身は。
「ーー碧甲、石!」
『落とすのが怖いから、普段は細工箱にしまっているんです』
いつか、彼女はそう言っていたから、身につけているとは思わなかった。
だけど、この石が彼女の傍にあったのならば。
「朱雀……そなたは、助かる。助かる、ぞ……!」
力の使い過ぎで、意識を失ったその体を、強く強くかき抱く。
気がつけば頬には、熱いものが零れていて。
人は嬉しい時にも涙が零れ落ちることを、初めて体感した。
「ーー貴方達の勝ちね。藍清。朱雀」
姉上はそんな私達を、静かに凪いだ目で見下ろしていた。




