【羽無し】と白虎の待機
言われた言葉の意味を理解するのに、少し時間が掛かった。
「……まさか、背中を踏んで跳べと……?」
【嬢ちゃんが無理に跳ぶ必要はねぇよ。俺が、全身使って嬢ちゃんを跳ばしてやるって言ってんだ】
「っ……そんなこと、できません」
虎の姿をしていても、白虎は将軍だ。四神国の兵士を取りまとめる、重要な役職に就いている人だ。
そんな人を、跳躍機代わりに足蹴にして跳び上がるだなんて。許されるはずがない。
【……何故、できねぇんだよ。やっぱり俺が信用できねぇのか? 変な心配しなくても、落としたりしねぇよ。そもそも落としたとしても、守護の力がある嬢ちゃんなら問題ねぇだろうが】
「そんなこと、心配していません。………ただ、将軍の地位にある方を、人前で踏むなんて、無礼なんじゃないかと」
【はあ? 嬢ちゃんは、さっき、俺の背中の傷を見てただろ? 俺がどんな存在か察せない程、鈍いのか】
「それは……分かってますが」
【分かってんなら、変な遠慮はすんな。白虎だなんて大層な名をもらっちゃいるが、本来なら生まれてすぐ縊り殺されても不思議じゃねぇような奴なんだよ。俺は】
「でも……やはり、それとこれとは、話は別です」
白虎の背中にかつて翼があったとしても、彼が将軍である事実は変わらない。
王が選び、白虎もまた、その役職に相応しいだけの実績を今まで重ねてきた。
ただ選ばれただけの私なんかより、ずっと王の隣にいるに相応しい存在だ。
【………あー。糞。埒があかねぇ】
たしたしと不機嫌そうに尻尾を揺らしながら、白虎は玄武に歯を剥いた。
【おい、陰険玄武。てめえからも、嬢ちゃんに何か言ってやれよ。口下手な俺よりは、ましな説得ができんだろ】
「朱雀の優しさは素晴らしいと思いますが、こんな脳まで筋肉が詰まったような男に遠慮する必要はありません。貴女の体なんて、それこそ羽のように軽いんですから、どうぞ気にせず思いきり踏んでやって下さい。特に、顔面の辺りを中心に。何なら、目を狙っても構いません」
【本当、てめえはいちいち腹立たしい奴だな……】
全身の毛を逆立てて、唸る獣姿の白虎を前にしても、玄武はどこ吹く風だ。
片眉だけ器用に潜めながら、扇子を優雅にあおっている。
「朱雀。………そなたが白虎の名を辱めることを懸念しているなら、無用な心配だ。そもそも白虎が獣化できることを知っている者自体、私達を除けば、虎人族の長くらいしかいないのだから」
不意に発せられた青龍王の言葉に、白虎が呆れたように溜息を吐いた。
【なんだ。んなことを心配してたのかよ……。なら、安心しろ。そもそも俺の評判は良くない。背中のことが、知られてなくてもな。今さら辱められる名なんてねぇよ】
「………白虎」
【本当のことだろ。我が王。……俺は亀人族の名門出の玄武と違い、出自も怪しい、怪力だけが取り柄の先祖返りだ。少なくとも、表向きはな】
虎の姿になってなお、変わらない翡翠の瞳から注がれる視線が、真っ直ぐ私を射抜く。
【嬢ちゃん。ーー「王の為を思うなら」、俺を使って跳べ】
「っ」
【察する奴は察するだろうが、分からねぇ奴にとっちゃ、俺はただの白い虎だ。羽が無いことを補うのに、「守護の力で虎をも手名付けた」っつー印象付けは役に立つ。俺を利用しろ。嬢ちゃん。……我が王に、恥をかかせない為に】
その言葉を聞いた瞬間、覚悟は決まった。
白虎は、自分の名が辱められることも、朱雀として認めていない私に踏みつけられることも、気にしない。
矜持よりも、大事なものが彼にはあるのだ。
彼を、動かす理由はただ一つ。
全てはただ……王の為に。
「………お願い、します」
私が知る最大限の礼をとって、深々と頭を下げた。
「私を、助けて下さい」
翡翠の瞳が満足げに細まった。
しばらくして、式典が始まった。
玄武と王が壇上に上がり、集まった長達に何か話している間、私と白虎は黙って裾に控えていた。
【……緊張しているか。嬢ちゃん】
小声で尋ねられた白虎の言葉に、首を横に振った。
「いいえ。してません」
【何故? 紹介自体は舞の後だが、既にお前さんのことは、長達にある程度伝わっている。歓迎の視線は、一切期待できねぇぞ。嬢ちゃんは、俺よりはまだましかもしれねぇが、それでも紛う方なく「異質」な朱雀だ】
「それでも、ちゃんと……『朱雀』ですから」
異質であろうが、何であろうが、私は朱雀。青龍王が認めた、唯一の朱雀だ。
たとえ集まった長達が認めてくれなくても、青龍王が認めてくれればいい。
私の唯一の半身である、あの人さえ認めてくれれば。
舞の時間が近づくにつれ、段々と心が落ち着き、凪いでいくのを感じていた。
つい先刻までは、自分は朱雀なのだと必死に言い聞かせていたはずなのに、今は不思議と、それが当然のことのように思えた。
そう、当然なのだ。
だって私が朱雀で、あの人は、青龍なのだから。
「………私は、貴方………貴方は、私………」
まだ出番の前なのに、思わず小さく初代朱雀の歌の一節を口ずさんでいた。
いつかと同じ、初代朱雀が乗り移ったような感覚に、肌が粟立った。




