【羽無し】の恨み
「ーーこれで、私の幸せだった頃の思い出は、おしまいです」
たった三夜の邂逅。共に眠りにつくまでの、僅かな一時を、三度繰り返しただけ。
それだけで、母様との幸せな思い出は、すっかり語り尽くしてしまった。
けして、けして忘れないように。何度も何度も反芻し、心の支えにしてきた記憶なのに。いざ、音として舌に乗せて語ると、こんなにも短いだなんて。……正直、ショックだ。
青龍王にはおしまいだと言いながらも、本当は今もまだ、必死に母様との思い出を思い出そうとしている。
記憶の片隅に、まだ語っていない何かがあるのではないかと。他の人にとっては些細なことのようでも、私にとってはきらきらと輝く、宝石のような思い出があるのではないかと、必死に記憶の引き出しを漁る。
なのに………思い、出せない。
優しく笑う母の笑顔すらも、明瞭な輪郭をもたず、ぼやけている。
こんなにも………私の脳がぽんこつだったなんて、思わなかった。
「朱雀。ありがとう。……そなたが語る幸せな記憶は、聞いていて心地よかった。そなたの母君は、素晴らしい方だったのだな」
「ええ……とても」
母を褒められて、思わず口元がほころんだ。自然に笑うことにも、ようやく慣れてきた。
母様は、誰からも愛されるような人だった。
美しくて、舞も歌も、誰よりも上手で。
少女のように無邪気で純粋なのに、父がいなくても弱音一つ零さず、たくさんの愛情をもって、羽のない私を育てあげてくれた。
私が、世界で一番、大好きだった人。
「……この赤い髪と瞳は、母様とお揃いなんです。………叔母や、従姉妹とも、お揃いですが」
他に誇れるものが無い私の、ただ一つの自慢だ。父親から遺伝しなくて、本当によかったと思う。
胸を張る私に、青龍王は優しく微笑んで、そっと髪を撫でてくれた。
「そうか。この美しい紅の髪と瞳は、母君譲りか」
「………残念ながら、顔自体は母様ほど美しくはありませんが」
「何を馬鹿なことを。そなたの母君の容姿は知らぬが、そなたは美しいぞ。他の誰よりも、ずっと」
「……………ありがとうございます」
………これは、きっと朱雀補正だな。
思わず苦笑いが漏れたが、何とか小さくお礼の言葉を返した。
美しいと言われることなんて今までなかったから、嬉しいと言えば嬉しい。
「………もしそなたが嫌でなければ、だが」
少しの沈黙の後、青龍王は言いにくそうに切り出した。
「幸せではない、そなたの思い出話も、聞かせてくれないだろうか」
……何故、そんなことを語る必要があるのだろう。
そんな話を聞いても、何も面白いことなんてないのに。
「嫌なわけではありませんが、語るほどの思い出はありませんし………聞いても王の気分を悪くするだけです。やめておきましょう」
「だが……知りたい。否、知らねば、ならないと思ってる」
「それは、何故?」
「そなたの不幸も………元を正せば私の責任だからだ」
王の顔が、痛みに耐えるように歪む。……何だかもう、すっかり、この表情も見慣れたような気がする。
「私が未熟でなければ………そなたをもっと早く見つけ出すことができれば、そなたは辛い日々を送ることはなかったであろう」
「そんなことすらも……貴方は背負おうとするんですか」
目の前で、誰かが勝手に転んでも、この王は全て自分のせいにするのではないだろうか。自罰的にも程がある。
「青龍王。私の過去にまで、貴方が責任を感じる必要はありません。私の不幸は、私の物。ただでさえ、王として重荷を背負っているのに、これ以上よけいに背負う必要はありません」
「………しかし」
「もし、私に誰か恨むべき相手がいるとしても、それは青龍王ではありません。私が恨むべき相手は………私と、母様を捨てた父親、ただ一人です」
母様の笑顔以上に、霞んでおぼろげな父の面影を脳裏に描きながら、唇を噛んだ。
この人じゃ、ない。
私が憎むべきなのは、悲しい程に自罰的な、この優しい王ではない。
別れたのは、私が6つの誕生日を迎えるか迎えないかの時だ。
もう、抱き締められたぬくもりの記憶すら、残っていない。
『【 】』
ーー捨てた名を呼ぶ、優しい声だけが、唯一鮮明に記憶に残っている。
「………そんなことよりも、青龍王の幸せだった頃の記憶を話してはくれませんか。貴方が私を知りたいと思ってくれたように、私も貴方のことを知りたいのです」
胸に湧き上がる苦い感情を振り払うように、話題を変えた。
思い出したくもない記憶を語るより、王の幸せな思い出話を聞いて、幸せな気持ちを分かち合う方が、ずっと建設的だ。
しかし、王は私の言葉に、困ったように眉を寄せた。
「すまない。朱雀。せっかくのそなたの願いだが、私に自身の幸せな思い出は語れない」
「………どうしてですか」
「皆、忘れてしまった。………否。上書きされてしまったのだ」
上書き………?
意味が理解できずにいる私に、王は小さく笑った。
まるで自嘲しているかのような、悲しい笑い方だった。
「私が幸せだった頃の記憶は、全て他の王族と共にあった。だから、私と姉上、それと蒼燕を除く王族の皆が滅んだ時ーー全ての記憶は、血と怨嗟で上書きされてしまった」




