王と臣下
初めて彼女を見た時、渾沌の変幻した姿だと信じて疑わなかった。
武器も持たず、この危険な森で一人佇む彼女は、あまりにも非現実的でーーそして、美しかった。
四凶が、人に化けるという逸話は、聞いたことはない。だが、魔力の高い魔物は、しばしば人に……それも、心奪われる程魅惑的な女性に化けて、こちらの油断を誘おうとする。
四凶は、人の心を操るという。ならば、これもまた、渾沌の戦略の一つなのだろうと、自分に言い聞かせた。だが、美しい朱色の瞳が、全てを諦めたかのように空虚であることに気がついた瞬間、どうしようもなく胸が締めつけられた。
「……美しい、舞と歌だった」
鳥人の舞は、今まで数えきれない程見てきた。
だがあんな風に、涙を流す程心が震えたのは初めてだった。
単純な技術だけなら、今まで見た鳥人達の方が優れていたように思う。しかし、彼女の舞と歌には、技術を超越した何かがあった。
彼女の舞を見ている間、私は初代の青龍王と同一化したような錯覚に陥った。
彼女が初代朱雀の愛を声高らかに歌う度、たまらない愛おしさで胸がいっぱいになった。
まるで、体内に宿る初代青龍王の魂の欠片が、彼女を求めたかのように。
「……それに、この石は」
「ーーああ。我が王。ここにいらっしゃいましたか。随分探しましたよ」
不意に傍らの茂みが揺れ、枝木をかき分けるようにして、見知った顔が現れた。
「………玄武」
「全く、我が王と来たら、お人が悪い。いくら渾沌討伐の為とは言え、私のように非力な臣下をこのように危険な場所に一人放置していくのですから。必死に魔物に出会わないことを祈って、震えておりましたというのに」
「嘘をつけ。そなたが、そんな玉か。どうせそなたのことだから、充分な守護の呪いを施した上で、最も安全な道筋を占って来たのであろうに」
「残念ながら、自分と愛する者のことは占えません故、守護の呪いしか施せておりません。……『我が王にとって』安全な道筋は占いましたがね。まあ貴方様は大概規格外な方ですから、非力な私にとっては当てにはなりません。何せ『渾沌を警戒させたくない』と、私以外の供も連れずにこの森に来られる方ですから」
嘲るような酷薄な笑みを浮かべながら、玄武を口元に扇を当てた。
「まあ……案の定無駄な策だったようですけどね。渾沌の死骸が見当たら無いところからして。【禍は退けど、滅せず。代わりに思いがけぬ、玉を得る】ーー私の占い通りでしたね」
占いで予め予想はしていた結果とはいえ、改めて突きつけられた自らの不甲斐なさに唇を噛んだ。
「……嬉しそうだな。玄武。そんなに、私の無様な姿を見られて愉快か」
「ええ、愉快ですね。その為に、貴方様の供を熱望する白虎を丸め込んで、同行したようなものですから」
「相変わらずそなたは、私のことが嫌いだな」
私の言葉に、玄武はつと目を細める。
「ーーその方が、占いが当たって、よろしいでしょう?」
変わらない玄武の態度に、小さく溜息を吐いた。
「それより、代わりに得た宝はどのようなものでした? それなりに価値があるものでしたか?」
愉しげに私の手の中を覗き込んだ玄武だったが、それが碧甲石だと気がつくと、すぐに不快そうに顔を顰めた。
「……本当に、嫌みな程規格外な方ですね。私に対する当てつけかと思う程に。本来はこの南の地では採集できない碧甲石を、こんなに手に入れなさるだなんて」
「やはり……この森で碧甲石が取れることは、異常か」
「当たり前でしょう。碧甲石は、本来は北の地で採集されるもの。それなのに、北の地ですら滅多に採れない程の高純度の碧甲石が、こんなに沢山見つかるだなんて普通はあり得ません。誰かが北の地からここに持ち込んだか、もしくは何らかの特別な力が働いているかのどちらかですね。……流石は、初代の再来と呼ばれる青龍王。こんな意味の無い無駄な奇跡を、簡単に引き起こせるのですね」
「否。……これは私の奇跡ではない」
そして恐らく、玄武の占いの「玉」も、碧甲石を指しているわけではないだろう。
訝しげな玄武を無視して、目をつぶって、先程の少女に思いを馳せる。
舞と共になびく、炎のような紅の髪。
魂にまで響くような、美しい歌声。
空虚だった朱色の瞳は、未来への希望を見いだした途端、篝火が灯ったように輝きだして。
鳥人なのに翼を持たない、混血の少女。
最後のあの笑みは、感謝の意を示す為の作り笑いだった。
もし、心から彼女が笑ったら、一体どのような笑みを浮かべるのだろう。
あの美しい朱色の瞳は、一体どんな風に輝くのだろう。
どうしようもなく彼女に惹かれるのは、私に宿った初代の魂の欠片なのか、それとも私自身なのか。
「どうやら私は………私の朱雀を見つけたらしい」
彼女の姿が。声が。舞が。
頭から、離れない。
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「……あら、残念。日が暮れるまでに、間に合ってしまったのね。……茜水晶が見つからぬまま森を彷徨ううちに、凶暴な魔物に出会って、食い殺されることを望んでいたのに」




