【羽無し】の日常
「やはり、そなただ……。間違いない」
麗しい顔を蕩けんばかりに緩ませる、彼の人の腕の中で、私は固まっていた。
遠くから村の人々の阿鼻叫喚の声が聞こえてくるが、彼は全く動じる様子もなく、ただ愛おしげに私を見つめていた。
「ようやく見つけた。……私の、朱雀」
――いや。
恐らく、絶対間違いなく、人違いです。
かつて、この国は人族が支配し、異なる身体的特徴を持つ亜人種は虐げられていた。
体の強固なものは、肉体労働用奴隷として死ぬまで酷使され、美しい容姿のものは、愛玩用として気まぐれに弄ばれた。
そんな迫害の歴史に終止符を打ったのが、海を越えて異なる大陸から渡って来た龍人族の青年。
後に青龍王の名で謳われる彼は、虎人族の戦士と、亀人族の軍師を従え、人族と闘った。死闘の末に人族の王を打ち倒し、青龍王は亜人の国を興す。
そして王となった彼の傍らにはいつも、美しい声の鳥人族の少女がいた。
政の青龍。
武の白虎。
知の玄武。
芸の朱雀。
初代の彼らに倣ったその称号は、やがてこの「四神国」では特別な意味を持つようになる。
当代の龍人で最も優れたものが、「青龍」の名を冠し、政を司る王に。
当代の虎人で最も優れたものが、「白虎」の名を冠し、武を司る将軍に。
当代の亀人で最も優れたものが、「玄武」の名を冠し、知を司る宰相に。
そして、当代の鳥人で最も優れたものが、「朱雀」の名を冠して、王の伴侶となることが定められたのだ。
彼ら四人は「四神」と呼ばれ、国で最も尊い存在となった。
当然、他種族の亜人からは不満の声も上がった。しかし、選ばれたもの以外がその四つの地位に就任した時、必ず国は荒れた。
ある信心深い国民は言った。
「四神に選ばれたものには、初代の王達の魂の一部が宿っているのだ」と。
「受け継がれた初代の王達の魂が、国を安寧に導くのだ」と、彼らは信じた。
やがて四神の存在は国内で神格化され、種族の違いで生じる不平等さに言及するものも、表だってはいなくなった。
「――まあ、つまりは鳥人族に生まれたというだけで、普通は四神系以外の種族の人にはお貴族様扱いされているわけだけど」
……私のような、例外を除けば、だが。
「【羽無し】! なにさぼっているの! 庭の手入れはどうしたの!」
「……あ、すみません。さっき終わりました」
「だったら、ぼうっとしてないで早く次の仕事に取りかかりなさい!」
「はい。すぐ取りかかります」
尻尾の毛を逆立てて怒る、犬獣人の女中長に返事をし、そそくさと次の仕事に取りかかる。
ほんのちょっと考え事をしていただけなのに、相変わらず私にばかり当たりがきつい。……まあ、普段あれだけ鳥人族の我儘に振り回されているのだから、それも仕方ないとは思う。
「あ、【羽無し】ちょうどいい所に来たわね。この洗濯物代わりにして頂戴」
「厠掃除もね」
「……はい。喜んでさせていただきます」
そして女中長が、あからさまに私を「特別扱い」して下さるものだから、他の女中達からも仕事を押し付けられまくる。押し付けられまくる。
相変わらず私の周りは敵ばかりだ。……まあ、10の齢で母様が亡くなって以来、ずっとそうだったから、いい加減もう慣れたけれども。
「それにしても本当……みっともない姿よねえ。あんた。あの、野蛮な人族とぱっと見そっくりだし」
「一応同じ鳥人族であるのに、旦那様は勿論、奥様やお嬢様からも視界に入れられたくないくらい嫌われているんでしょう?」
「あら、旦那様達からだけでないわ。村中の一族全てに嫌われているって話よ」
だから、こんな風に嘲笑われても、私は今さら傷ついたりなんかしない。
向けられる悪意なんて、大したことはない。
「鳥人族の癖に、羽がないなんて……本当、一族の面汚しよね」
『――羽がなくても、お前は父様と母様にとっては、一番の宝物よ』
そう言って私を抱き締めてくれた母の愛を、私は今でもちゃんと覚えているから。
純粋な鳥人族は必ず、背中に一対の羽を背負って生まれる。
物心がついた頃には、両親から飛び方を教わり、7つを過ぎる頃には自分一人でも自在に空を翔けることができるようになるのだ。
鳥人族の舞が高く評価されるのは、この背中の羽があってこそだ。ほとんどの他種族には舞の形をなぞることはできても、空を翔けながら舞うことはできない。
同じく羽を持つ蝙蝠族は例外ではあるけれど、彼らは光の無い闇の中以外では、上手に舞うことができない。
唯一鳥人族と同じように舞うことができる種族は――王族である龍人族だけだ。
初代の青龍王と朱雀は、機会を見つけては、二人で空を翔けながら舞ったという。
青龍王の蒼と、朱雀の紅。
二つの色が空の舞台で、近づき、離れ、交わる様は神々しいまでに、美しくて。
国民の誰もが、その姿に見惚れたと伝えられている。
鳥人族にとって、自身の羽は誇りであり、一族の一員である証。
――だからこそ、生まれつき羽を持たずに生まれた私は、一族として認められていないのだ。
『ごめんね……【 】。ちゃんとした鳥人族の姿で、産んであげられなくて』
生前の母は、事あるごとに私にそう謝っていた。
裕福なこの村での生活を捨てて、16の齢で父と共に駆け落ちをした母。
しかし、母に村を捨てさせた父は、私が6歳になるかならないかの頃に、私と母を捨てて去って行った。
父の記憶はおぼろげだが、私が羽を受け継がなかったことから考えると、きっと他種族の男だったのだと思う。
『心配しないで。【 】。父様はね、けして母様とお前を捨てたわけじゃないのよ。大事な任務があって、今は一緒にいられないだけ。……だから、父様が帰ってくるのを、一緒に待ちましょう?』
母は鳥人としての芸の才能を生かし、旅芸人として生活を立てるようになった。
子の贔屓目なしに、母の舞と歌は超一級だったと思う。鳥人が旅芸人に身を落とす物珍しさもあり、母の芸は瞬く間に評判となった。
羽が無いので母のように宙を舞うことはできなかったが、私も母を真似て地の上で舞い、さえずるように歌ってみせた。
親子の息がぴったり合うとお客さんは喜んで、いつもよりたくさんのお金をくれた。
母と二人の旅路は、けして楽なものではなかった。怖い思いや辛い思いもたくさんして、母と二人で必死に逃げ出したこともあった。
それでも確かに――あの頃の私は幸せだった。私の隣にはいつだって母がいてくれたし、父がいない分も、母は目一杯私を愛して、大切にしてくれた。
母の愛に包まれていた幼い頃の私は、けして不幸な子どもではなかった。
――10歳の春。突然母が不治の病に蝕まれ、自らの妹に私を託して亡くなるまでは。
「……相変わらず、可愛げがないわね。これだけ言われても、表情一つ変えやしないんだから」
私が何も反応しないことに苛立った女中達は、忌々しげに舌打ちをした。
「羽と一緒に、感情まで母親の腹に落として来たのね」
「あんたもあんたなら、母親も母親よ。鳥人に生まれて何不自由無い生活を出来ていたのに、それを全て捨てて駆け落ちなんかしたんだから。本当、愚……」
「――紅粉が。足りないわ」
不意に背後から聞こえてきた、鼻にかかった妖艶な声が、母の悪口を言おうとした女中の声を遮った。
途端に女中達の顔から、血の気が引いた。
「化粧直しをしようと思ったら……もう、残りがほとんどないの。大切なお客様が、もうまもなくいらっしゃるのに……ねぇ?」
「っお、奥様……」
「誰……だったかしら? ……化粧道具の補充を、頼んでいたのは?」
母と……そして、私と同じ、燃えるような紅の髪を指先で弄びながら、叔母は嫣然と微笑んだ。その背中には、髪と同じ鮮やかな朱の翼が広がっている。
悠然と翼をはためかせ女中に近づく叔母の姿は、絵画の中から現れたかのように美しかったが、その目の奥は氷のように冷ややかだった。
「も、申し訳ありません……! 注文はしているのですが、何しろ大変貴重な品だけに、ただ今市場に在庫が……」
「ならば……何故、それを早く報告しないの」
「……ひっ……」
髪と同じように鮮やかな紅に染められた叔母の爪先が、脅える女中の唇に当てられ、そのまま食い込んだ。
「報告一つできず……醜い言葉しかさえずれない唇なぞ、ちぎり捨ててしまおうか? ……犬獣人のお前は、私達鳥人族のようには歌えやしないのだから、唇なぞ必要ないでしょう?」




