××食事に向いてない!!××
大正の文豪、芥川龍之介は、服用していた薬の幻覚により、食べ物が動く動物に見えたことがあったという。
食べ物が動く動物に見えたら、さぞ気持ち悪いことだろう。
おいしい食べ物が、嫌いになりそうだ。
僕は基本的に、食事が嫌いだ。
食べ物が動いていなくても、嫌いだ。
嫌いなので、少食であることが多い。
…珍しい?
…羨ましい?
とんでもない。
嫌いな理由は簡単で、胃腸が弱いからだ。
『腹八分目がちょうどいい』と昔からよく言われたものだが、僕の場合、ちょうどいいどころではなく、それを超えて食べると腹痛を催す。
満腹感は幸福感を得られるが、僕はそれを得たことがあまりない。
得られないものを追いかけても仕方ないので、それなら他の何かで幸福感を得てやろうと、食費を削ろうとしさえする。
つまり僕にとって食事は“楽しみ”ではなく、処理しなければならない、ひとつの“義務”に過ぎない。
しかし、一般的には食事は“楽しいもの”だ。
僕のそんな特殊事情等知る由もなく、今日は学校のクラスメイト達の、小さな食事会がある。
…はぁ。
僕はこの“食事会”というやつが一番苦手だ。
“食事”が嫌いな上に、“大勢”というシチュエーションも苦手分野だ。
四面楚歌。
万事休す。
しかし断る他の“それらしい理由”も無い僕は、その誘いを快く受けてしまったのだ。
そして今日は、何故か急に目に腫れ物が出来て、出来れば人に会いたくないというのに。
片目だけ“眼帯”を付ける。
しかしこの“眼帯”というもの、顔の一部が隠れるのだが、『顔が隠れている』ということが心の城壁を作り、少し安心感が出る。
マスクを付ける、あの感じだ。
…おっと、話が逸れた。
──────都内某ファミレス。
僕を含めた全員で6名という、こじんまりとした会は、既に始まっていた。
両親には『晩御飯はいらないよ!』と言ってあるのか、全員躊躇することなく夕食を食べている。
今日は何の会かハッキリと覚えていないが、確かクラスのアイドル『エリちゃん』のバイト先が決まったとかで、その祝賀会だ。
ちなみに、この中で僕の友人は、隣りに座っている『カザマ君』だけだ。
残りのメンバーは、普段ほとんど話したこともない人達だ。
というのも、アイドルの『エリちゃん』が好きなのはこの『カザマ君』であり、今日の祝賀会の主催者なのだ。
僕は数少ない友人の“付き添い”であり、“数合わせ”であり、“引き立て役”なのだ。
しかしそんな面倒なお役目は忘れた振りして、目の前の“食事”と“大勢のシチュエーション”という難敵に集中したい。
目の前に座っている、『エリちゃん』の友人『サトコちゃん』が僕と目が合う。
この会が始まってから今までずっと、目の前の席なのにこの『サトコちゃん』とは一言も話していない。
そしてずっと気になっていたと言わんばかりに、こちらを見ていた。
「山本君、それしか食べないの?」
キタっ!
この質問!
一般人には、僕が“おいしい料理を食べない”ことが不思議でならないだろう。
そしてちょっと小太りの『サトコちゃん』には、尚いっそう理解に苦しむことだろう。
ちなみに、『山本君』とは僕の本名だ。
「うん、食べないよ」
「へぇ。ダイエット?」
本当にその質問は、聞きたくて発した質問なのだろうか。
視線と口が、僕ではなく料理に移っている。
「こんなに細い山本が、ダイエットなわけないだろ」
隣りの席のカザマ君がツッコむ。
確かに、僕は細身だった。
「分からないでしょ!」
サトコちゃんは負けじと返す。
その隣りで、アイドルのエリちゃんはクスクスと笑う。
よかったな、カザマ君。
君のツッコミでエリちゃんは笑っているぞ。
「…ダイエットじゃないよ」
少し間を置いて、僕は静かに返した。
「へぇ。そうなんだー」
本当に解ったのか、解らないのか、どっちにも受け取れるような生返事をサトコちゃんがして、その会話は終了した。
こういう意味の無い会話は、特に疲れる。
終わりのない円周率を、一日中計算し続けることぐらいに疲れる。
“大勢の会”というものは、お互いの関係が希薄なので、こういう“くだらない会話”で終始することが多く、特に仲も深まらない。
さほど仲が良くもないサトコちゃんが、僕の少食について詳しくなったところで、何の得があるのだろうか…?
「ピザ頼むか?お前好きだろ?」
カザマ君が言う。
ピザは嫌いではないが、もう腹八分目でこれ以上は食べられない。
しかしエリちゃんの前で格好つけたいのか、『俺が奢ってやる』ばりの言い方で、“食事に困る友人を助ける英雄”を演じたいらしい。
「ピザひとつ、お願いします!」
応えに窮していると、カザマ君が勝手に店員にオーダーをした。
まだ要るとは言ってないだろ!
「カザマ君、優しい~」
はやし立てたのは、エリちゃんのさらに隣りに座っている『トモちゃん』だ。
本当に優しいと思っているのか?
これも意味のない盛り上げだ。
数分後、本当にやってきたピザを目の前に、愕然とする。
「無理しなくていいよ」
事の始終を静かに見ていたエリちゃんは、ピザを目の前にどうしていいか分からない僕に、小さく言う。
う…うむ。
今日一番、“意味のある会話”が出来た。
本当に優しいのは、このエリちゃんかもしれない。
可愛くて性格も良い。
…無敵だ。
「なんだ、要らないのか?」
せっかく注文してやったのに、という感じで言うカザマ君。
それに苦笑いで応える僕。
ちなみにカザマ君は、僕が少食であることはもちろん承知だ。
カザマ、後で覚えていろよ…!
「じゃあみんなで食べようよ」
サトコちゃんはそう言いながら、ピザに手を伸ばす。
それにつられて、皆も手を伸ばす。
場の雰囲気は、凍ること無く、やんわりとした空気のまま、保たれた。
サトコちゃんは、小皿に盛られたピザを、我先にと食べていた。
こういう人の方が、平均的に見たら、圧倒的に幸せかもしれない、と思う瞬間だ。
その後も“くだらない会話”が続き、2時間ほどでその会は終了した。
会費は1人2,000円だった。
意味のない2時間という時間を、2,000円という高校生にとってはとても安いとは言い難い金額を支払って、ついでに友人の恋の応援までして過ごした。
こういう会の後で、必ずやってくるのは、何で参加してしまったのだろうという“後悔の念”しかない。
いや、クラスの女子と仲良くなれたのはとても有意義だと思うかもしれない。
しかしエリちゃんは別として、全く興味のない異性と仲良くなったところで、嬉しいだろうか?
いや、それはちょっと言い過ぎだな…。
それにしても家で独りで小説を読んでいた方が、よっぽどおもしろかったに違いない。
皆で電車で帰る。
時間は既に20時を過ぎていた。
都内から離れたそれぞれの家に向かって、順に降りていく。
「山本、じゃあな」
「またな」
カザマ君が降りて、残るは僕とエリちゃんだけになった。
エリちゃんが1番都内から遠くに住んでおり、僕はその1つ手前の駅で降りる。
…2人きりになって、会話が途切れた。
エリちゃんが、性格が優しい子と知ってから変に意識しているせいか、何を話したらいいのか全く思い浮かばない。
………。
電車から見える、遠くの風景だけが虚しくフルスピードで通り過ぎる。
僕とエリちゃんは、静かにそれらを見つめる…。
エリちゃんを目の前に、深い沈黙が続くなら、さっきまでの“意味のない会話”でも続いた方がマシだと思えた。
なんということだ…!
こういう時、何を話したらいいのか?
脳みそフル回転で考える。
『ピザ、おいしかったね』
…いや、違う。おいしくなかった。
『カザマ君のこと、どう思う?』
…いやいや、急展開過ぎる。
『家まで送ろうか?』
それ!
…じゃないだろ!
エリちゃんの顔をまともに見られず、逸らした視線の先には、イヤフォンをつけてうたた寝をする若者が目に入る。
あいつ、気楽でいいな。
この一瞬でいいから、『あいつと代わりたい
!』と、少し思ってしまう。
「山本君、優しいね」
「…えっ?」
意外にも、エリちゃんから言葉が発せられて、本当にその言葉がエリちゃんから発せられたのか、一瞬疑ってしまった。
「そ…そうかな」
「私もご飯をそんなに食べられる方じゃないから」
にこやかにネガティブなことを話すエリちゃん。
意外と仲間は近くにいたらしい。
そういえば、エリちゃんもそんなに食べていないことが思い出された。
「でもあのピザ、おいしかったね」
「そう…だね」
ファミレスのピザなんて、たかが知れているが、でもエリちゃんが優しく会話を続けてくれるので、それが続くように同意した。
しかしエリちゃんとの会話はそれが最後で、僕の降車駅に着いてしまった。
「またね」
「うん。じゃあね」
食事が苦手。
クラスのアイドル、エリちゃんと僕との意外な共通点が見つかった。
今日の唯一の、そして最大の収穫だった。
しかしそれは、得られた成果よりも、受けたダメージの方が大きかった気がした。
…はぁ。
お腹痛くなってきた。