××買物に向いてない!!××
昭和の画家『山下清』は、日本のゴッホと評されるほど素晴らしい画家で、世間では“裸の大将”の愛称でよく知られていたが、清自身は言語障害であったことも有名である。
それは極端な例だが、表現が“上手いこと”と、“美しいこと”はどうやら別なようである。
ちなみに僕は言語障害でもなければ、コミュニケーション障害でもない。たぶん(自信なし)。
今、近所のコンビニの店内で、東京の美術館の『ゴッホ展』イベントの広告ポスターがちょうど目に入ったので、そんなことを考えていた。
僕は何かを買うために、このコンビニに入ったのだが、まだ何も手に取らずに、店内をウロウロしている。
もうお店に入ってから、15分以上も経つ。
だがしかし、無意味にウロウロしている。
なぜって?
…僕は畏れているのだ。
何をって?
はぁ…。
この苦しみは、僕だけなのか?
畏れているのは、『レジ』だ。
正確に言うと、『レジでの接客対応』だ。
この『レジ』では、表現の“上手さ”が、毎回試される。
何も知らない他人同士が、“初めまして”の自己紹介も略して、いきなり金銭の絡む売買取引の“やりとり”が始まるのである。
しかし大抵は決まりきった定型文の“やりとり”であり、小学生でも出来る簡単な取引なのだが、そこには他人に対する“愛想”や“言葉の選択”に歳相応の『暗黙の感覚』が求められる。
つまり、その表現が“上手い”ことにより、スムーズにレジ対応が出来るのだ。
僕は思春期で多感な若者なので、間違っても“愛想笑い”なんて出来ない。
しかしそうかといって、まるっきり無愛想に対応すると、店員さんに、
「ちぇっ!なんだよこの無愛想なヤツ!」
と言わんばかりの表情をされるのが、何とも居たたまれない。
僕としては、悪気は全くないのだ。
見ず知らずの店員さんに、意図せず不快な思いをさせてしまうのは、良心に傷がつく。
しかし、だからといって愛想良く、
「どうも!今日も良いスマイルですね!」
なんて絶対に言えない。
はぁ…。
どうしたらいいのだろうか。
そうこう考えて、ウロウロしていたら、さらに時間が経ってしまった。
世の中には、そういう若者にとって強い味方がいる。
それは『セルフレジ』というものである。
セルフレジとは、自分で商品をレジに通して、自分で精算するという“店員不要”のレジのことだ。
一見面倒のように見えるが、こういう“接客対応”の方が苦痛に感じる僕のような人種にとっては、この上ない便利アイテムだ。
もし今、セルフレジがあるなら、即活用するだろう。
しかしこのコンビニには、その心強い味方はないようだ。
孤立無援…。
このまま帰ろうか。
いや、愛用のボールペンのインクが切れてしまっていたことを、さっき奇跡的に思い出したので、これは今必ず新しいボールペンを買わなければいけない。
逆に、もしやボールペンだけ買うのは、反感を買うのではないだろうか。
「なんだよ!ボールペン1本の売上の為だけに、俺のハイレベルな接客をさせたのかよ!」
と思う“ビッチ系店員”も中にはいるだろう。
しかしよくレジを見たら、いまレジに立っている店員さんは、そんなことを全く思わなさそうな、とても大人しそうな女性店員さんだ。
おそらく僕と同い年ぐらいで、顔に多少幼さが残る。
しかも結構可愛いではないか。
…よし、あの子にレジをやってもらおう!
ススッ…と。
さり気なく、意を決してレジに並ぶ。
先に並んでいたお客達に対する、この子の対応はまさに神対応で、女神のような笑顔でそれは満ちていた。
老若男女問わず、笑顔を振りまいている。
それはたとえ“仕事”という義務的な感情から来る“愛想笑い”であっても、僕にとっては軽く100万ドル以上の価値がある。
…早く僕の番にならないか。
店員さんが“可愛い女子”というだけで、あれほど嫌だったレジが楽しみに変わるのは、きっと僕だけではあるまい。
やっと、僕の前に並んでいたおばさんのレジ対応が終わり、僕の番になった!
…よし!
行くぞっ!!
「1番入ってね!」
!!!???
…なん…だとっ!?
突然レジのカウンター内に入ってきた年配のオバサンの店員が、“1番入れ”という謎の合言葉で、女神の店員さんと入れ違いに交代してしまった!
指示された女神の店員さんは、そそくさとカウンター奥の事務所へ入っていってしまった。
な…なんということだ…!
そして入れ替わったオバサン店員は、早くレジに来いと言わんばかりにこちらを見ている。
いや、ちょっと待て。
…1番とは何なんだ!?
意味が全く分からない。
まさかこのコンビニは、数字の合言葉で作業を進める仕事場なのか?
そういえば、お客の前で『休憩』とか『トイレ』とか、店員同士が言い合うのは失礼に当たるとして、数字の合言葉でそれを表現することがあると、どこかで聞いたことがある。
まさにこのことだな、きっと。
では、あの子を取り戻すには、一体何番と言えばこのオバサン店員と入れ替わるんだ?
「お待ちのお客様どうぞ!」
オバサン店員は、まだ留まっている僕に痺れを切らして、催促した。
…くっ!
仕方ない。
後ろもつかえているので、素直に従った。
オバサン店員は、手慣れた処理で“レジ対応”をする。
このままでは、あと数秒でレジが終わってしまう。
その前に、あの女神の店員さんを取り戻さなければ、僕の苦労は水の泡だ。
とにかく、番号だ。
『1番』で後ろに下がったのだから、きっと1番に次ぐ番号を言えば戻ってくるだろう。
まるで軍隊だな!
では、一体何番だろう。
普通に考えれば『1番』の次は『2番』だが、そんなに単純だろうか。
そんなことを考えている間に、どんどんレジは処理されていく。
くそっ!
何番だ…!?
「124円になります」
オバサン店員のレジ処理がひと通り終わったようで、お金を催促された。
時間がないぞ!
今しか無い!
ええいっ!
儘よ!
「に…2番!」
「は?」
まさに「は?」という表情のオバサン店員。
理解するのに、数秒かかっている。
くそっ!
もしや2番ではなかったか!
「お煙草ですか?」
…煙草?
オバサン店員は、カウンターの後ろに置いてある煙草を指差している。
カウンターの後ろには、煙草が専用什器に入ってズラリと並んでいる。
そしてその銘柄1つひとつに、番号が振り分けられていて、『2番』の煙草もしっかりとある。
おい、僕はどう見ても未成年だろ!!
「未成年の方にはお売り出来ません」
そりゃそうだ。
煙草の番号のことではない。
言っている言葉は丁寧だが、まるで悪ガキを見る目で僕を見るオバサン店員。
全く通じていないようだ。
どうすれば…
別の言い方をすれば良いのか?
しかし、後ろで並んでいる他のお客からの「早くしろ」という無言のプレッシャーを感じ、他の手段を試すのは、断念せざるを得なかった。
素直にボールペンだけのお金を支払い、レジを後にする。
その時の僕の表情は、無愛想を通り越して、大分引きつっていたことだろう。
それに対して、半ば見下すようなオバサン店員の表情。
…くっ!
なんということだ…!!
「ありがとうございました。またお越し下さいませ」
二度と来るか!
…いや、あの子に会いにまた来るかも。
結局、女神の店員さんが、何番で復活したのかは不明のままだ。
オバサン店員は、最後まで言葉こそ丁寧だったが、死んだ目をしていた。
そしていつものように、腑に落ちない蟠りを胸に、店を去る。
…はぁ。
帰って寝よっと。