9 不協和音
息が切れる頃に、ちょうど見えてきた目的地。丘の上にたたずむ赤煉瓦の壁。
教会。
ヴェークとアムルトそしてたくさんの兄弟たちが育った場所。
父がいた場所。
思い出の中で美化されつつあったその場所は、現実には相当荒れ果てていた。
草木は茂り、門が半分覆われている。
あったはずの白いベンチはどこへやら。かわりに壊れきった荷車が放置されている。
遠目からでは分からなかったが、壁のあちらこちらの色が剥げ蔦が絡みついて、雰囲気はもう幽霊屋敷だ。
たった二年でここまで変わるものかと。
普段のヴェークであれば、ぽかんと口を開けて呆けていたに違いない。
だが今は。
「くそっあの・・・偽善者・・・!分からず屋!兄不幸者!・・・わざわざ危ないところに行こうとするなんて・・・頭おかしいんじゃないか!?」
見つからない言葉を探って当たり散らす。どれも名状できているようでいて、どの言葉も遠い違和感。
アムルトのことを分かっているようでいて、分からない屈辱感。上手く言えない後悔と、紛れもない敗北感。
全てがごちゃりと混ざり合い、自分自身でも驚くほどに感情が弾ける。
内の感情を爆発させるように教会の扉を開く。
みしりと嫌な音をさせながら大業に開放される。
内装に外ほどの変化は無い。しかし、埃は溜まり、いかにも廃屋らしい。二年前から誰も使っていなければ当たり前だろう。
ただ、近隣の村の子供が遊び場にでもしているのだろうか。新しい土が所々に零れ、あちらこちらに木の枝や石が転がっている。
「くそっ・・・・俺は・・・!」
肩で風を切るようにズンズンと歩を進める。
怒りを表現するようにわざとらしく足音を鳴らすが、目元に溜めていた涙がその振動で頬を伝った。
おかしい。
怒っていたはずなのに。
とんだ泣き虫だ。
弟の正義に触れて、自身の汚さに気づいて、それを弟のせいにしようとしたことが切れない刃のようにヴェークの心を抉った。
それに気づいていてもなお外に対する恐怖が先行し、弟を否定しようとする自分の心が、己を蔑む刃を折ろうとして感情が不協和音に満ちる。
礼拝堂の奥。
かつて暮らした生活空間は存外綺麗に残っていた。
その更に奥。
来客用とは名ばかりのソファひとつと大量の書棚が置かれた部屋。
父の部屋。
構造上一階はここが行き止まり。
まだ吐き出しきれない怒気と悲歎をソファを叩き付けぼろぼろと涙を流すことで発散させる。
「違うんだ・・・俺は、お前に・・・」
悲しみが勝る。
なぜあんな事を言ってしまったのか。
あいつは怒ったに違いない。俺に落胆したに違いない。弱けれど好かれる兄としてやってきたのだ。だが、今回で嫌われた。あいつは「せいせいしたよ」と旅に出てしまうだろう。
「違うんだ・・・俺は・・・お前の兄として・・・俺が、お前を・・・」
言い訳しか出てこない。
次第に声は小さくなり、同時に嗚咽だけが室内に籠もる。
弱い兄は心も弱いらしい。
取り戻せない時間を、ただただ悔やみ、自らを責め立てた。
日が落ちた頃には、睡魔がやってきて、抗うことなく意識を落とした。
ああ、あの夢だ。
いつかみた夢。
空が青くて、雲は無くて、音も無くて、かわりに
何かに貫かれた巨大な心臓が真っ赤に脈打つ
あの夢だ。