2 二人は星を見る
<第3層・第3都市、勇敢の国 ムート>2458年 南東の年
燭台に置かれた小さな光が部屋をほんのりとオレンジに染め、夜の訪れに備えている。
しかし、広い教会の室内全体を照らすには至らず、自然、部屋の隅には影が出来上がる。
幼いヴェークはこの影が嫌いだった。闇から何か得体の知れないものが近づいてくるようで、目が冴えてしまう。何より心寂しくなるのが、家族全員が寝静まってしまっていることだ。
加えて今日はその日だ。ごうんごうんという音が上空から落ちてきて眠りを妨げる。
自分を入れて計10人の兄弟に、父が一人。朝は全員で水を酌むことからはじまり、昼は裏の丘を駆け回り、夜はみんなで毛布の上。いわば孤児院のようなこの場所には誰一人として血の繋がった兄弟はいなかった。それでも兄弟が多いことは幸せだった。
「誰か・・・起きてる・・・?」
返事など期待せず囁いてみる。
影を見てしまわないように、毛布に包まりながらヴェークは隣を伺う。
一定のリズムで毛布が上下している。
残念ながらアムルトが起きる気配は無い。
今年で5つになるアムルトとヴェークは、同じ年この教会前に捨て置かれた。
ヴェークが2453年 北の年
アムルトが2453年 南東の年に教会へやってきた。
花のような形をしたこの世界は、『内円』、花で言えば柱頭や”やく”などで出来ている部分に、『外弁』、いわば花弁のような部分がくっついた状態で構成され、それが上から第1層、第2層・・・と続き、第7層まで存在する。そしてこの世界は約31536000秒で、歯車のように北→北東→南東→南西→北西へとぐるりと一周する。一周一年換算のため、ヴェークの方がアムルトより半年ほど兄と言うことになる。
”影が怖いから”という理由で兄が弟を起こせるわけもなく、ヴェークは枕に顔を伏せる。
なんだかみんなから見捨てられたような気分になって、すんすんと鼻をすする。
「ヴェーク、眠れないのか?」
優しい、暖かい声がしてヴェークは顔を上げる。
そこには大好きな父がいた。黒髪に黒目、無精ひげは無造作に剃り残され、お世辞にも清楚とは言えないその姿は、今のヴェークにとっては救世主にも見えた。
「・・・ん」
滲んだ涙を拭い、返事をする。
父は「そうか」と呟くと、少しの間黙考。
「ちょっと待ってろ」と言い残しまた暗闇に戻っていく。
ヴェークはこくりと頷くと少し不安な面持ちで、しかし大人しく待っていた。
少しして父が戻ってきた。
周りの兄弟達を起こさないよう配慮して、ちょいちょいと手招きをする。
「?」
身を起こし、呼ばれた通りについて行く。
軋む廊下を会話無く進み、父は音を立てないよう大きな扉を開いた。扉には神の使いがあしらわれたステンドグラスがはめ込まれており、日が差していれば美しいが夜中の蝋燭の火のもとで見ると少し不気味だ。
外に出る。
現在ムートの位置は南東。気候としては、南からの空気が入り込み日中は風が心地よく吹くのだが、なにぶん夜だ。寝間着一着では肌寒く感じる。
「ほら」
玄関口で取ってきたのか、だぶだぶのコートが頭からかけられる。父リーデンと同じ、干し草の匂いがした。
「裏に行こうか」
言いつつ歩き出す。
ヴェークは慌てて袖を通し、どう考えても大きすぎる服の裾を引き摺らないよう、捲し立てて父の後を追う。
背の高い父の一歩は大きい。
しかし足が悪いせいか速くはなく、すぐに隣に並ぶ。
「寒くないか?」
「うん」
沈黙が苦手なヴェークに気を使ってか、普段以上に口数が多い。
今日は何して遊んだのか。喧嘩はしなかったのか。料理の味はどうだったか。
沈黙を嫌うヴェークは、それに反して口下手で、身振り手振りでどうにか父に伝えようとする。
リーデンはそんなヴェークを急かすことなく、ゆっくりと相づちを打ち、「楽しかったろう」「それは大変だ」と静かに微笑む。
そうして歩んでいる内に小高い丘陵地に着く。家の真裏。すぐそこに屋根が見える。
父はそこに腰を下ろす。
ヴェークも真似て少し地面を見つめてから座り込んだ。そして空を仰ぐ。
「星、見えないね」
上空には星以前に、空が見えない。
見えるのは真っ黒の鉄の大地。第2層・第4都市、修道の国メディア。
それが今ヴェーク達のいる層、第3層の南東の上空に被っているのだ。
「そら、これ食うか?」
ヴェークが頭上を見ている内に父が何かを包みから出す。
干し芋だ。しかもしっかり焼き目をつけてある。
「いいの!?」
瞳を輝かせて、声を上げる。
「ああいいぞ。でも兄弟には内緒だ。全員に集られちゃ、芋がいくらあっても足りん」
そこで芋に伸ばした手が止まる。
「僕だけ食べるの?みんなは?」
そんな息子を見てリーデンは柔和な表情で答える。
「お前は優しい子だ。じゃあこうしよう。それを食べるのは内緒だ。でもその代わり明日みんなに優しくしてやるんだ」
まあ言わずもがなかな、とほくほくと笑う。
ヴェークは手に乗せられた銀包みの暖かさに感動しながら「うん!」と元気よく返事をし、へばり付いた包みを剥がす。
しっかりと神様への感謝の印を地面に向けて描いてからだ。
蜜がほどよく溢れ出し、黄金色の表面に光沢が出ている。端を摘み一口ずつちまちまと食べる。強い甘さが広がるがしつこくなく、独特の歯ごたえを堪能する内に完食。手についた白い粉を舐め、手をはらい、食前同様地面へ向けて印をきる。
父を見ると同じように食後の印を描いていた。
これはこの世界を支える神に感謝する印だと教わった。食前食後はもちろん、なにか有り難いことや悲しいことが起こったときにもこの印を描く。
「そら、そろそろだぞ」
父が空を指さす。
そこには未だ鉄の大地があったがしかし
「わあ・・・!」
今は第4都市、メディアが北西へと移動をしている最中だ。そして、それがムートの上を過ぎ去り、次の第3都市、砦の国フォウルトが流れてくるまでのその間。そこには空間が生まれる。
強い風が吹き抜け、長く伸びた前髪が視界の前で大きく揺れる。
手で押さえ、見澄ます。
広がる宙。無骨な大地の黒とは違い、飲み込まれてしまいそうな深さに、遠く輝く光。
次にムートが南西へ移動すれば、別段珍しくもない光景。南西、北西、北の三カ所はほとんど大地に空を遮られることはない。
だが、それでも今見ている光景が特別に思えたのは、鉄の大地が月を隠しているからだろう。
見えているのは本当の黒と星。
これほどまでに星空が美しいと思えたのは初めてだった。