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1 調和の世界

ヴェークは抜き身の剣を片手に木陰に回り込む。

身長の半分程度の剣にも関わらずやけに重く、気がつくと息が上がっている。

そんなに走ったのだろうかと視線を落とすと、泥に塗れたブーツが小刻みに震えていた。

酸欠ではない。恐怖だ。

脚とは対称的に利き手は握り拳を作ったまま固まっている。

背後には未だ気配。

肉食の生き物の生臭さ。それが漂ってくるようだ。


(呼吸・・呼吸はだめだ、息、止めないと・・・・)


止める。止める。止める。

苦しさは畏れで塞き止められ、苦痛を訴える心臓の音だけが耳に響いて不快だ。

背中の湿った木に服が張り付く。

だが、ヴェークの意識はその更に後ろ。樹木を挟んだ向こう側。

針葉樹が広がり太陽光が入らないこの場所には沼が広がり、奴が動くとその波紋がヴェークの足下まで届く。

べちゃべちゃ、と汚らしい音が、静けさの充満した森の中に響き渡る。

音が広がるたびに背筋が凍り、頬を虫に這われているような恐怖に脳まで麻痺する。

止める。止める。

頑なに呼吸を押しとどめる。

行きすぎた恐ろしさで突然脳が働き出す。


(次の木まで逃げるべきか!?いや・・・だが今見つかったら。囮役、囮・・・しないと、でも、あいつらは・・・たった2日前に出会っただけの奴が、俺を助けてくれるのか?作戦通り落ち合うのか?そういえば仲間達の気配がない・・・囮役をさせたまま奴らだけ逃げ延びるんじゃ・・・くそ、そういうことかよ!)


動き出したら止まらない。なんの論理性もない感情的な思考が怒りへと変わる。

畏れと怒気で涙が出そうになる。

手まで震えてきた。

そこに

べちゃっ

一際大きな音。


(近い・・・!?)


確認もせず木の裏から転がり出て逃げる準備をする。

振り返り、敵の位置を目視する。


「・・・なっ」


最悪だ。

敵はちょうどこの場から離れる寸前。獲物を追い損ね、立ち去る直前だった。

敵が振り返り馬鹿な獲物を見てにたりと笑う。

笑うとは言っても、奴らは常に口角が上がっている。黒塗りの身体、黒塗りの顔に、真っ白な口。形は人間に近いと言えなくもないが、全体的に間接がひとつ多く四肢が長い。それゆえか、直立の二足歩行はせず、四足で這いよってくる。


自分の失態を悔やむ間もなく前を向く。

少しの下り。沼地は抜けたようで、木の根が剥き出た山肌が続いている。鬱蒼としていて先が見えづらいが形振り構っていられない。

滑り、手をつき、転がりながら全力で駆け下りる。

それでも奴が早い。こういう獲物を追うに特化した生き物なのだろう。あっという間に距離を詰められる。

ヴェークは何度も振り返りながら脚を動かす。


(だめだ・・・追いつかれる・・・!)


なめらかすぎる関節の動きが迫ってくる。手足がばらばらの挙動。国にいる頃は見たことがない生物。

実際見ると、怖いと言うより気色が悪い。脚の一杯生えた虫を見た時のような気分になる。


(足、足の・・・脚力の補助魔法・・・!あれ使えば・・)


(くるぶし)から踵、踵から爪先に意識を流す。

大した力にはなり得ない。単に脚力を1.5倍程度にするだけ。8才頃の子供であれば9割が使える初級魔法。

(だが、無いよりは・・・!?)

魔法発現の瞬間。何かが足に絡みつく。

確認せずとも分かる。


「う・・ああ」


派手に転げて、腕に痛みが走る。

慌てて仰向けになるとそこには白い歯と異臭。


「くっ・・・こんの!」


剣があるのも忘れて、両腕でどうにか押しとどめようとする。

しかしぬるぬるした顔面は人間程度の力には後れを取らない。

加えて、脇腹に爪を立て、獲物を仕留めようとしてくる。


「があああ」


皮膚が裂け、肉が貫かれる感覚に怯え、涙が溢れ出る。

必死の抵抗むなしく、敵の余った腕が振りかぶられる。

走馬燈など見る間もなく惨殺される。怖くて、目を瞑ってしまおうとしたその時


ぼふん

と気の抜けた衝撃が伝わる。

同時に罵声。


「うああ馬鹿なのあんた!?急作り過ぎるでしょう!その魔術!」

「で、でも早く打たないと、ヴェークさんが」

「そういう意味じゃなくて!何で十数秒かけて練り上げた魔術がその程度になるのかっての!」

「お前ら、うるせえだろ!気づかれた!」

「そんなの魔法飛ばした時点で気づかれてるわよ!あとあんたもうるさい!」


高々知り合って2日。旅する仲間が奇襲に失敗していた。

だが


「何だよ・・・逃げてないじゃん・・・」


少しの安堵感と共に軽くなる身体。

精神云々と言うより、物理的に軽くなる。

どうやら標的を五月蠅い三人組に変えたようだ。手負いの獲物は後でも十分なのだろう。黒い敵はヒュウと小さく鳴くと、這いながら山肌を掻き分ける。小さすぎる目を煌々とぎらつかせながらまずは一人の男、ダスクに目標を定める。

低姿勢かつ素早い動きにダスクは翻弄される。棍をしっかり握りしめ牽制をしているが、引きながらの受けに回る。


「ダスクさん!しゃがめますか!」

「疑問調で命令すんじゃねえ!」


魔法使いの少女、アルデリアの言葉に対してダスクが連携をとる気配は無い。棍で爪をいなし、一歩引き、腕をしならせた薙ぎを両手で支えて受け止める。上手く立ち回り致命的な攻撃は回避しているが、相手が一手多い。ダスクにはいくつか裂傷が出来ている。

黒い敵がもう一撃加えようと体勢を整えた矢先、その半身に炎が降りかかる。


「シュケイルさん、も、森で炎は・・・!」

「五月蠅いわね!燃えるなら勝手に燃えなさいよ!あたしは逃げるから!」


文構成のよく分からない罵倒をしながらも、シュケイルは次への攻撃を準備しているのか、シルバーの腕輪のついた方の手に灰色の粉が俟っている。

アルデリアとシュケイルの二人は首輪と腕輪をしている。首輪と腕輪は対になっているようで細い糸で繋げられている。おそらく人間に備わった魔力を増長させる道具なのだろう。きっと灰色の粉もその一種だ。だが、ヴェークにはその仕組みに関する疑問を挟む余地はない。


(今なら背中から・・・!)


視線は敵にだけ。

剣はこの手に。

いくら剣術が苦手であろうと、背を向けた相手に遅れを取る事はない。

だが、慢心は消すべき。機会をうかがえ。

即席とはいえ仲間の登場で頭は冷静になる。


稲妻が走る。シュケイルの第二撃目だろう。

先程、炎系統の魔術を咎められての次撃だったようだが


(・・・これも事と次第によっては燃えるよな)


思うものの、余計なことは言わず敵にだけ集中する。


(腹・・・痛い)


しかしここで倒さねば痛いどころの騒ぎでは無い。


キィイイイイ


生物とは思えないほどの甲高い声を上げ、敵はよろめく。


(・・・ここだ・・・!)


大した戦術も、知略を巡らせた罠もないがやるしかない。

同じ魔術を展開。脚力を上げ、一足飛びで敵に肉薄する。

何とも容易に背中に刃が刺さる。

ぞぶり

と、肉と脂肪を抉った感触が手に伝わる。背部に骨は少ないようで、剣身五分目辺りまで黒い身体に埋まった。足蹴にして剣を抜き、もう一度刺す。心臓がどこにあるのかも分からず、どの程度の傷で仕留められるのかも分からない以上、ひたすら刺すしかない。


(さっきの一撃で相当手負いのはず・・・このまま・・・!)


ぎぃぃん

「ぐっ」


だが、敵の裏拳によって、この考えが甘すぎることが思い知らされる。

拳の勢いのまま吹き飛ばされた剣が空を斬る音を響かせながら地面に転がる。

そして黒いその生物は右腕を振り払った勢いのまま、容赦なく左手を振り抜く。


「っ!?」


あっと言う間もなく爪が迫る。

この爪が頭部を裂く未来が見えた。





「・・・・・?」


ところがそれはヴェークには届かなかった。それどころか、生物はどさりと重苦しい音を立てて崩れ落ちる。

目を見開いたまま固まっていたヴェークにも何が起こったのか理解できない。


突然訪れた静寂を、風が攫う。

結われた髪が小さく揺れ、敵の首を薙ぎ払った少女が腕を下ろす。

その手に握られたのは剣。魔術で作り上げたものなのだろう、瞬きをする内に灰色の粉へと変わり、光と共に霧散する。

棍を構えたままのダスク。手の中で魔術を持て余すシュケイル。

そして、倒れた敵とヴェークの間、白い血で汚れた手を握るアルデリア。その手が小さく震えている。

彼女はこちらを振り返る。


「無事・・・ですか?」


泣きそうな、困ったような笑顔で問われる。

生物を手にかけた感触が恐ろしいのか、ヴェークの生存を喜んでいるのか。

齢16、7の少女の複雑な心情が震える身体から伝えられる。


「・・・ごめん」


どう言って良いかも分からず、ヴェークは謝罪の言葉を述べた。


緊張しきっていた身体の力が抜け、間抜けなまでに尻餅をつく。アルデリア同じようにへたり込んでしまった。

そのままふっと溜まりきった息を吐き出す。

腕を支えに空を仰ぐと、木々の隙間から普段通り鉄の大地(・・・・)が見えた。

あまりにも巨大すぎるそれは、あまりにも見慣れすぎたものだ。

しかし、それは本来この位置には無いものだ。

円と調和の世界<アルモクライス>。

この世界はいくつかの層に分かれ、それぞれの層が寸分の狂いもなくある定期で回る。

だからあの鉄の大地が現在ヴェーク達の真上にあるはずが無いのだ。

ここ第3層よりひとつ上。第2層・第4都市、修道の国<メディア>は今、北西に向かって回転している時期である。


もう一度ため息をつく。


異常は約2週間前から。

調和の世界は今、停止してしまっている。







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