EpisodeW-1: 序章
まだ少し肌寒い、冬と春の中間のような時期。
まだ十代前半なのだろう、どこかあか抜けない幼い顔立ちをした少女が一人、小さく寂れた小屋の上に立ち、ある一点を見つめている。
その視線の先は豪奢で、誰が見ても立派と称するであろう大きな屋敷だった。
だが、その視線はけして大きな屋敷に憧れる子供が向けるような、羨望の眼差しではなく、何かを品定めしている――そんな眼差しである。
そうして、どれくらいそうしていただろうか。少女が退屈そうに、足をぶらぶらさせ始めた頃。
少女が飽きる、そのタイミングを見計らったかのように、音もなく一人の人間が少女の隣に現れる。
透き通った翡翠色をした少し吊り目気味の双眸、光を弾き輝く金髪を後ろで二つに結った長身の女性。
その見た目は、今そこの屋敷から出てきたと言われても、違和感のない程であった。
その格好がまともであったのならば、だが。
日本について偏った知識を持っているんじゃないだろうか、と日本人が見たら思うような格好――着物である。勿論それがただの着物で京都などならば、観光に来た外人がレンタルしてもらったという可能性も捨てきれない。
しかし、彼女が着ているのは明らかに年季の入った男性用の着物なのだ。
おまけに佩刀までしている。この格好がまともと呼ばれる時代は、とっくに終わっしまっている事も知らないのか。そもそも何故男性用なのか。
そんなツッコミを入れる者はこの場には居なかった。
そして、無音のままどれ程の時間が過ぎただろう。
「ねえねえ、古月石ちゃんはさ。あの家族、どう思う?」
唐突に少女は女性――古月石というのだろう――に問いかける。そのビー玉の様な両の目に見つめられ、古月石は少し考える素振りを見せ返事をする。
「そうですね。私の見立てで良いのでしたら〝八百輝石〟辺りかと。ですが、私に意見を求めるとは珍しいですね」
「んー、そうかな?ただ単純に迷ったの。でも、流石は〝猶予ない選択〟だね。悪くないチョイスだよ」
「はぁ……?」
嬉しそうにくつくつ笑う少女を見て、訳が分らないという表情を作る。
そして、再び屋敷を見始めた少女の視線の先を古月石も確認する。
その先には三人の人間。立派な髭を生やした厳格そうな、だが笑うと柔和そうな雰囲気の、おじさんと呼べる年齢の男性。その男性が見つめる中じゃれ合う少年と少女。
少年は十代半というところだろうか。程よく、丁寧に切られたであろう黒髪が、育ちの良さを物語っている。そしてもう既に大人の顔立ちになり始めているのか、その表情は少し精悍さを兼ね備えている。
最後に少女は十代前半だろう。少年にじゃれるその様子は、犬のようだと表現するのが一番だろう。栗色の髪をなびかせながら、少女は楽しそうに笑っている。
そんな幸せそうな三人を見て、古月石の横に座る少女も、楽しそうに笑みを浮かべ続ける。
「浪神家。いい家族だね。凄く羨ましいかも、滅茶苦茶にしたくなっちゃうくらいに」
そう呟く少女の目は何も写しておらず、ただただ黒々としている。
その様子を見て寒気がしたのか、古月石がブルりと身を震う。
恐らくこの少女は、彼女が何か咎めた程度では止めれやしないだろう。
彼女は統べる者なのだから。
彼女は与える者なのだから。
彼女は絶対的強者なのだから。
その彼女の駒の一つでしかない古月石には、どうしようもない話なのだ。そもそも古月石が彼らに、何かをする義理もない。
ただ、運の悪い人間たちを見つけ、そしてそれを捨てるだけなのだ。
「ところでさ、古月石ちゃん。一つお願いしても良いかな?」
絶対に断られる事がないと確信している質問。否、断る事が出来ないと分かっている質問が正しいか。
その言葉に逆らう事を許されない古月石は、それでもそのお願いの内容を汲み取り、吟味し、考えて応える。
「了解しました。この古月石――潜伏する危険に恥じない働きをさせて頂こうと思います」
そう言い膝を折り頭を垂れる古月石を、少女は満足した顔をしながら撫で、立ち上がる。
そして次の瞬間、一瞬にして少女の姿は掻き消える。
その場に一冊の童話を残して――