第一話 現在①
「……~い、お~いって。ミカ、お~い」
「んぅ……」
特に意味のない言葉が少女――ミカ・ロックウェーブの口をついて出た。
突っ伏している机や、腰かけているイスに彼女の長い栗色の髪が柔らかく広がっている。年の頃は十八といったところだろう。可愛いか美人かでいえば、やや美人よりである顔をわずかに歪ませ、むにゃむにゃと言葉にならない声を出している。
「やれやれ……。お~い、ミカ、起きろって。休憩時間、そろそろ終わるぞ~」
「ん~……。わかった、起きるから……」
寝ぼけ眼のままではあるが、ゆっくりと机から身体を起こすミカ。
「ごめん、ジン。私、いつの間にか眠っちゃってたんだね。またあの夢を見てたよ」
「あの夢って、ミカがときどき見る、『例の夢』か?」
少し心配そうな表情をして、そう問うた少年はジン・カーベルク。ウエイター服に身を包んだ、ミカと同年齢の青年である。少しばかり長めの黒髪は、一応整えてあるものの、ややボサボサ気味になっている。
髪を手ぐしで整えたり、着ているウエイトレス服にシワができていないかを確かめながら、ミカはジンにうなずいた。
「うん、そう。……まあ、今日は『あのシーン』になる前に起きることができたけどね」
「俺のおかげだな」
特に恩着せがましい感じのしないジンのセリフ。それがわかっているから、ミカも軽く返す。
「そうだね、ありがと。……あ~、ちょっとだけシワ寄っちゃってる……」
「そりゃ、机に突っ伏して寝てりゃあな……。で、どうする? 『例の夢』を見たあとって調子悪いだろ? 休むか?」
「平気平気。言ったでしょ? 『あのシーン』になる前に起きれたって。それに私、ウエイトレス、好きだしね」
「仕事の場合は好きとか嫌いとかの問題じゃないと思うけどな……。まあ、ミカがそれでいいなら俺はいいんだけど」
「よし、じゃあ残り二時間、気合入れていきましょうか!」
「はいはい。……でも、本当に無理するなよ?」
「わかってるって」
おもむろにジンの手を握って歩きだすミカ。それが、普段の二人の関係性。
そしてその二人の関係性は、見方によっては仲のいい恋人同士のそれにも見えるのだった。
フロート・シティに存在する魔道学会の本部には、数多くの魔道士が所属している。
しかし研究している分野は魔道士によって様々。また、学会では月に一度、定例発表会なるものが開かれるのだが、そこで提出されるレポートの内容も、やはり多岐に渡っていた。
定例発表会は自分の作成したレポートを提出できる唯一の場であり、優れたレポートを提出できれば学会でのランクアップが認められ、月に支給される研究費用が増える。当然、割と高いランクにいる魔道士も、Dランクという学会でもっとも下位に位置する魔道士も、研究費用のアップを狙って新しい魔術を組み立ててみたり、『世界の本当の姿』や『人間の本質』などといったものを証明しようとしたりと、まあ、日頃から色々とやっていた。
ただ、学会のランク制度には問題がある。
まず、ランクの低い魔道士に支給される研究費用は当然、少ない。しかし研究に多くの資金を充てられないのでは大がかりな実験をするのが不可能になる。
ランクが低い――支給される研究費用が少ないのは、学会からかけられている期待が小さいことを意味するのだが、この現状ではランクアップに繋がるような――学会の期待を超えた結果を出すことなど、そうそうできはしない。つまりは、完全な悪循環。
もっとも、それだけで済むのならまだいいほうだったりする。ランクアップが適わないため、日々の生活に困る魔道士だって少なからずいたりするのだ。
もちろん金持ちであるのなら、そういった問題に頭を抱えることはない。だが世の中には貧乏でありながらも魔道士を志した者だって大勢いる。
で、そういった魔道士が具体的にどういう行動に出るのかというと。
『いらっしゃいませー!』
ずばり、研究の時間を割いてのバイトだったりする。
ジン・カーベルクがここ、魔道学会本部の食堂でミカと共に働いているのも、彼がそんな貧乏な魔道士であるがゆえなのだ。まあ、二年ほど前からは、それだけが理由だとも言い切れなくなってきたのだけれど。
「よう、相変わらず精が出るな、ジン」
「いらっしゃいました~。今日も可愛いね~、ミカちゃん」
声を揃えて出迎えた二人にそんな言葉が返ってくる。
ひとりは、やや目つきの鋭い痩せ気味な二十代後半の男。Cランクの魔道士で、くすんだ金色の髪が特徴に挙げられるだろうか。
もうひとりは、お世辞にも痩せてるとはいえない、太っちょの男。髪は緑色で年齢は二十代前半といったところ。こちらも学会ランクはCである。
ジンは三年前に魔道学会に所属したばかりの、まだまだ駆け出しのDランク魔道士。魔道教習センターとは違って、学会では年齢はさほど重要視されないが、やはりジンにとって二人は先輩。レポートをまとめるにあたって相談に乗ってもらうことも少なからずあった。
魔道学会の食堂には四人まで座れるテーブル席が四つ、カウンター席が五つある。二人の魔道士は迷わずにカウンター席に腰を下ろし、とりあえず、とワインを頼んだ。
「え~、もっと高いもの頼んでよ。ほら、ステーキ定食とかあるわよ? それもとっても新鮮! 二人のためにとっておいたんだから!」
「こらこら。嘘をつくなよ、嘘を。別にとっておいたわけじゃないだろ。大体それ、今日も注文なかったら捨てることになってたやつじゃないか」
「む~。ジンにはこのお店を繁盛させようという気、ないの?」
「や、俺に売る気がないんじゃなくて、お前が商魂たくましすぎるだけだって。――それで、レポートの進み具合はどうですか?」
ふくれるミカを軽くいなし、ジンは二人の魔道士に問う。まるで世間話を始めるような気楽な調子で。
魔道学会本部の中にあるため、この店の客はほとんど全員が魔道学会に所属している魔道士であるといっていい。更に言えばミカとオーナー以外のスタッフも全員、魔道学会の魔道士だ。
そういった環境であるためか、この店でカウンター席に座る客はスタッフと『魔道士としての話』をしたがっているのだと相場は決まっていた。まあ、ここにはフロート・シティにちょっと立ち寄っただけという客も訪れるので、稀に違う場合もあるのだけれど。
ジンに水を向けられ、痩せ気味の男――ケインがまず口を開いた。
「レポートか。そこそこ、言いたいところだが、なんとも芳しくないな。なあ、ジン。『永遠』という概念をお前だったらどう証明する?」
「永遠、ですか?」
腕を組んでうなるジン。正直、持論を展開することすら難しい。なにしろ彼の研究内容は魔術の組み立てが主であり、概念の証明や確立は特別目指していないのだから。
もっとも、まったく興味がないわけでもない。ある事件をきっかけに、ジンは『時間』の概念が関わる分野であれば積極的に首を突っ込んでいきたいと思うようになったし、一年ほど前に、とある女魔道士たちから『永遠』に関する興味深い話も聞けた。だが、それすらもレポートとして学会に提出されていないとなると……。
ミカが赤い液体の入ったグラスを二つ、Cランク魔道士二人の前に置いた。
(永遠かぁ……。そういえば、一年ほど前にそんなことを話していた人たちがいたなぁ……)
そんなことをミカが考えていると、太っちょの男――ヨザックがワインを一口だけ含んで、
「そこまで考え込まなくてもいいって。永遠を証明できないっていうんなら、別にそれはそれでいいんだ」
「そうは言ってもヨザックさん。証明できないのなら、証明できないって根拠を提示しないといけないんじゃありません?」
「そこなんだよねぇ。存在しないことを証明するのって、存在することを証明するよりも難しいし……」
「存在するのなら、『これだ!』って証拠を見せれば誰もが納得しますからね」
そこに「しかも、だ」とケインが口を挟む。
「永遠なんてものは概念だ。目には見えない。仮に存在しないとしても、わかりやすい根拠は提示できないだろう」
「でも存在しないと決めつけることはできない?」
どこか挑発めいたミカの一言。しかしムキになるでもなく、ケインは静かに返した。
「そうだ。俺たちが永遠は存在しないと発表したあと、もし永遠が存在することを誰かが証明したら、と思うとな」
「ああー、なるほど」
そう相槌を打ってから、ふとミカの中にイタズラ心が芽生えた。
「そういえば、結婚式では必ず『永遠の愛を誓います』って言うわよね?」
横から「お、おい」とジンが抗議の声を上げるが、無視を決め込むミカ。
ケインはちびちびとやっていたグラスをテーブルに置いた。
「言うな。だが、それは『終末を迎えるまでの永遠』――『最後のときが来ない限り続く永遠』だ」
コン、とグラスを指で弾いてヨザックが言葉を継ぐ。
「例えばさ、ミカちゃん。朝になったら必ず太陽が昇るよね? でもそれが永遠に続く保証なんて、誰にもできないでしょ? それと同じことなんだよ。太陽が昇らなくなるときがいつか来るかもしれないように、結婚相手に愛情を抱けなくなるときが来るかもしれないってこと。で、そのときが来るまでは、その愛は永遠なんだよ」
「幻想を打ち砕くようなことを言わないでよ~。あ~、ちょっとヨザックさんのこと嫌いになったかも」
「ええっ!? そんなぁ~!」
「ヨザックさん。こいつの言うことをいちいち真に受けないでくださいよ。どうせふざけているだけなんですから」
「え~、ふざけてないかもしれないじゃない? ねえ、ヨザックさん」
「そうそう。まあ、本気だったら嫌だけど」
妙な意気投合っぷりを見せるミカとヨザック。ジンとケインは「やれやれ」とため息をつくばかりだ。
そこからはなかなかに真面目な会話が続いた。ジンも魔道士であるため、なんだかんだでその手の話題には熱くなるところがある。
少しばかり退屈な心持ちになりながら、ミカはその三人の会話を聞いていた。一年前のことを参考程度に話してあげればいいのに、なんてことをジンに対して思いながら。
そうして。
気づけばミカは、知らず知らずのうちに当時のことを思い返していた。