無垢な悪魔 1
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母親は苛立っていた。
族の長で、自分の旦那であるあの鬼が戻らなかったからだ。
そしてそれは一人だけではなく、バトルへと赴いた鬼が全員戻らなかった。
「次に悪魔が襲ってきたらどうするのよ」
母親の苛立ちの原因は、鬼一族の長の妻としてのものだけではなく、もうひとつあった。
「あの人が戻らないなんて、まるであの夜みたいじゃない」
母親の呟きを、二鬼は聞き逃さない。
「母さん、今のはどういうこと?」
「え?」
母親は二鬼の質問の意味がわからない。
自分の口から洩れた言葉に気づいていなかった。
「あの夜って、なに?」
穏やかな笑みをたたえる二鬼だが、母親は親だからこそ知っていた。
この笑みの向こうで何を考えているかわからないということを。
「答えてくれるよね、母さん。いつの話だい。あの夜って」
そして納得がいく答えが出るまでは、引き下がることがないということも。
「……洩れていたの? 今の」
眉間に深くしわを刻み、大きくため息をつきながら母親は二鬼に聞き返す。
「ああ。普通の声の大きさだったからね。聞こえたの僕だけじゃないと思うよ」
その言葉に、傍らにいる四鬼へと視線を動かす母親。
どこか楽しげに手をひらひら振ってくる四鬼の姿が、それを物語っている。
「……そう。聞こえちゃったのね」
椅子にドカッと腰を落とすようにし、腰かけた母親。
「はい、お母さん。お茶どうぞ」
これからの話が長くなるのを理解しているのか、三鬼が大きめの湯のみでお茶を差し出す。
「…………ありがとう、三鬼」
三鬼は順番に飲み物を置いていく。
二鬼には紅茶。四鬼にはホットミルク。自分には、母親と同じものを。
三鬼が席に着いたと同時に、母親はその場にいる子供たちに語り出す。
“あの夜”のことを。
今まで頑なに隠し、子供たちにいくら聞かれても話す理由がないと無言の圧力で語らずにいたことを。
六鬼が鬼と悪魔の子として、生を受けるきっかけになった夜の話を。
その夜も、今と変わらず鬼と悪魔はくだらない闘いを終えていた。
その日は悪魔の数も多く、普段の何倍もの疲労が父親を襲っていた。
建物の死角になりそうな場所を探し、父親は腰を下ろす。
かなりの人数の鬼を失い、連れ去られてしまった。それは自分が犯した失態だと思うほかなかった。
なぜなら、彼はすべての責任を負わされる場所に立っている者であるからだ。
「この調子で闘い続けていたら、鬼はいなくなるだろうな」
連れ帰れる鬼はほとんどいなかった。
自分も逃げてきたようなものだ。
「きっともうすでに限界なんじゃないのか」
ふと洩らしてみてから、頭を振った。
そんなことを口にしていいはずがない。なぜなら彼は、鬼を統べるものなのだから。
「……疲れたな」
その程度の愚痴は漏らしてもいいだろうと、自分への許可をした六鬼の父親。
家に戻り、治療をし、次の闘いに備えなければいけない。
「わかってる、わかってるんだ」
重く、そう呟くとうな垂れたまま黙ってしまった。
すぐに家に戻りたくなかったのである。
鬼の一族の長として、闘いに明け暮れる毎日。
その闘いの先が何も見えずに、ただ、疲れていくだけ。
六鬼の母親はそれを支え、いつも穏やかに微笑んで、闘いで傷つき戻った鬼たちを癒していた。
自分が置かれている立場や、家族のことで不満があったことはない。
ただ、時々、無性に疲れてしまうのだ。
長としての自分に。父親としての自分に。
守るべきものがいるのは、重荷でもなんでもない。
ただ、時々疲れてしまうのだ。
それを六鬼の母親に理解してもらおうと動くことはしなかった。
小さな小さなプライド。
「俺は、上に立つものでなくてはならない」
揺らがないこと。それが上に立っている者へ、下の者が求めていること。
疲れたからといって、簡単にそれを覆せる場所に自分はいないと理解していたのである。
何度目かのため息をついた時、何気なく空を見上げた六鬼の父親。
月は満ちて、悪魔たちに似合いの夜空だ。
実際今夜は悪魔たちの力が増幅されていたようで、今日こそ終わりかもしれないとよぎったほどだった。




