「私を魔王様の便器にして下さい!」
魔王の年齢は私の観察眼に狂いがなければ20歳前半。
体つきは筋骨隆々の大男だとは間違っても言えないし、それについてはむしろ体は線のように細く、というか細すぎてモヤシのようだ。
身長は私とほぼ同じぐらいだろうか、私は一般女性の平均身長より幾分高い自負があるんだが、それを男に当て嵌めるわけにはいくまい。おそらく彼は男にしては小さいほうだと推測。
まあ、魔王の精察はここら辺で切り上げるとして、さておき。
「と、とりあえず……あのっ、魔王……様?」
「…………」
魔王は依然私の胸に意識を集中……もといガン見しているようで、さっき一度私と目があったのを最後に私の顔を見ていないようだった。
ちょっとムカっ。
「えっと、そんな……むっ、むむむ、胸ばかり見なくてもっ……いいんじゃないです、か……?」
正直相手が魔王とはいえ、親しい人ならともかく、初対面の人に胸ばかり見られるのは、こう、ムズムズするのだ。
私も一応女の端くれなわけだけど、特殊な生い立ち故に、残念ながら異性とソウイウ関係になった経験なんてないもので、どうしていいかわからない。
なので、あからさまに胸を隠すのは魔王の機嫌を損ねる可能性があるから、あえて胸を隠さず、かつ魔王から見えにくい角度に体をよじることで事なきを得る。
胸を両腕で押し上げながら移動したのだが、なんだろう、その瞬間魔王の目線がより強く光った。
「なんだ、気の強そうな顔してる割に初心なんだな」
「う、初心ゆうなっ! ――はっ!」
言った後で、私は冷水をかぶった時のように背筋が冷えるのを感じた。
私は、一体なんてことを。
魔王を相手に、まさかタメ口なんて! それも今会ったばかりの初対面にも関わらず、だ。
相手は王。プライドも当たり前のように高いはず。
ああ、終わった……。
私の人生、終わった。
この後きっと「貴様……っ! 俺に向かってタメ口とは生意気な! その胸もろとも灰にしてくれる」なんてことを言われるに違いない。
しかし、対する魔王はそんな私の気持ちを吹き飛ばすように、
「ふふん、その怒った時の顔もまたヨシ」
「はい?」
「それより、さっきからいちいちプルプルと震える、その自己主張の激しい君のおっぱいは、本当に人のモノなのか? 人工物ではないのか? プリンの間違いではないのか? いや、訂正しよう、それは本物だ、本物であってくれ。そこには我のロマンが詰まってる。よし、我は「君の胸」と書いて「プリン」と呼ぶことにするよ。よろしく我が愛しのプリン」
私よりも先に、なんと私の胸が魔王に挨拶された。
なんということだ、本体である私に挨拶はなしなのか、魔王。いや、どっちも私のものには変わりないんだけどさ。
ともかく、何だか彼は怒ってるどころか、それを通り越してやたらと上機嫌の様子。
私は冷静に今の現状を吟味する。
そして、思う。――これはチャンスではないか、と。
今、魔王は、少なくとも私にあからさまな敵意は持っていない。こと私の胸に関しては、冗談か本気かはさておき「愛しの」なんて言うほどである。
彼の、私の胸に対する執着心。
これを利用しない手がない。
今私はとても悪い顔をしてると思う。慌てて魔王に気づかれないように内心で頬に平手打ちして緩んだ顔を引き締める。
「魔王様」
「ん?」
「私のお願いを聞いてくだされば、私の体を魔王様の好きにして頂いても……構いませんよ?」
「なん……だと!?」
胸を寄せ、魔王様を上目遣いで見上げる。色気ムンムン悩殺おねだりポぉーズ。
これでだいたいの男は堕ちる――と、どこかで覗いた雑誌にそう書いていた。こんな淫らではしたないことに、本当に意味があるのか? と疑問に思っていた私だけど、まさかその時が訪れるとは。
それも相手は魔王である。
ともかく、瞬間的に思いついたこのポーズは、はたして絶大な効果を発揮した。
私が胸を寄せて若干魔王との距離を詰めた瞬間、彼の視線は吸い込まれるように私の谷間に釘付けになったのだ。
凄まじいなこのポーズ。
まさか天下の魔王をここまで鼻の下を伸ばしただらしない顔にするなんて。
こんなの絶対にあり得ないと心中蔑んで笑っていた私だが、その考えは今を持って訂正しよう。
このポーズは神だ。ありがとう名も知らぬ情報誌。
そして数分前の私を殴ってやりたい。見よ、数分前の私、これが神だ。
でも、谷間に集中して目を血走らせてる魔王は流石に行き過ぎじゃないかと思う。
男の人はみんなこんな反応をするのだろうか。私の知る男の人で親しかったのはお父さんと兄しかいなかったので、いまいち判然としない。
その二人とさえ、もう何年も会っていなかった。
「はい……。私の胸も、髪も、腕も、足も、私のすべてを魔王様に捧げます。私を好き勝手に、壊れるまでむちゃくちゃにして下さっていいんですよ」
「む、むちゃくちゃに……」
別に嘘じゃない。
私の目的は世界への復讐である。
その悲願が達成されさえすれば、体をむちゃくちゃに改造されようが、全身をカエルに変えられようが、私は一行に構わない。
たぶん殺戮を好む性質の魔王のことだから、今の私の話を聞いて、思い浮かんだのは命の尽きただらしない私の姿だろう。
もしそうなったら私のいない世界になるわけだが、それでも、もしかしたら生き残ってる私の兄妹たちが安心して生きていける世界を作れたわけだから、私として本望だ。
……それにしても、なんだか魔王の鼻息がさっきから荒い。
ピスピスと、鼻の穴が開いたり閉じたりを繰り返してる。
あきらかに意識がどこかに飛んでいた。
うん、なんだかよくわからいけど、もう少しかな。私の直感がそう告げている。
「はい。でも、それもこれも、すべては私のお願いを魔王様が叶えてくれた後――世界を滅ぼして下さったその時に」
「ぬ、滅ぼす? ああ、それは無理だ」
「……え?」
唐突だった。
あまりに、あっさりと。
まるでなんでもないように平然と言われたその言葉に、私は一瞬息をするのを忘れた。
――今、なんて?
「す、すみません、よく聞こえませんでした。あの、もう一度、お願いしても?」
「うむ、だから、無理。君が言わんとしてることはだいたいわかる。『世界を壊してくれ』とか、そういうことだろ? でも、それは無理だ。ああ、残念だ、君のおぱいを好きにできないなんて」
「……ぇ、え、な、なん、で、ですか」
予想外の否定。
後ろから頭を鈍器で殴られたかのような衝撃が、私の体を突き抜ける。
断られた。
私の計画の要の……始まりであり、同時に終わりでもある、最も重要なパーツが――抜け落ちた。
「…………」
いや、違う。
まだだ。
まだ――終わってない。
まだまだ、終われない。
「なんでですか!?」
思いついた言葉を勢いのまま吐き出す。
「む、無理って……何でですか!? 魔王って、そういう存在じゃないんですか!? 悪逆無道で、最凶最悪の生命体。不幸を産み、絶叫を好み、絶望を望む。世界を喜々として混沌に陥れる。そんな邪悪な存在じゃあ!? そ、そうか、私の条件が不満なんですねっ! い、一体何をしましょう! ここで胸を抉りましょうか? 腕を切断しましょうか? 足をもぎ取りましょうか? それとも私の望みを叶えた後とは言わず、今からでも私を魔王様の奴隷に――そう! 今から私を魔王様の便器にして下さい! 魔王様の汚物を頂けるなら、私は喜んで跪きましょう! あっ、そ、それとも、ここで私を生贄とすれば――」
「いや、え? あの、ごめん、ちょっと待って」
支離滅裂過ぎて、もう自分でも何を言ってるかわからなっていた私に、魔王が言う。
やめてくれと。
「……それ以上は言うな。それ以上の言葉を――君のような美しい女性がいうのは、聞くに耐えない」
気がつけば、魔王は私の胸を見ていたときの欲に支配された瞳をしていなかった。
今、魔王が私を見据える瞳には、明確な理性と、そして――優しかが宿っている。
ま、魔王のくせに。
「でも、一体……どうして」
魔王は世界を滅ぼす悪鬼なんでしょ?
普通なら、私の提案がなくたって勝手に街や森を壊して燃やす。
少なくとも、以前召喚された魔王はそうだった。
「ふむふむ……」
魔王は何か物思いに耽るように視線を下に流すと、気がついたかのような言葉を口にする。
「どうやら君は、我のことを勘違いしてるらしい」
「えっ?」
「勘違いしてると言ったのだ――まあ、どうやらただならぬ事情がある様子であるが……しかし、まずはともかく、君に一つお願いがある」
「あ……は、はい。なんでしょうか」
魔王は、魔王とは思えぬ真摯な面持ちで私を見つめていて、その視線に私は不覚にも怖気付いた。
魔王がこんな顔をするなんて……一体、今から私はどんな恐ろしい命令を下されるのだろうか。
大抵のことをこなす自信があるが、いかんせん相手は魔王。私の予想の遥か上を行くような度肝を抜く命令かもしれないし、やはり気合いをいれる必要があるかもしれない。
しかし、魔王から放たれた言葉は、そんな私には肩透かしもいいところの腑抜けた言葉だった。
「服を……お願いだから、我に服を着せて下さい。君は全裸の男がナニをぶら下げて目の前に立っていることに、何の疑問も持たないのか?」
「全裸……? いえ、思いませんが」
「我は思うんだよ。気にするんだよっ。可愛い女の子の前で全裸待機って、コレなんの羞恥プレイ。いつツッコんでくれるのかなってドギマギしながら待ってたのだが、まさかの天然だったのね! もう、とにかく服! 話はそれからだ!」
「は、はひっ!」
急に魔王に怒鳴られた私は、慌てて服を取りに走った。
どうやら話は持ち越しになったらしい。
色々不満や疑問が残るが……今はとにかく、魔王の機嫌を損ねないよう急いで服を取りに行く。
それにしても、はて、全裸の男が目の前に立っていることは、そんなに恥かしいことなのだろうか。
私は別に誰が前にいても、そこで裸になることにまったく抵抗がないんだけど……ん? もしかしてこれ、おかしいの?
ダメだな、こういう常識知らずなところが、私を社会からますます孤立させているんだと、私は衣装部屋に繋がる階段を駆け上がりながら思うのであった。