4
「では、俺はこれで帰る。そろそろ夜も更けてきたんでな」
「……? 魔術師なんだから今からが活動時間なんじゃないか?」
マスターの問いかけに、ハンスはげんなりとして答えた。こういう反応には慣れている。
「まあ、確かにそういう奴が多いのは確かだが……魔術師は脳の働きが命だろう。ならば、早寝早起きが一番いいに決まっているじゃないか。少なくとも俺はそ
うしている」
何故か、マスターはハトが鉄砲豆を食らったような顔になった。
「そ、そうか。いや……俺の知っている魔術師は、夜こそ俺たちの時間だ、みたいな奴が多かったけどな……」
酒場の中でも何人か頷いている人間がいる。
「まあ、世間一般に夜中にじめじめと地下の実験室でヒヒヒと笑う……などというテンプレートなイメージがあるのは確かだな。カタチから入ったり、それがカッコいい、と思う人間がいるのも確かだ」
「賢者様、あんた本当にバッサリ切るな……」
鎧のような筋肉の冒険者が再度ツッコミを入れる。ハンスは、フン、と鼻を鳴らした。
「本当に頭を働かせたいなら、早寝早起き、栄養のあるものをしっかり食べ、適度な運動を行い、陽に当たる、これが重要だろ。夜に活動するなんて、世の中から隠れなければならないような実験をしているというのならばまだ理解できるし、いいんだが」
「いや、そんな実験は良くないだろう」
「魔術師ってのは、”禁忌の術”に触れなければ他人の事に口出しすることはない。とりあえず、会計を頼む」
はあ、とマスターはため息をつくと、魔術師ってのはそういう連中だったなあ、と呟いた。一方、なんだよ年齢相応にジジイなんだな、と笑った冒険者は瞬く間に宙にさかさまに吊り上げられる。さすがに冒険者たちは二度目の手品には驚かないらしく、さっきとは違い、周囲の連中もケラケラと笑いながらそいつをからかっていた。
もちろん、謝ったので、許してやった。
「なあ……」
どこかもじもじと話しかけてきたのはウェルテルだった。大の大人がもじもじしているのは、少し気味が悪い。
「その、孤児院の赤毛の子がいただろ。……悪かったと伝えてくれ」
「どういう心境の変化だ」
唐突な話の展開に、ハンスは面食らった。
「いや、その……あの子たちに何か遺恨があったわけじゃないし……」
正直、子供達への謝罪を言われてもハンスとしてもどう反応したらわからないというか、有体に言うととても迷惑である。
「俺に言われても、別に俺はあいつらの保護者じゃないから知らんぞ」
「……そうなのか?」
何故かハンスに問いかけのはマスターだった。
あいつらの保護者? なんだか自分の評判が想像もしない状況になっている。
何故か、なんとなく、意味もなく、イヤな予感がしたため、そのまま首だけ横に振って店から出ようとしたのだが――。
「ああ、そうか、院長代理の方が目当てなのか」
鎧のような筋肉の冒険者がダミ声で叫ぶ。あたりの男たちが弾けるように笑った。
ハンスは、ぱくり、と間抜けな顔で口を開けた。
「は?」
院長代理……あの、森の魔女と自分が一体何の関係があるというのだろうか。ハンスは心の底から、話の展開がどうなっているのかわからなかった。
あまりにも驚いた顔をしていたからか、マスターがフォローに入る。
「眠り姫の塔の付近は冒険者が一時期たまってただろ? あんたのことは結構、噂になってるんだ」
「そうか」
そういえば、自分の敷地に入り込んだ連中のことを一掃したことがあったような気がする。
「あれほど人嫌いで通していたのに、誰のことも敷地に入れなかったくせに、あっさり子供達に敷地を解放したんだもんなあ」
冒険者たちが口ぐちにはやし立てる。
「魔術師殿の屋敷に翻る洗濯物……かなり衝撃的な光景だったよな」
「ウェルテルの奴がキューピットってかぁ?!」
いや、それは論文を読む対価なだけなのだが。
「俺は孤児院出身の奴に聞いたぞ。よく院長代理の部屋を訪ねてるし、そのたびに院長代理が甲斐甲斐しくお茶を入れたりお菓子を持って行ったりしているらしいじゃないか」
いや、それは単に論文をその場で読ませてもらっているだけなのだが。
それに、お茶やお菓子は孤児院で出されているオヤツを持ってきているだけで、特別ハンス用のもてなしというわけではない。
「いい女だよなあ。どこか先生っぽさが色気を消してるけど……」
「生活臭いというか、先生って感じであまり色気はないがな」
「でも胸はでかいよな! 服の上からでもあのボリュームはすげえぜ!」
「お世話になってみてえなあ!」
男たちの下ネタに笑い声が響く。
「そのギャップがいいんじゃねえか。メッ、て叱られてえ!」
意味がわからない。
……あと、確かに外見は25ほどに見えるが、200年生きた森の魔女であるという実体を知ると、どうもそんな目では見られない。
「お前らが思っているのとは違う。俺はあの女自体に興味があるわけではない」
「じゃあ、何に興味があるんだよ?」
鎧のような筋肉の冒険者――どうやら、この酒場に溜まる冒険者たちのリーダー格らしい――が、相変わらずのダミ声で問いかける。
その問いに反射的に答えようとして、ハンスは、自分の中の答えを飲み込んだ。
魔女に、貴重な論文を読ませてもらい、古き魔法の話を聞く。
それを、他人に説明することはできないのだった。
あの院長代理が魔女であることを隠している以上、ハンスがそれを告げることはできない。魔女ということを隠した上で魔術の論文を読ませてもらいに行っているという説明はあまりにも不自然だ。ただの人間ならばそんなものは持たない。
もし、たまたま院長代理が持っていると信じてもらったとして、次には孤児院に貴重な文献があると喧伝することになる。それでは、その価値を聞きつけた泥棒連中らを孤児院に引き寄せることにもなりかねない。
もっとも、事実と違う噂は否定しておくべきだろう。
一瞬のうちにハンスは、嘘とも本当ともつかない説明がないか考えた。
長く考える余裕はない。考え込めば、それを信じてもらえる確率が下がる。
「あの孤児院はな、昔、王族と関係が深かったらしく、王族と関係のある魔女、もしくは魔術師がかかわっていたという噂があったんだ。確かに、単なる孤児院とは思えないような“仕掛け”があったからおかしいとは思っていた」
「……そうなのか?!」
マスターが俄然、食いついてきた。初耳だったからだろう。それはそうだ。ハンスも初耳だ。
――とはいえ、森の魔女が院長代理をしているだけあって、多少の魔術が使われているのは事実なのである。また、“王族と関係が深い”というのも“王族と関係のある魔女がかかわっている”というのも事実だ。
「古い魔法だ。古いものには興味がある。そこで、院長代理に許可を得て、調べさせてもらうことにしたんだ。敷地を解放したのはその対価だ」
まあ、古いのは魔術自体ではなく、魔女なのだが。
「どんな魔法なんだ?!」
「それは、言えんな。俺も研究中だ」
そう言って、ハンスはにやりと笑った。
「そうそう。侵入者を知らせる仕掛けもあったぞ。俺としても勝手に探ると俺自身が危険な可能性があったから、ちゃんと許可を得たんだ」
酒場に緊張が走る。
ハンスですら危険な罠があると匂わせれば、この話を聞いた奴が興味本位で孤児院に近づくこともないだろう。
うーむ、と唸り声が酒場に満ちた。
理由としては納得しながらも、好奇の視線はまだ消えてはいない。
そういえば――とようやくハンスは気づく。自分自身は魔法に人生を捧げた学究の徒であるし、相手は古い魔女であるという認識しかなかったから気づかなかったが、傍から見れば妙齢の男女二人が親しくしているようにも見えるのかもしれない、と。
しかし、ハンスは自分ごとでありながら、そこまでは責任持てん、と考えを放棄することにした。
解決策はなさそうだし、実際にハンスはあの院長代理に何の感情も持っていないのだ。多少の興味は持っているとしても、それは彼らが邪推するようなそんな意味ではない。
なにより、彼は評判で商売しているわけではない。他人と必要以上に関わる気もない。彼の仕事が減ったり、知識を仕入れるのに不便になったりするのであれば手立ても考えたであろうが、そうでもない。
ならば逆に何を言われようが彼の気にするところではないだろう、そう片付けたからだった。
何故かハンスを気の毒そうな目で見たり、魔術師は朴念仁、などと意味のわからないことを言いあっている酒場の連中には構わず、ハンスは店の外に出た。
暗闇の中、こぼれそうなほどの星が浮かび上がる。既に人の姿はなく、街灯の魔術の灯も小さくなっていた。
この魔術の灯があること自体、この街の、ひいてはこの国の魔法理論が非常に発達している証である。街に住む担当者が魔道具を使用して灯をともしているのだが、魔道具の発達著しいのは、この国の4代前の王が魔術師を保護し、大発展の礎を築いたからだ、と聞いていた。
ハンスがこの国に移り住んだのも、その理論を研究するためだった。
4代前の王。グリーク王。
森の魔女が支援した王であり、国と魔術の大発展を築いた偉大なる王。
そして、『眠り姫』の夫。100年前は、グリーク王の統治時代だったのではないか?
これは、単なる偶然のわけがない。
「王族のことは、王族が一番良く知っている、のか……?」
国の正式文書に詳細が記してあるとはとても思えないが、調べてみようとハンスは思い立った。