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「吟遊詩人……」
物語を歌う吟遊詩人は、冒険者でありながら、大道芸人であり、人気商売である。村から村へ流れて娯楽を提供する者もおり、いつも余所者であるとの厳しい目にさらされるせいか、世渡りに長けたものが多い。それは、外見にも表れている。
まあ、要するに、一目で人に好かれるような美形やトークの達人でないとやっていけないような商売だ。美形であればアイドル扱いされることも多いし、吟遊詩人自体が噂の種になることもある。
それなのに、この、ごろつき顔の、ごろつき格好の、ごろつき喋り。
ハンスの視線の意味がわかったらしい。マスターは苦笑して言った。
「これでも昔は紅顔の美少年だったんだが……まあ、何を間違ったんだかこうなっちまってなあ。この店専属だし、問題はないってぇ寸法だ。むしろ、なよなよした奴じゃナメられちまうからなあ」
「ふん。俺の本業は冒険者だし、それで十分食ってってんだ。吟遊詩人は昔なじみの酒場に華を添えてるだけよ」
マスターの口ぞえに、男――ウェルテルも勢いを取り戻してそう言い放つ。
「馬鹿言え。本業で十分稼げてるんだったら、あんなチンピラみたいな冒険者らしからぬ仕事はやらんだろ。差しずめ、食い詰めてマスターにアルバイトとしてお情けで置いてもらってるってとこじゃないのか?」
ハンスの言葉に、ウェルテルは精神的に撃沈したらしい。そのまま机とお友達になった。
「賢者様、あんた本当に容赦ねえなあ」
鎧のような筋肉をした冒険者が苦笑いと共に呟いた。
「というわけで、吟遊詩人」
「なんだよっ!」
ウェルテルが、すっかりヤケになったように叫ぶ。それでもハンスに反抗しようとしないのは、叶わないと身にしみてわかったからだろう。
「お前はこの街に伝わる伝承について詳しいか?」
「大得意だ」
しおれていた男は、突然爛々と目を光らせた。腕がいいというのは本当なのかもしれない。
「では、眠り姫の塔についての歌はないのか」
「それがなあ……ないんだ」
いかにも口惜しそうにウェルテルは言った。
「今話題だから、もしその歌があればひっぱりだこだろうに、伝わってないんだよ。他の吟遊詩人も聞いたことすらないと言っている」
「百年前だろ? 歌になってなくとも、何かないのか?」
「『眠り姫』の出てくる歌は、『グリーク王子の冒険譚』だけだよ。でもその話だと目覚めてグリーク王子と結婚してるわけだからなあ」
「どういう話なんだ?」
結末が後の世に作り替えられるということはよくある話だ。
『王子と結婚した』という結末自体が嘘という可能性もあるが、そうであっても 真実がいくばくか含まれている可能性は大いにある。
問いかけたハンスに、ウェルテルは、少し考えて、ああ、と声を上げた。
「まあ、別の土地から来たなら知らないか。この街では昔からの定番なんだ」
そう言うと、小汚い荷物袋の中から年季の入った手持ちハープを取り出した。
しゃらん、と音を鳴らす。
「全部歌うと一晩かかるが、冒険譚としては完成度がかなり高いぜ!」
おお、と酒場の連中の中から、期待するようなどよめきが上がる。
久々に聞くのもいいな、とか、俺はあの場面が好きだぜ、と話が弾んでいるところを見ると、とても有名な話なのだろうということはわかる。
しかし。
「いや、そんなに長い話、聞いてられん。省略しろ。ダイジェスト版……いや、歌われるとめんどくさいから話だけ教えろ」
「あんた、ひどいな?!」
ハンスに反抗することまでは考えていないが、さすがに吟遊詩人の誇りが傷つけられたらしい。歌わない限り話なんて教えてやらん! と半分泣きながら喚くウェルテルに、酒場の連中も慌ててフォローに入る。
結局、ダイジェスト版を歌わせることで、なんとか話がついた。
ハープの心地よい音が酒場を満たす。
ゆるやかに広がる音は、草原の風のように涼やかに心を擽っていく。
顔に似合わず上手い。というのは、ハンスも認めざるを得なかった。
『グリーク王子の冒険譚』。
それは、この国の4代前の王様の若き日の冒険譚だった。
一国の王子が自らの力を試すために幼馴染の魔術師と共に旅に出て、旅で出会った戦士や商人、盗賊崩れなどの仲間と共に、幾多の苦難を打ち破る。最後には生涯の伴侶となる美しい王女を手に入れる。
筋立ては、そんな、どこにでもあるような普通の冒険譚だ。
美しい故郷を称えるように、山や森、湖の美しさが歌われる。その昔、聖獣に導かれるように森に分け入った一族が築いたと言われるこの街。その街を抱くように存在する森は、時には優しく恵みを与え、時には迷路のように人を翻弄する。
そんな緩やかな時の中、第三皇子として生まれた少年は、幼いころから武芸に長けていた。王位から遠いと思われていたせいか、自由に育った少年はある日、幼馴染と共にアルトゥールの森へと冒険に出かける。
そして、森の魔女に出会うのだ。
「待て」
「なんだよ」
思わぬ不意打ちに、ハンスは思わず、歌の流れを止めてしまった。突然止められたウェルテルが不満そうに、しかし質問であろうから仕方なく歌をやめる。
「なんでいきなり森の魔女が出てくるんだ……」
それはほとんど呟きだったのだが、ウェルテルは質問ととらえたらしい。当然のように答える。
「なんで、と聞かれても、魔女様は結構重要な登場人物なんだよ」
「というか、森の魔女が……いるのか? 森の魔女が老いた魔女として歌われているが、老いた魔女なのか?」
「会ったことはないから知らねえ。それにな、森の魔女は、昔いたんじゃない。今もいるんだ。まあ、外から来たあんたは知らないかもしれんがな!」
何故かウェルテルは胸を張ってそう言い放った。周りの冒険者たちも、「小さい頃に聞いた」とか「ばあさんが会ったことあるらしい」とか思い思いに話を始める。
激しくつっこみたかったが、森の魔女が正体を隠している以上、何も言えることはない。
「そうか。すまん。続けてくれ。それと、魔女に関係するところはダイジェストにせずに、詳しく聞かせてくれ。その……魔法と関係する話はなるべく聞きたいからな」
「なるほど、確かにそうだな、わかった」
イメージだけが先行したのかもしれない。成長を止めることは簡単だが、一度老いた身体を若くすることは難しいのだ。あの女が200年この森にいた魔女ならば、彼女が老いていたことなど一度もないだろう――。
そう、この森に200年いた魔女が、彼女なら、だ。
再び歌い出したウェルテルの歌を聞きながら、ハンスは思いにふけった。
そもそもグリーク王子の冒険譚は、当然だがグリーク王子の冒険が中心だ。
しかし、森の魔女は物語の中で、かなり重要な役回りだった。王子の協力者の一人として、彼を見守る年長者の一人として、最初は試練を与え、旅立ちの時には魔法道具を与え、彼が困るとどこからともなく現れて知恵を与える。そんな、物語によくありがちな”便利で万能な協力者”の類型とも言えるが、王子の父母であるはずの王や母親――王子は庶子なのだ――よりもずっと王子の庇護者としての役割を割り振られていた。
眠り姫を目覚めさせる時もそうだ。呪いを解く手段などないと絶望する一行を励まし、王子に武器を与えて塔の魔法を解く。確かに塔の中に分け入って姫を助けたのは王子であり、冒険譚はその部分こそがメインなのだが――お膳立てをしたのは、魔女ではないかと思えるほどの活躍だ。
エレーナやドロテア姫の、森の魔女に対する信頼感を思い出す。
この国の王に全面的な支援を行ったことが、あの信頼感を生み出したのだろうか……などとぼんやりと思う。
歌は佳境に入った。
塔の呪いを打ち破り、眠り姫をキスで起こした王子は、その美しさに心を奪われる。眠り姫もまた、危険を冒して自らを助けにきた見目麗しい王子に心を奪われる。
一目で恋に落ちた二人は、皆に祝福されて結婚式を挙げるのだ。
「眠り姫が出てくるのは、ここまでだな。グリーク王子の冒険譚は、この後も王位に着くまで続くんだが、妃である眠り姫はこれ以降、即位式の時くらいで、ほとんど出てこないんだ」
「……森の魔女は、どうなんだ?」
「森の魔女様も、この後はほとんど出てこないな。国王家の争いや他国との争いには関わり合いにならなかったんだろう」
そうなのだろう、とハンスも思う。森の魔女が王子を助けたのは、エルッヘンの王子だからではなく、小さい時から知っている親しい相手だったからではないかと思ったからだ。
孤児院の子供たちの面倒を見ている姿を思い出す。あんなものは、200年を生きた森の魔女の仕事ではないと、その正体を知った時にハンスは失望したものだ。
今でもその考えは変わらないが、時折、あの魔女は何らかのしがらみや恩義があって孤児院にいるようなことを言っていた。
もしかしたらあの魔女は、いわゆる、“知り合いに頼られると精一杯頑張っちゃうタイプ”なのかもしれなかった。
――まあ、ハンスにとっては心底どうでもいいのだが。
「これで、あんたの知りたい情報はわかったのか?」
「眠り姫についての情報がないことはわかった」
「……それは、最初に俺が言っただろ!!」
「こらウェルテル、ハープを振り上げて暴れるな!」
マスターの下で働いているのだろう若い青年が、慌ててウェルテルを押さえにかかる。
本当に見事なまでに、その歌には眠り姫の魔法に関する情報はなかった。
魔女が呪いを解いたというならば、その呪いとやらの説明があっても良いだろうに、その説明もなし。
王子がキスをしたら起きたというのも、説明不足だ。愛の力というのも十分に抗魔力を持つ力であり、キスもまた儀式の一つであるのだが、そもそも最初にかけられた呪いが何であったのか、何故呪いをかけられたのかという説明がなければ検討もつかない。
はあ、とハンスはため息をついた。
実に時間を無駄にした。
「まあ確かに、お前の言った通りだったな」
どこかコント染みた酒場の騒ぎ――起こしたのはハンス自身なのだが――を眺めながら、ハンスはウェルテルの言葉を肯定する。
「え? ま、まあ、その通り……だな?」
何故かウェルテルはきょとんとした顔をして、ハンスをまじまじと見た。
別にハンスはいつでも煽り口調なわけではない。少しその反応は不本意だったが、どちらでもいい。それにもう夜も更けたし、そろそろ切り上げて帰るべきだろう。
この酒場は吟遊詩人に直接チップを払う制度ではないらしい。とはいえ、必要な対価を払う必要はあるだろう。
時間は無駄だったが、久々に聞きごたえのある吟遊詩人の歌を聴いたのも事実だったからだ。
「マスター、こいつに酒を飲ませて、食事も必要なら出してやってくれ。“腕のいい”吟遊詩人を紹介してくれて礼を言うぜ」
「そうか、ご満足いただけたかな」
「ああ。顔はごろつきだが、十分上手いじゃないか」
率直に感想を言うと、ウェルテルは目をぱちくりとさせ、力が抜けたように椅子にドスンと座った。