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先ほどまで喧騒に満ちていた酒場の中は、まるで墓場のように静かになっていた。
少なくとも冒険者として生計を立てているという自負が、たった一人の、魔術師とはいえ見た目ひ弱な若造にいいように手玉に取られたというココロの傷は深い。
物理的に全員が項垂れている中で、空気なんぞサラサラ読む気のないハンスは一人、悠々と麦酒を飲んでいた。
「いい加減うっとおしいぞ。そもそも喧嘩を売るなら、相手を見てからにするべきだろう」
言いながら、空のグラスを差し出すと、マスターが召使のようにうやうやしく麦酒のおかわりを入れる。
冒険者の上下関係はとても簡単だ。つまり、強いものが上で、今現在の酒場のヒエラルキーの最上位に位置するのがハンスなのであった。
「そうは言っても、あれは反則だろう……」
「俺だって、一応魔術師なんだが……何をどうやったんだアレは……」
「若造に……若造に……」
打ちひしがれる冒険者たち。昔からある酒場だからか、冒険者たちの年齢層は高い。おそらくは手練れと言われる中堅どころ――もしかしたらかなり上位の冒険者たちなのかもしれない。
ハンスはこれ見よがしにため息をついた。
「若造ってなあ……。そうだ。マスター、あんたいくつだ。見た目と年齢は一致するのか?」
「どういう意味だ。老け顔だが、40はいってねえ」
言わずもがなな一言を付け加えるマスターに、ハンスはニヤリと笑いかけた。
「そうか。いいことを教えてやろう。魔術師ってのは、見た目と年齢が一致しない奴もいるんだ。例えばこの俺だが、たぶん、あんたの祖父よりも早く生まれている。というか、普通の人間であれば、俺の同年代は大体死んでるな……もちろん、寿命で」
なんだとぉっ! と冒険者たちの中から悲鳴のような叫び声があがる。
「……ああ、そういえば、魔術師というのは、そういうことも可能だったな」
マスターが放心したように呟き、冒険者の数人が必死に首を横に振る。おそらく、魔術師か、魔術をたしなんでいる冒険者だろう。
院長代理にエレーナ、アルブレヒトと、ハンスの周りに年齢と外見が一致しない人間が多いため、つい勘違いしがちだが、魔術を知っていれば寿命が延びるわけでは勿論ない。それこそ、生命の魔術に詳しい魔術師の中でも到達できるのは一握りであり、それが可能だと言うことは、十分に『大魔術師』と呼ばれるだけの資格があるのだ。
それにしても、空気が重いままだと、話もしにくい。
ハンスはてっとり早く空気と話題を変えることにした。
「まあ、俺も大人げなかった。その代わりと言うか、マスター、こいつら全員にに麦酒を奢ってやってくれるか?」
男たちの野太い歓声があがる。『奢り』であるからには喜ぶのも礼儀だ。
「さすが大魔術師様だ」
「……言っとくが、一番安いやつだぞ」
明るい表情になり、軽口を叩くマスターに、ハンスは渋い顔で注釈をつけた。
これで、ハンスと彼らは手打ちとなった。
酒が入ると陽気になるのは冒険者の性質だ。毎日毎日、薄氷を踏むような命のやり取りをしているわけではないとはいえ、その日暮らしであることには変わりない。
酒を飲んで憂さを晴らし、気持ちを入れ替えて引きずらない。それが彼らの生きる術でもある。
「あんたほどの大魔術師ならば、宮廷に仕えれば金も権力もウハウハだろうに。なんであんなジメジメしたところに引きこもってるんだ?」
酔って絡んでくる大男は、髭面で鎧のような筋肉を持つ。話を注意深く聞くと、どうも冒険者ギルドの偉いさんであるようだった。
「そんなものより自由が大切だろう。興味のままに動けん宮仕えなんてつまらん」
「違いねえ!」
ハンスの言葉に、男たちは機嫌よさげに笑った。地位や名誉よりも自由と興味――ハンスのあり方は、冒険者の彼らにとっては好ましいものに移ったようだった。
「ヘリクスのやつと関わってるって聞いたときは、とんでもねえ悪徳魔術師かと思ったが、話のデキる奴みたいじゃねえか!」
がははは、と笑いあう冒険者たちを見て、ハンスはマスターに話しかけた。
「やつは相当な恨みをかっているようだな」
「……あんたに言うことじゃないが、冒険に必要な商品の販売を独り占めして値段を吊り上げてるんだ。同業者や競争者を汚い手段でつぶすという噂もある」
なるほど、絵に描いたような悪徳商人のようだ。
「ヘリクスにモノを売るなと言いたいのか?」
ハンスは魔術師にありがちなことだが、あまり道徳心がある方ではない。金になるなら、品性に欠ける物やよっぽどヤバい物でない限り、商売する。
もちろん、ここで「ヘリクスに物を売るな」と言われても、それを聞く筋合いなどはないし、マスターももちろんそれはわかっている。
「いや、考えてみれば、あんたがヤツに売るような高価な品物は、俺たちが買えるようなシロモノじゃないだろうし、まったく恨む筋合いではないんだ。あんたの薬で誰かが助かってるかもしれんし」
「……まあ、そうだな」
ちなみに、ハンスが売っているものは、実は毛生え薬だったりする。
ヘリクス・ボーネンシュタインは血も涙もない悪徳商人かもしれないが、その悩みは人類共通のものなのであった。
「実にすまなかったな。正直、あんたがココまでデキるとは思わなかった」
デキない人間であればボコボコにされていたのだが、それもまた冒険者の弱肉強食である。文句を言う筋合いはあまりない。
「森の外れに高名な魔術師がいると聞いたことはあったが、てっきり研究職で、腕のたたないヤツかと」
「まあ、そう思うのも無理ないさ。俺の二つ名なんて知らないんだろうが……」
「知ってるさ。グリードリスの賢者様だろう」
即答したのは、意外にも、塔の下でハンスに絡んできたごろつきだった。
「ほう」
ハンスは馬鹿にしたように感嘆すると、麦酒を持った手の人差し指でごろつきを指した。
「意外と物知りじゃないか」
男は不貞腐れたように言った。
「あんたに纏わる話はいくつか知ってる。話が大きくなってるだけで眉唾ものだと思ってただけだ。一国の軍隊を一人でぶち破って逃げたとか、森を一つ消し飛ばしたとか……本当なのか?」
ざわり、と酒場がざわめく。
「本当だ。そんな昔の話、良く知ってるな」
「まあ、ウェルテルは吟遊詩人だからな」
何か聞き捨てならない言葉が耳に入った気がして、ハンスはマスターを見た。
「今、何と?」
「ああ、そういえばあんた、吟遊詩人を探していたと言ってたな。そいつだよ」
マスターが指差したのは、ハンスに二度絡んできた、そのごろつきだった。