海の王女
第一王女に女装魔女に茨の女。知り合いではあるが、あくまでアルブレヒトの妻としてしか親交のないエレーナ。
「新規登場人物が多すぎるだろ……」
思わず呟く。
そもそハンスは引き篭もり研究者なのだ。こんなに急に沢山の人間と関わるのには、慣れていないし、好きでもない。
「グリードリスの賢者様と存じ上げます。わたくしの名前はドロテア。エレーナからはよく話を聞いておりますわ。一度お会いしたいと思っておりました」
「それは、まことに光栄です」
縛り上げた相手に対して、丁寧なのか馬鹿にしているのかもしくはその両方か。ドロテア姫は礼法に則った礼をした。
なんとなく、とりあえず丁寧にしておけばいいだろう投げやりな感じすらする。
――あの魔女と似た性格なのかもしれん。
ハンスは少しばかりうんざりとした顔つきで、ドロテアを見上げた。
そのままじっと視線をそらさず見つめていると、なぜかドロテア姫は黙ってしまう。
「その、何もおっしゃらないのでしょうか」
「この状態でいったい何を言えと言うのでしょう。文句でしょうか」
「そうですね、変な言い方ですが、縛り上げられたことに対する文句を言うものと思っていたのですが……」
言いたいことがないわけではない。しかし、彼らはハンスを自由にすることを恐れているのだろう。解放を求めるにしても話を聞いてから判断した方がよいと思ったのだが。
「縛られるのがお好きとか?」
「どうしてそうなるんです!」
思わずハンスは怒鳴りつける。この王女様は人を馬鹿にしているのだろうか、これが王族の馬鹿に仕方なのか?と考えて青筋を立てる。
もうこの縄を切ってしまおうか……そんな物騒な考えが脳裏をよぎったとき、慌てたようにエレーナが声をあげた。
「申し訳ございませんが、しばらくそのままでいていただけませんでしょうか。少なくともあなたが私たちの領域に土足で踏み込まれた侵入者なのは確かなのです。そのくらいは認識していらっしゃるものと思いますが」
「あの森に所有者がいたとは初耳だな。国の所有だと思っていたが」
「……そのとおりです。王族の所有地です。だから、王女の領域だと申し上げている」
「なるほど、そうだな。それもそうだ」
そもそも、王女がこの屋敷に来ていると聞いた時点で、王族が絡んでいる可能性があると知っていたはずだ。
正論で言われると、ハンスも弱い。
「そうだな。では、これは侵入者への罰ということか。この後はどうするんだ? 犯罪者として……引き渡すつもりか?」
「いいえ。あなたはそんなことをしても、お逃げになるでしょうから」
よくわかっているらしい。
実は昔、ハンスは、とある国に幽閉されそうになり、一軍を打ち破って逃げたことがある。彼がその名前を大いに上げた出来事だから、もちろんエレーナも知っているだろう。
「それにしても、あなたがこんなところにいらっしゃるとは驚きました。最近は俗世に興味を持っているようではないですか。いえ?それとも、興味があるのは『ある女性』に関して……だけですか?」
不機嫌そうな無表情のまま、片眉だけを器用に跳撥ね上げて、声色も変えずにエレーナは言い放った。
一瞬考えて、どうやら自分が何らかの当てこすりを受けたのだと気付く。しかし心当たりはない。何かの勘違いだろう。しかし、なぜこんなことを言い出したのか気になるところではあるが――。
いや、意味などないのかもしれない。エレーナの無表情な顔をじっと見る。意外なことに敵意はない。王女もにこにこと笑っている。
――もしかして、世間話で場を和ませているつもりなのか?
嫌味か皮肉に聞こえるが、実は「本人としては面白い冗談を言っているつもり」であると、アルブレヒトが言っていたのを思い出す。
ふと、おかしな考えが浮かぶ。しかし、意外とこれは的を射ているのかもしれない。
あの、馬鹿みたいにも明るくて軽いアルブレヒトと、いついかなるときも日無表情の人形めいたエレーナ。この二人が結婚などするとは、本当に人の相性というものは理解できないものだと、ハンスはしみじみと思った。
「いや、単にここは俺の家の隣だから、狭いとはいえ活動範囲内であるというだけなのだが」
「それはそれは、あまり物事に首をつっこむものではありませんよ」
やっぱり単に脅しかもしれない。
ハンスは警戒を強くした。こんなところで無駄話をするつもりもない。
「俺をどうするつもりだ?殺すのか?」
もちろん、そうではないということはわかっている。本当に殺すつもりならば、もうとっくに殺しているだろう。
エレーナに代わり、言葉を発したのは、ドロテア姫だった。
「まさか、そんなことはしませんわ。ただ、見られてしまった以上、口止めをしないわけにはいきませんし……できれば、私たちの味方になっていただきたいと思っただけです」
一国の王女と身分のない野良魔術師。王家の人間ならばありえない敬意を自然と著した彼女は、確かに王族としては変わっている。
その笑顔は、人好きのする温かい笑みに見えて、その底はつかみ所のない仮面のようにも見えた。最近、どこかで、似た笑みを見たことがある、とハンスはふと思った。とにかく、この王女は要注意だ。
王女の問いに答えず、ハンスは高速で呪文を唱えた。
「C-1_S11~s19(セットした1魔法を開放。風を刃とし、範囲指定した場所の戒めを切り刻む)」
魔力の揺らぎに、、エレーナと女装魔女が咄嗟にドロテア姫をかばう。ハンスを戒めていた縄は、あっさりとバラバラに切れて落ちた。
「そんなに身構えなくとも、『お姫さま』に何かする気はないさ」
一歩、前に進む。この場には、はっきりとわかっている魔女が3人。エレーナと女装魔女と、王女。
海の国、アムピトリテを治めるのは、必ず、海の魔女たる女王であるという。
ドロテア姫の魔女性は、特に感知しようと思わなくとも、ただ、そこにいるだけで魔術師ならば全員がわかるだろう。それほどの魔力を持っている者は、例え魔法の使い方を知らずとも、生まれながらに『魔女』である。
――それにしても、最近、周囲の魔女率が異常じゃないか?
エレーナは才能豊かではあるが天然の「魔女」ではなく、彼と同じく魔術師である。女装魔女も同じく、魔術師である。
女装魔女の「姉」が魔術を使うかはわからないが、彼女は魔女ではあるまい。
しかし、アルトゥールの魔女だけではなく、アムピトリテの海の魔女に、未だ姿の見えぬ西の魔女。
まず、天然ものの魔女など、魔術師であっても、滅多にお目にかかれるものではない。ハンスだって、魔女を見たのは、幼い頃にたった一度だけ――
「戦うつもりはない。だいたい、いくらなんでも三対一はひどくないか?」
両手を開き、掌を上にして体の前に出す。戦わないという意思表示だ。
「あんたたちも、口封じをせず、正体を見せたってことは、俺に何かさせたいんだろう」
「力を貸していただけると、思っていいのかしら」
「事柄によるな」
エレーナの言葉に答え、じろりと三人を睨み付けると、王女が眉を下げて苦笑した。そして、左手を胸に当てる。
敬意を表す仕草であった。
「王女?!」
エレーナが叫び、思わずハンスもたじろいだ。
「私は命を狙われています。どうか、私をそれとなく守って欲しいの」
「それとなく?」
「はい」
王女は頷いた。
「あなたのような高名な方が表だって動けば、目立ちます。でも、ありがたいことに家が隣であるという縁から、少しばかり気をつかっていただければ……という程度でいいのです」
「ふうん、それはつまり――都合の悪いものを見た場合には、黙っておく、ということも含めて、ということでしょうか?」
はっきりと言い切る。しかし、王女は一切動ぜずに、美しく微笑んだ。
「もちろん、そういうこともあるかもしれませんね」
つまりは、何もするな、と、この王女は言っているのだ。
何も見ず、何も探らず、王女の側について、余計なことを言わない。そして、何かがあれば表向き手を貸す程度で良い――。
「王女の命に逆らう理由もございません。私は隠者ですから、静かに暮らすことができればそれでよいと考えております。もし、ご用命があれば、それに従いましょう」
「ご厚意に感謝します」
今度は、この茶番を彩るため、ハンスが馬鹿丁寧に正式な礼をとる方だった。