第9話
「・・・?!」
その女は、闇の中でも、ぼう、と浮かび上がるように光っていた。
ぼんやりとハンスを見て、ふわりと笑う。
侵入者であるはずの彼に、まるで知己のように微笑みかける美しい笑顔に、さすがの彼もどう判断すればよいのかわからず、ただ呆然とその笑顔を見つめた。
金の髪はどこまでも透き通り、髪飾りは赤いルビーと金で彩られている。一目見ただけでもわかるほどわかるほどに高価で優雅な逸品だった。
彼女の体を覆う白いドレスは、幾重ものレースをあしらったものであり、貴族でもなかなか着ることの許されるものではない。
しかし、ここは森の中。その白い裾を泥だらけにして省みず。侵入者にも驚くことなく。ただ、腕いっぱいに何かを抱えて佇んでいる。
茨。
茨だ。
茨をしっかりと抱えている。
彼女の白いドレスの腕を、抱きしめた茨の枝に傷つけられたのだろう、黒く汚れている。暗い森の中ではあまり良く見えないが、おそらく血だ。
よく見ると、白いレースの裾も、華奢な足元も、見事に泥だらけだ。
その姿が、装いが美しいだけに、それは異常な光景だった。
「あんた、誰だ」
話しかけられたのがそんなに意外だったのだろうか。彼女は再び、首を傾けた。
その時。
後方で、魔力が膨れ上がるのを感じる。他の誰かがいるのだ。
「姉さまから離れろ!!」
空気を鋭く切り裂くような、若い女性の声とともに、膨れ上がった魔力が指向性を与えられ、ハンスへと迫る。
ハンスは咄嗟に振り返った。
木々の向こう。闇の先に、人影が見えた。木の上に身を隠しているのか。ちらちらと服の裾が見える。
場所を移動しようとすらしないのは、まさか、まだ見つかっていないと思っているのか。それとも、こちらを見くびっているのか。
「いきなり攻撃をするとは何事だ!俺に敵意はない。出てきて話をしろ!」
敵意がないというわりには喧嘩腰で大声を張り上げる。
「黙れ!」
凛とした、女の声が響いた。
鈴を振る様な、と言いたいほどの美声だが、大声で怒鳴ると、その美しさも台無しである。
「結界の中に割り込んできて、姉さまに接触するなど、言語道断!
お前には全て忘れてもらうかうからな!」
「お前は馬鹿か!攻撃をされて忘れられるわけがないだろう!」
「ならば頭を打って忘れろ!」
無茶な要求をはき捨てると、相手は再び気配と姿を消した。
・・・つもりだったのだろう。
「光よ、我が敵を焼き尽くせ!」
かなりベタな言葉を引き金にしているらしい。しかも大声で叫べば、放った魔法の効果がバレバレだ。
言葉通り、再び、木々の間、その『誰か』がいる場所に光る魔力が集まっていく。そして、天をつくような轟音とともに、魔力の矢が放たれた。
どんなに気配を隠しても、その魔力を隠さず放てば、居場所など簡単に知れる。
「大馬鹿が。後悔してからでは遅いぞ」
つぶやくようにはき捨てると、ハンスはその手をかざし、呪文を唱えた。
ふと、茨を抱えた女がいたはずの場所を見ると、そこには既に影も形もない。
――いつの間に、いなくなったのか。
その気配すら感じさせずに、いつの間にか、近くにいたはずの女がいない。
不思議なはずだが、奇妙な納得があった。
あの女が敵意をむき出しにしたのは、「姉さま」と彼が接触したからだろう。
ならば、「姉さま」が安全だとわかったからこそ、攻撃を行ったと考えるのが自然だ。
おそらく、女を隠した人間は別にいる。
しかし、今はその追求は後回しになりそうだった。
魔力の矢は、垂直に上に放たれると共に、暗い夜の森を紅く照らしながらみるみるうちに巨大化し、ハンスへと迫る。
強気なだけはある。普通の魔術師ならば跡も残らないほどに焼き尽くされてもおかしくないほどの攻撃力を乗せた一撃だった。
「口風じか。結界内だからって、無茶をしてくれる」
光は収斂し、矢となって、ハンスに襲い掛かる。しかし、その光が着弾する瞬間、彼の腕がくるりと円を描き、その矢を散らす。
一度、二度。
どんどん光は削れて行くが、数度で消えるほどの威力ではない。
「魔力だけはあるようだな。だからこそ、魔術構文の練りが甘い。
力押しでなんとかなってきたのだろうが、ここまでスカスカな魔術構文だと・・・」
その顔が、皮肉げに歪む。
「拍子抜けだな」
彼には特技がある。それは、他の魔術師も多かれ少なかれできることではあるが、彼のそれはケタが違う。
魔力の及ぼす範囲は、人間のイメージに依拠する。
形ある攻撃にせよ、形なき呪いにせよ。全て、『対象』に対してかけられる魔法でしかない。人間の魔力では、自然法則そのものを捻じ曲げることはできず、ただ、その自然法則の中で、『何か』に影響を及ぼすことしか『イメージ』できないのだ。
ハンスは、その『イメージ』を読み解くことを得意とする。あらゆる魔法の魔術構文を覚え、その本質を掴みアレンジし、一瞬のうちに対抗する魔術構文を紡いで、その魔力の弱いところを解く。
才能ではない。
ただの、彼の全生涯をかけた、気の遠くなるような探究と、普通ならば人間をやめたとしても不可能なほどの努力の賜物だった。
なんども魔法を解くうちに、彼の体を覆い尽くそうとし、何度も襲い掛かってきた魔力の光は、ふしゅり、気の抜けた音とともに消え去った。
ガサガサと木の葉が鳴り、枝が揺れる。一撃必殺のはずの魔法が効かなかったことから、急に慌てだしたのだろう。
しかし、もう遅い。
狩られるのは相手の方だ。