第8話
魔女・・・院長代理は、ハンスも一緒に挨拶をしないかと誘と馬鹿なことを言ったが、ハンスはもちろんそれを拒否した。
孤児院の人間ではないのに、孤児院に来た王女と会うなど、不自然極まりない。
一体何を考えているのかと呆れ果てた彼は、庭を孤児院に貸したり成り行きで、子供たちと最近よく一緒にいるとことで、すっかり孤児院の支援者であると街中の人間に認識されていることを知らない。
本音では、ドロテア姫というより、西の魔女かもしれない茨の魔女を見たかったのだが、会わないと言っておいて覗くのも行儀が悪いだろうとやせ我慢をしたのだった。
いつもの、自分の部屋の窓を見る。眠り姫の塔が現れてから、それはすっかり習慣になっていた。
塔も孤児院も、そしてあのおかしな魔力の揺らぎも。全てこの窓から見つけたものだ。
本来ならば、街とは反対側、何もなかったはずの風景は、いまや、逆に何が起きるのかわからない場所へと変わっていた。
――あの、魔力の揺らぎはなんだったのだろう。
眠り姫の塔とも、騎士の死とも、茨の魔女とも、絶対に関連性がある。ないわけがない。
それにしても、あの魔力の竜阿木は一体なんだったのだろう、
ハンスは考え込んだ。
ものすごい魔力だった。その『気配』も一人の人間のものというより、自然現象のような混沌とした『闇』だった。
あんなものを人間が背負えるわけもなく、さらに言えば操ることなどできるわけがない。
ない、と思うのだが、ハンスを侵蝕しかけたときに。それを止めた『行動』には、確かに意思が感じられた。
では、人ではない……?
ここで、彼の考えは堂々巡りとなる。
あの魔力の揺らぎは、人などではない。とすれば、別の何かだろうか・・・?
その時、ぞわり、とした感覚が背筋を駆け上がった。
「なんだと・・・?!」
思わず叫ぶ彼の視線の先には、再び魔力の揺らぎを生じさせた森が、黒々と深い闇を飲み込んで、たたずんでいた。
――馬鹿にしやがって
彼に見つかっても自重する気などないのか。彼の存在などとるにたらないということか。
ぎり、と奥歯をかみ締めると、黒いローブを纏い、いつもとは違う眼鏡をかけて、そっと外へ出た。
どちらも、ただの服装ではない。彼が精魂傾けて作成した、最高の魔道具であった。
ふわり、ふわりと闇に溶けるようにマントがゆらめく。見た目だけではない。魔力の追跡も、人としての気配さえも薄くなる。
今の彼の存在に気づくことは、よっぽどでない限り、ありえないだろう。
薄暗い森を進む。魔力の揺らぎはすぐそこにあったが、気をつけなければならない。
迂闊に触れると、また、前のように『侵食される』可能性がある。
あの闇は圧倒的だ。おそらく、自分では正体を解析することも、解析しようと接触しようとすることすら、命取りになりかねない。
しかし、自分の技術の全てを魔法防御にまわせば、耐え切ることは可能だろう。
・・・可能だと思いたい。
魔力が、カーテンのように森の一部を覆っていく。普通の魔術師ならば見極めることすら、いや、継ぎ目があることすら気づかないであろう。
しかし、ハンスの特技は『解析』である。それは、実は最悪なほどに魔術師としての適性を欠いており、下手をすると魔術師としての資格すら得られなかったかもしれない彼にとって、唯一と言っていいほどの武器である。
その魔力に侵食されないように防御しながら、しかし、魔力の存在に場所を探ることに全身全霊を傾ける。
まとわりつく蜘蛛の糸を避けながら、見えない雲を、気配だけで探るような時間が続く。
彼は、そのほころびを見つけ、滑り込んだ。
結界の内部は、外とさほど変わらない。
大掛かりなそれは、おそらく人の目から何かを隠すために張られたものであり、普通の人間、いや、魔術師が見ても、ただその場所にたどり着けないだけという単純な作用のものだ。
しかし、同時に単純であるということは、だからこそ強で確実だということでもある。
魔力感知が人並みはずれて高いハンスであれ、完全に結界ができあがった状態では、見つけることは不可能だっただろう。
そこまでに周到な結界だったからか、いや、それにもかかわらず、というべきか。
そこに隠されていたモノが、あっさりと、彼の前に現れた。
道端でバッタリと出会うような簡単さに、むしろ、ハンスも、相手も、息を呑む。すぐに反応できない。
それは、あの女性。
長い金の髪に、白い貴人のドレスを着た、青い瞳の女性だった。