第2話
そんな彼を見て、アルブレヒトは、大声で笑った。
本人は気付いていないようだが、先輩は、少し変わった。
どんな理由があれ、他人を自分の領域に入れなかった彼が、こんな風に打ち解けて他人と接している。
自分だけが特別だった分、少し残念だが、それは、彼にとって、大きな隙になるだろう。
――本当に、面白くなってきた。
丸くなった『隠者』がどのように変わっていくのか。
隙もなく、知識に耽溺し、まるで他人を省みない。そんな彼の変貌に興味がある。
そんな彼を手玉にとり、論文というお宝をエサにしつつ、意を通した『院長代理』にも興味がある。
なにより、今後、彼らの動きを知っておく必要が、アルブレヒトにはある――
大笑いしたジルを物理的にシメた後、こほん、と咳払いをして、ハンスは二人を睨んだ。
「ふん、そもそも、お前らの魔術構文は未熟すぎる。
自分の真名を垂れ流して恐くないのか?」
「いやいやいや、他人の魔術構文を『読んだ』だけで真名を掴めるなんて離れ業は、普通、できませんよ・・・」
ジルもぶんぶんと頭を縦に振る。
魔法使い・魔術師にとって、自らの力の源とも言えるものが『真名』だ。
そのまま身一つで魔力を使える『古き魔法使い』にはもともあるものである。
魔術師は、それを『伝授』によって人為的に作る。魔力の少ない人間が、魔術を行使するため、世界の魔力と直接繋がるための『機関』が『真名』であり、魔術師としての『伝授』を受けることで、はじめて得られるのだ。
魔術師にとって、真名を掴まれるということは、心臓を掴まれることと等しい。力の差によっては、操られることすらある。だから、魔力行使の際に、真名を隠すことは、一番最初に習う、一番重要なことだ。
それを見破ることなど、普通の魔術師にはできない。アルブレヒトが知る限り、ハンスくらいにしかできない。
「先輩は大天才なんですから、他の人と自分を同じだと考えないでください」
ため息をつきつつ言うアルブレヒトを、ハンスは睨んだ。
「いつも言っていることだが、俺とお前の差を『才能』で片付けているうちは、お前にそれ以上の成長はないぞ」
「いつも言っていることですけど、私は別に『この程度』でいいんですよ」
『魔術』に関する捉え方が、二人では違う。
ハンスにとっては、他の全てを捨ててでも――いや、捨てるという感覚すらないほどに耽溺している一生をかけるべき学問でも、アルブレヒトにとっては、人生を楽しく生きるための道具でしかないのだ。
「まあ、いいや。今日の用事は魔術談義じゃないんですよ。
後輩からの心遣いの情報です」
含みのある発言に、ハンスは眉をしかめた。
アルブレヒトがこういう言い方をするときは、ろくなことがない。
「後でジルちゃんの孤児院にも行く予定だけど、新しくできた屋敷に、もうすぐ人が入るんですよ。
だから先輩――挨拶に『行って』ください」
「俺に、挨拶に『行け』と」
「はい」
生きていくためには、国に睨まれることは得策ではない。
だが、ハンスは、この国に仕える者ではない。
例え、王宮の庇護を受けているとはいえ、もし、本当に西の魔女だったとしても、同じ魔術師・魔法使いであるならば、究極のところは対等だ。わざわざアルブレヒトが釘を刺しに来ることもないだろう。
ならば。
「西の魔女、一人が来るわけではないんだな」
「・・・『茨の魔女』殿です」
「名前は、おっしゃらないのか」
「私が知らないだけかもしれませんが・・・そうです」
どうやら、『西の魔女』と言われていた正体不明な魔女は『茨の魔女』と呼ばれることとなったらしい。
真名はもちろんのことだが、基本的に魔法を操る者だちは二つ名で呼ばれることを好み、あまり本名を他人に知らせることはない。
これは、魔法使いたちの時代からの慣わしである。
魔法使いたちは、尊敬されることもあるが、忌まれることも多かった。また、生まれつきであり、遺伝するとも限らない『魔力』を持った者が、身分を区別することなく、ランダムに生まれでた。
身分の低い者は身分を隠すため、身分の高い者は逆に血族に累を及ぼさないため。様々な理由が絡み合い、『魔法使いは名を隠すものだ』という『常識』がこの世の中にはある。
もっとも、最近の『真名』を持ち、身分を隠す必要のない『若い』魔術師たちの間では、そんなタブーもずいぶん薄くなってきてはいる。
例えば、自らの生まれた地で自らの王に仕えるアルブレヒトなどは、堂々と自分の本名も身分も晒している。
ハンス自身も、自分の名前ではなく二つ名で呼ばれることを望むのは、単に『ハンス』がカッコ悪いという感覚だからでしかない。
名前をかたくなに隠しているのは、『古き魔女』の作法か、それとも『古き魔女』のフリをしているのか・・・。
なんともきな臭い。ハンスはにやりと笑った。
「先輩の問いにはお答えできませんが、もちろん、魔女殿お一人でいらっしゃるわけではありません」
ハンスの笑いを受け、アルブレヒトはすました顔で言い放った。
どうやら、あの屋敷には、人には言えない『王族絡み』の人間が来るということのようだった。