一条姉と作戦会議
新さんと出会ったあの時履いていたローファー。私はあの靴を、未だに捨てていない。いや、捨てられなかった。あれはあの時の私を証明する、唯一の宝物だったから。新さんに出会う前の私も確かに存在していたんだという、確かな証明だったからだ。
「――まず、一つ。まさかこちらがアジトではないだろうとは思われますが、早々に引き払ったほうがよろしいかと」
縄は解かれて、けれど目隠しはしたまま彼らと作戦会議に至る。外そうと思えば外してくれるんだろうけど、あえてこれをとらずにいてくれた彼らの好意に甘んじようと思う。
些か甘すぎるきらいはあるが、そこがまた好ましい。当初よりも随分と安心して言葉を交わせるようになれたものだ。正直言って変なもの嗅がされて昏倒させられた時は死ぬかと思った。嗅覚的にも危機意識的にも。
今も私を取り囲んではいるが、先ほどまでの切るような切迫感は無い。むさい空気の圧迫感はぎゅうぎゅう感じるけど。
「何故だ。詳しいことは言えんがここは信頼あるお方が用意された秘所だぞ」
「信頼あるお方、ですか。ではそのお方が既にアタラの手の内にあると言ったら、どうします」
「……何故何も知らないお前にそんなことが言える」
「その言葉そっくりそのままお返しします。仮にも私のあの弟が今この場所を特定できていないだろうと誰が証明できます? もしくはもう既に向かっていると、どうして疑わないのですか?」
動揺の声が広がる。
どうでもいいけどこの人たちは一体どこまで情報を掴んでいるんだか。私がアタラの姉という事実を公表されていないにもかかわらず、僅か五日で掴んだことはなかなかなのだがそれ以外がなっちゃいない。子供の私でも指摘できるほどの穴が多すぎる。
妙な引っ掛かりを覚えつつも、どうするんだと戸惑う彼らに後押しの一石を投じる。
「移動してください。ただし地図に無い場所はいけません。逆に限定されやすくなる。……そうですね、長い間使用されていない、講堂や集会所……いや、むしろ賑やか且つ迂闊に入れない場所。ここ最近で起きた暴動の場所は?」
「いや、おい、そんな分かりやすいところにいたら軍に一掃されてお終いだぞ。それにあそこはまだ軍と睨み合ったまんまだ。下手な真似はできない」
「だからこそですよ。貴方方がレジスタンスであろうがなかろうが、連中は貴方方を見てもその一員としか思わないでしょう。無論、荷物のような私を持っていたとしても、まさかそれが拉致してきた人質だとは誰も思わない」
そんな分かりやすいところにいたらそれこそ計画破綻ですからねえ。木を隠すなら森の中ってもんですよ。
言うと皆、口を噤んでしまったらしい。一瞬の逡巡の後、よし行こう、と声が上がった。
「では私のことは麻の袋か何かに入れて運んでください。その間は人質扱いではなく文字通り荷物扱いでよろしくお願いします。万が一にも中身が漏れないように、きっちり口を閉じてくださいね」
「……お前さあ」
呆れたような声が上がる。刀の君らしき人の手が私を支え、立ち上がらせてくれながら言った。
「よっぽど弟が嫌いなんだな」
ふふ。何をおっしゃるやら。新さんは私の弟なのだから、これくらいしてもまだまだ生温いくらいなのですよ。
彼らは本当に、荷物のように運んでくれとの私の要望に忠実に応えてくれた。つまり、まあ、もっと簡単に言えば折り曲げていたひじとか膝とか、頭とか肩とかお尻とかその辺のでっぱった辺りをしたたかに打ちつけまくったために明日くらいには斑模様の姉が誕生するのではないかと、そういう生産報告。
そんなわけで支援物資よろしく移動させられ次に着いた場所は、どうやら最初に連れてこられた場所とは違い、ある程度広いところのようだった。何故それが解るかというともう目隠しをとってしまっていたから。
袋を開けたら私が目隠しを勝手に取っていたから皆さん一様にして戸惑っていたけれど、実は運ばれている途中に考えていた私なりの計画のためにはこれを外しておいてもよいだろうと結論が出たから外したまで。それを言うと私のごつい弟達は悪戯を思いついた子供のような顔をして、「聞かせろよ」と私を脅し、もとい強請ったのだった。
どうでもいいけれどいい歳した大人が女子高生を囲んで素直にふんふんと話を聞く様はけしからんな、と思った。実にけしからん。ごつい筋肉達に萌え死にしかけるとは。
「さ、て。貴方方は、私を拉致してどうなさるおつもりだったのですか?」
聞くと、なにやら目を泳がせて皆口ごもってしまった。私の左隣に座った刃の君、もとい自己紹介によるとアブラアムさんをじろりと睨むと、気まずそうにサッと目をそらした。この人たちって絶対嘘つけないタイプだ。可愛いなあ。
「私には聞かせられないと? 先ほどは興味が無いと申し上げましたが最低限の計画の主旨だけでも教えてくださらないとどうにもできません」
「いや、だって教えちまったらお前益々アレだし、それに……なあ?」
計画内容を話したら私の後々での立場が、と。甘い、甘すぎる。さっきから思っていたけどこの人たち甘すぎる。砂糖菓子より甘い。
しかも他にも何か理由があるのか。彼らが口ごもる理由というならその私に関する理由、と或いは新さんに関する理由、かな。
「……ああ、そうですか。目的は王室相手というよりも新さ、アタラなのですね」
「……やっぱり解るか」
「わからいでか」
まあ、ぶっちゃけると、というかぶっちゃけるも何も私は王室には全く関係の無い人間。この国に対して帰国を惜しまれるほどの立派な行いをしたわけでもなく、かと言って傷一つ無い白薔薇を贈られるほど人望のある存在でもない。私は新さんの姉。そんな薄っぺらい肩書きだけだ。
自嘲が少なからず湧き上がってくる。相反して、にやりと口元だけが勝手に笑みを作った。
「ならばよろしい。最初から私達の目的は一つではありませんか。私の詳しい目的はまあおいおい語るとして、そちらさんはアタラと直接交渉とかもしくはそのお膳立て辺りでしょうかね」
「……もう何も言わねえよ。続けてくれ」
どうやらお墨付きを貰ったらしいので、ご厚意に甘えて続けることにする。
「では、生憎と私は軍事作戦や隠密行動などの知識については全く皆無ですので、これから話すことはアタラについての情報提供、とだけ思っていただければ幸いです。計画遂行にあたるその辺りの段取りは貴方達にお任せします。よろしいですか?」
各々、無論だ、とばかりに頷く。まあ、私を拉致してきた辺りでその辺りの行動力は優秀なのだろうから問題ないだろう。問題は、そうだ。我がチートの弟、英傑アタラ、或いは私より一歳だけ年下の少年一条新その人だ。ここからが、大事。
コホンと一つ恒例の咳払い。おっ、とばかりに皆さん聞く体制に入ったのを快く思いつつ、息を吸い込んだ。
「まず、貴方方の逃走経路はまさか、確保したりしていませんよね?」
ちろ、と睨むと皆渋い顔をした。してるのかな。してるのかもな。仕方ないか、とため息をつくとアブラアムさんが庇うように口を挟んだ。
「そりゃ俺達もあの英傑に挑んで全員がただで済むとは思っていない。ただ、ここには捕まっちゃ困る奴らもいる。そいつらだけでも逃がしてやりたいと……」
ああ。貴方方年齢もばらばらだもんね。どうせあのとき最初に私を小娘とか呼んだあの人とかあの人とかあの人とか、未成年だの妻子持ちだのという人のことを指して言ってるんだろう。
しかしそれじゃあいけない。私は否定を示すように首を横に振る。
「貴方方が対峙しようとしているのはアタラ。私の弟ですよ? 決死の覚悟でなければ会うこともかないません。いえ、それこそが彼に会うための絶対条件です」
「なんでそうお前の発言はいちいち説得力があるんだ」
「アタラはね、そういう人間だってことです。真摯な相手の話は同じように真摯な態度で臨みますし、逃げ道を用意している相手ならばそれを徹底的に阻む。一人として逃げることなど叶わないでしょう。恐らく今想定していらっしゃる逃走経路は既に彼の手の内です」
鏡のような存在。それが新さんだ。どれだけの力を持っていようと、映し出した本人そのものと同等のものしか返してこない。それが悪意や悪事ならばなおさらのこと。手加減なしと言わなければ自身の力など全て発揮したりはしない。その上で、できうる限りの力で叩き潰す。それが一条新、もとい、英傑アタラ。
けれどその多くは、自分のためではなく相手のためだということも私は知っている。先手に周りながら、後手に動く。そんな出来すぎる弟をずっと見てきた。私は。
話しながら、心の内がすーっと醒めていくのを感じる。この感覚も、新さんに出会ってから得たものだ。もうこんな自分にさえ慣れた。慣れてしまった。
「二兎追わないのであれば、アタラはそれ以上のことはしません。つまり無計画であればあるほど、ずさんであればあるほど、アタラはそれを返してくる。そういう男なんですよ」
それこそが新さんの美徳。聞いた皆の顔に、微妙な色が宿るのが見える。私はそれを見逃さない。きっとこの人達は、言わないけれど恐らく――。
「じゃあ、どうすればいいんだ。全員大人しくお縄につけってか」
「いいえ。貴方方は複数の方がやりやすいと集められた。しかしその必要はないと言っているんです。彼を引きたいだけならば、実行犯は人質であり餌でもある私ともう一人、案内人だけでいい」
ちらりとアブラアムさんを見ると「俺?」とばかりに吃驚した様子で見返してくる。当然。貴方以外にいないし。
しっかり頷くと、何故か他のメンバーが少しだけほっとしたような顔を浮かべた。む。私と二人っきりはそんなに嫌なのか。つれない弟達だ。
「実質アブラアムさんの単独犯ということで行動させていただきます。いいですね、アブラアムさん」
覚悟できてんでしょ? と見ると、ちょっとうろたえつつも当然だと胸を張ってくれた。くそ、なんて操りやすい素直で可愛い弟だろう。にやけそうな頬をなんとか押し込めつつ、努めて神妙に頷いて見せた。
「単独で行動することの意味は三つあります。一つは身軽なこと。もう一つは不測の事態への対処も比較的簡単なこと」
皆が頷く。アブラアムさんだけは「それって単に俺だけ危険なだけなんじゃ……」とぶつぶつ言っていたけれどスルー。いい加減私に習って皆さんもスルー耐性がついてきた。飲み込みのいい弟達でお姉さんは嬉しい。
「もう一つは、彼は一対一を特に好む、という理由からです」
皆が面食らったように押し黙った。その他にも私なりの理由があることには気づいていない。それよりも心なしかアブラアムさんに同情的な目を向けている。
なーんでもう負けを悟ったような顔しているのかアブラアムさん。喧嘩売ったばかりでしょうが。
「いいですか? 彼は多勢に無勢と言う状況も楽しむ男ですが、一対一となるとその比ではありません。こちらがそれを望めば、あちらからそれに適う状況を用意してくれることでしょう。つまりその意思を示せば、彼も同じだけのハンデを己に課す、ということです」
新さんはどんな相手に対しても、ハンデは用意しようとも負ける気はいつだって微塵も持ったことが無い。例え相手と自分の差が歴然であろうとそれなりの状況と状態を用意して、自分なりに対等な立場で勝負しようとする。それが私の弟、新さん。
だからこそそんな新さんに対して一人で立ち向かおうとする相手を新さんは好むし、無論それに値する状況をきちんと用意してくれる。新さんは、手加減はしても手を抜いたりはしない。戦うときはいつだって真面目に取り組む。私はそんな彼をずっと見てきた。そんな彼の傲慢さを、ずーっと傍で見つめてきた。
「だがよ……それを聞いたら益々もって無理な気がしてきたぜ。そんな奴と一対一で戦って勝てるのか?」
「……果たして勝ち負けの問題なのですかねえ」
「あ? お前が言ったんだろうが」
「失礼。今のは個人的な独り言です」
おっととまた失言っと。怪訝な皆さんの目を誤魔化すためにサービススマイル浮かべつつ、頭の隅では別のことを考える。
この拉致の意味は大方のところは大体読めた。それに必要な役者と舞台は、多分私にも検討がついている。あとはそのタイミング。そこをうまくやらなければたちどころに破綻するだろう。
全く、大したゲームになってきたものだ。ここまでお膳立てされるとは思わなかった。もう私モブどころか準レギュラーくらいのカテゴリに分けられてしまっているんじゃあないだろうか。うう、ぞっとしない。せめて一話限りの準レギュラーであることを祈ろう。
「勝つか負けるかなど大した問題ではありません。貴方方はただ結果を出したいだけ。そうでしょう?」
「……まあ、それは、そうだが」
「それなら簡単です。彼はどんな勝負でも最後は絶対に勝つ。負けるつもりなんて毛頭ない。だからこその驕りが生まれる。そこを利用してやればいいんです」
どうやって? と口をそろえて言う彼らに、私は信頼のシンボルを口元に湛えたのだった。
姉:これはもしかして俗に言う逆ハーというやつですかね。
新:全員マッスルで固められた逆ハーか……。