佐藤かえでと一七四代目
元旦は例年よりも多い積雪が観測されました。
だっけ。例年よりも多いのだそうです。雪が。ついでにすんごく寒くて、ニュースのお姉さんが言っていた通り雪だるまが作れるくらい雪が降って、新さんが作った雪だるまは雪だるまというよりミシュ○ンのあのキャラクターで、その出来の良さに大笑いして、それから初詣に行きました。道中道連れには例年よりも二人ほど多い人数が観測されたそうです。
人ごみの中に一条さんと新さんのとんでもなく目立つ二人がいると、便利なことがよく解った。
まず、その存在感ゆえに道行く人が前を歩く人でさえもその存在を察知して振り返り、目で追わざるを得なくなる。そしていざ境内に入ると半端ない人ごみだというのに、二人の不可侵のオーラが働いているのか心なしあんまり人とぶつからない。ある意味人避けに最適な二人であった。
と言っても、やっぱり混むものは混むようで、時折人にぶつかりそうになったり何もないところで躓きかけたりするお母さんを、一条さんは見事にエスコートしていた。そんな二人を見て私は隣の新さんをちろりと見やり、なんだよと視線を返す彼に向かって肩で軽く小突いた。特に意味はない。案の定新さんも小突いてきたので、私と新さんはいいムードの二人の後ろでいかに人ごみに迷惑をかけずに小突きあうかという意味のないゲームを始めていた。
ともあれ、地味に前に進んでいたようで、いつの間にかお賽銭入れの前に辿りつく。例年通り『重々ご縁がありますように』の願掛けで私は二十五円を放り投げ、神様にご挨拶する。お願いは去年と同じく無病息災家内安全。毎年願掛けと願いが一致しない。ついでにとばかりにちらっと横を見るとお母さんはまだ目を閉じていた。きっと、『今年一年家族みんなで楽しく過ごせますように』とか日和見的なお願いをしているんだろう。そんなお母さんを見て、私も思った。
大丈夫。お願いはきっと叶うから、大丈夫。そうでなくても私が絶対、それを守ってあげる。お母さんのお願いが叶うように、守ってあげる。
神様でもないのに偉そうな返事を、心の中でお母さんに向けて呟いた。そんなお正月。本当にそれを全うすることになるとは、実のところ本気では思っていなかった。
一条さんは忙しい。お休みだって不定期ってくらいまともに取れていない。それでもここぞというイベントの時にはしっかり休みを取ってくれて、皆で沢山いろんなことをした。吃驚するくらい、濃密な時を過ごした。
あの時私は確かに満ち足りていた。不満なんてもう殆ど、残ってはいなかったんだよ。多分ね。
年明けて、私は受験生になり、新さんは中学二年生になった。桜も葉桜へと移り変わり、冬の名残の寒さも薄れた頃、私はそれに気がついた。
きっかけはクラスメイトの一言から。
「佐藤さんてさあ、あの一条君と一緒に住んでるって本当?」
『あの一条君』
最近良く耳にする言葉だった。二年のときはそうでもなかったのに、何故だか春を過ぎた頃からこんな質問が多くなった。どこから情報を仕入れてきたのかは知れないけれど、どこぞのご親切な方が懇切丁寧に噂を広めてくれたらしい。ありがとう。お礼をしたいから是非名乗り出てほしいんだけど、一体今どこで油を売っているのかな。ちゃくちゃくとお礼参りの手段構想が増えていく日々。そんな中でいつも耳にしていた『あの一条君』。
別に、気にしなかったわけでもない。あの一条君がどの一条君なのかと問えば、十中八九がフルネームで答えてくれた。となるとやっぱり新さんのことには違いないけれど、新さんは公立でさらっと入った私とは違い幼稚舎から連なるお坊ちゃま御用達の私立校に通う未来のエリート様だ。なんでそんな彼のことを知っているのかと問えば、愚問とばかりに誰もが驚いていた。驚きたいのは私の方なんですがね。
さて、そこで無知な私に彼らが切々と語った、一条新逸話伝。
まず、天上天下あまねく全てのものを魅惑する美貌の持ち主。あ、これは知りえた情報から私が勝手に備え付けたアオリ文だけど。こっちも考えた。
『その美貌、世界を征服す――!』
どうよ、どうよ。誰かに言う勇気は流石にないけど。それはともかくも冗談と言うわけでもなく、一条新はその界隈では知らない人間は誰もいないくらい有名らしい。その界隈ってどこなんだろう。新さん闇の住人扱い?
噂では亡国よりお忍びでいらしたお姫様の心を奪ったとか、その美貌ゆえに老若男女問わず日々求婚される毎日とか。かぐやひめかーい。と私がつっこんだとかそうでないとか。今度新さんに火鼠の衣や子安貝を持っているか聞いてみようとそのとき心に固く誓いましたとも。
それから、これ。神童。噂では新さんはもう既に大学課程すらも海外で修了しており、今も数多の大学からの要請により内密に籍を置いているところが多数存在する、と。ギャグですやん。ここまでくると。笑いをこらえるのに必死でした。
でもまだあった。一条家の裏の総帥。それが一条新なのだという。一条家自体も相当大きな家系らしくて、私の住んでいる町の隣の街なんかには高級住宅街が軒を連ね、そこには一条家の人間も多く住まっていて、その街自体を一条家が総ているも同然な市政なのだという。それでなんで新さんが裏の総帥とかボスキャラ倒したあとの真のボスキャラ扱いされているのかと言うと、一条家は時期当主を既に新さんに定めていて、半ば崇めているような状態なのだという。
だがしかし。眉唾物臭がぷんっぷんするその噂、出所を聞いてみれば案の定誰も彼もが曖昧で、それまでその噂とやらをまるで見てきたかのように話した様子は見る影もなく形を顰めた。つまり噂が一人歩きどころか全力ダッシュで駆け抜けている最中らしく、私が新さんと住んでいる、もとい家族ごっこしているという噂もそれに乗せられて広まったらしい。
全くはた迷惑な話だ。新さんがどれほどのものかは知らないけれど、ここまでくると例えそれが彼を信奉するゆえの噂だとしても悪質だ。結局のところ誰も彼の人間像を知っている者はいないんじゃないか。呆れを通り越して疲労感さえ湧いた。
なんなのだろう。一条家とは。新さんがすごいといっても、むしろその噂は一条家たる所以から湧いて出たものにさえ感じる。このとき漸く、少しだけだけど、考えもしなかった一条家という大きなその存在を、私も意識し始めた。
噂については勿論新さんに言及してはいない。単純に考えれば、自分がどこでどう噂されているかなんて知りたくないだろうという話になる。知っていたとしても、今更そのことを私にどうこう言われたくもないに違いない。私とてそんな話をして何か利益が生じるならともかく、逆に不興を招きかねない話題だ。あえてそういった類の話は、避けて通った。
私はよく一人で出かけることがある。何故一人なのかなんて特に理由は無いけれど、いちいち誰かにお誘いをかけるという一連の流れが面倒で、買い物もお母さんと行くか一人で行くか、専らいつもそんなもの。勿論人に誘われたら大抵は断らない。ただ自分が行く場合は、一人で行って一人でさっと帰るのが好き。それだけ。
それだけ、なんだけど。最近の私はそんな一人の買い物の機会さえ、めっきり減っていた。理由は何故かって、言わずもがな、新さんだ。今だってそう。隣で何を見るともなく、心なしつまらなそうに私の傍らに陣取っている。機微が見えないから無表情にしか見えなくてどうとも言えないんだけど、その辺りはこれまでに培った新さんの表情レパートリーの統計上そんな感じに見えるから、きっと当たっているはず。
「つまんないならさあ、ついてこなくていいよ」
つまんない顔されて横に張り付かれてもこっちが楽しくないからついてこないで。
と、オブラートに包みまくって言うと、今度は子リスみたいに目をパチパチさせる。言われたことに自覚が無かったらしい。なんだってこの子はこういう理解不能な行動に出るのだろう。何を察知してほしいのか、解れと言う方が無理な気がするのは私だけなのかね。
「なんでさあ、ついてくる、いや、ついてきてくれるの?」
危ない危ないぽろっと本心が零れかけた。この思ったことをすぐ口に出す癖なんとかしなきゃ。とは思いつつも、しっかり顔には出ていたらしい。新さんは少し俯き、ちらっとお伺いを立てるように上目遣いで私を見た。はい、美形でなきゃ殴ってるところですね。
「ついてこられると迷惑なのか」
「いや、そういう問題じゃなくてだね」
じーっと一心に目を見つめてくるものだから、敵わない。どうしてこうこの子はあけすけもなく人を真っ直ぐに見るのだろう。いつかそれで痛い目を見るんじゃあなかろうか。いやもうあっているのかもしれない。ため息つきつつ、新さんを伴い店を出た。
「新さんだってさあ、暇じゃないでしょ? いちいち私についてくれなくても」
「暇だ。ものすごく暇だ。暇を持て余してる。どうしようもないくらい。狂おしいくらい」
「それはちょっと病院に行ったほうがいいよ内科的な意味で」
もうなんなの。一体全体何がどうしてこうなってるの。SPじゃないんだからさあ、出かけるたびに逐一ついてこなくていいんですけど。
とは、言いたくても言えない。なんでかって、彼がこんなことをしている理由に一応心当たりがあるからです。最初に一緒に出かけたときに、置いてけぼりにされたこと。多分謝るタイミングが見つからなくて、代わりにこんな行動に出ているんだろう。
つくづく性根が真っ直ぐというか、口数少ない割りに正直というか。すれてるのかと思いきや根本的には全くの手付かず。時々羨ましくなるくらい、彼は私に純粋な一面を見せる。少なからず信頼を得た証拠なのかと思えば嬉しくなくもないけれど、なんだか心境は複雑だ。確かに、新さんはいい子だ。でもなんだかそれが危うさにも感じるときがあるのは、私だけなんだろうか。
複雑な思いを抱えながら新さんに目を向けると、『次はどこへ行く』と言わんばかりの真っ直ぐな眼差しを返してくる。犬みたい。千切れんばかりに振り回される尻尾が垣間見えた気がして、思わず噴出してしまった。
「なに」
「いや、ちょっと疲れたね。休憩がてらにどこかでのどを潤しましょうか、新さん」
「いいよ」
誤魔化すために言ったけれど喉が渇いていたのも事実。丁度近くにあったオープンテラスを指差すと、新さんも素直に頷いた。そのとき、まるで私たちの前を阻むようにして見知らぬお姉さんが立ちはだかった。
「新君? 新君だよねえっ。うわあー、久しぶりね!」
誰。
フェミニンなOLのお姉さんって感じの人だ。思わず新さんを見上げると、思いのほか新さんは面食らったように目を丸くしている。何、覚えてないとか?
何も言わない新さんの返事を待たず、そのお姉さんは一発決めてるんですかってくらいのテンションでまくし立てる。
「大きくなったねえ。あれ、その顔はもしかして忘れたの? やだなあもう、超ショック」
おいおいそこはかとなく喋り方がイラつくお姉さんだな。このお、とか言ってさりげなくボディタッチしてるし。何なのこの人。すんごい美人だし、年上の元カノ? 随分しゃべり方といいお胸といい自己主張の強いお方とお盛んなのね。
なんて揶揄を込めて新さんを見ると、まだ何も言わない。というか、何かがおかしい。目を伏せ、いつもの無表情を決め込んでいる。心なし青ざめているようにさえ見える。なんだろう。雰囲気が急に硬くなったような気がする。目を顰めてじっと見つめると、目の前のお姉さんのことも私のことも見ていないその眼差しが、僅かに揺れた。
「新君? どうしたの? やだなあ、忘れてても怒ってないから、立ち話もなんだし」
「あのー」
「あ、カエデちゃん、よね? 貴方も一緒にいいわよ」
おおーい、なんで私の名前までご存知なんでしょうかね。しかも何気に上から目線。見るとうっとたじろいでしまうくらい眼差しが燃え盛るようにぎらついている。邪魔しないでよこのちんちくりん! とかいう声が聞こえてくる気までしてくる。言葉と態度が裏腹にも程があるでしょうが。
若干その必死すぎる形相にびびりつつも、何とか私も普通を装って言った。
「この子、新君なんて名前じゃありませんよ。人違いだと思うんですけど」
「え?」
お姉さんの表情が怪訝になったその隙に、すかさず畳み掛ける、私。得意のスマーイル。
「彼は本名を矢部野彦麿と申しまして、先祖代々より受け継がれし陰陽師の家系の一七四代目跡取りであらせられます。本日下界に下りました故は話すと長くなるのですが」
「ちょっと、」
「そもそもこのような雑踏の中には我々の呼称で言いますと魑魅魍魎、所謂妖怪と呼ばれるものの類が時の狭間によく潜んでおりまして、このようにして一七四代目も御自ら修行の名目にて人の世にはびこる悪しきあやかしを成敗せんとこうして御身を以って街に繰り出しているのですが、あっ、すいませんこんな長話。立ち話もなんですものね。場所を移動してじっくり門下入門の話を――ってあーあー、行っちまいやがった根性ねーの」
気持ち悪いとか去り際に言ってんじゃねーぞ若干傷つきましたわよお姉さま。
若干周りの道行く人々がじろじろこっちを見ていて今更ながらにすごく気まずい。さっさとこの場を離れようと振り返ると、新さんがそのまま蹲るんじゃなかろうかというほど身を屈めて震えていた。
なによ。泣いてんの?
心配した自分を一瞬後には殴りばしたくなるとは知らず、彼の顔を覗き込んだ。
「ちょっと新さん」
「誰、だよ、矢部野彦麿って。時の狭間って、どこ……っふふ、はははは」
「おーい今すぐ強制的に時の狭間にぶち込んでやろうか」
どうやら相当ツボだったらしく、立っていられないくらいおかしいらしい。かと言っても道のど真ん中。ここじゃあ迷惑になると忍び笑いを続ける新さんを半ば引きずるように連れ、少し先に行ったところのケーキ屋さんへと入った。
奥がカフェになっているので人目もそれほど気にならないしケーキは美味しいし一石二鳥。ただし若干お高め値段設定なので案内されたと同時に「ここ新さんの驕りね」と告げましたとも。入ってから言う。ここポイント。幸いなことに新さんは笑いが抜けない引け目からか特に文句を言うでもなく頷いたので、前々から狙っていたケーキセットを頼んだ。段がついててね、色んな種類のプチケーキが味わえるんです。目の色変える私をよそに、新さんは普通のコーヒーを頼んでいた。
「で、さっきの人なに」
「え」
ちょっとねえ、異様だったから。当事者の私としては少しくらいお話を伺っても、罰なんてあたりゃあしませんわよね。興味本位半分、そのほか諸々半分の気持ちで聞いてみた。首をつっこみたいわけじゃないから、追求まではしないけど。それでも新さんは私の本心を知ってか知らずか、馬鹿正直に反応する。いつも真っ直ぐなその瞳を曇らせ、怯えるように目を泳がせた。
「ごめん」
「謝れって言ってるわけじゃないんだけど。新さん悪くないでしょ」
「うん。でも、ごめん」
なんでそんな顔するの。まるで私が責めてるみたいじゃん、やめてよね。でも何を言おうと新さんは謝るだけのような気がして、二の句も告げられなくなる。
何故、彼が謝るんだろう。新さんは悪くないのに謝って、それで私が罪悪感を感じなきゃならないなんて、そんなの御免だ。冤罪だ冤罪。なにかが違う気がするけど、それは無視して問いかけた。
「なんで言わないの? いやなら嫌って言えばいいじゃん」
「……言っても、通じないから」
「いや、誰の話してるの。今は私たちの話してるんだよ」
ぱちくりと、子リスみたいな可愛い顔になる。それそれ。そっちの方が新さんらしい。らしいって言うほど、知らないけどさ。
「あのさあ、新さん言葉が足りないんだよ。だからごめんけど、わかんないの。新さんがどう思ってるのか」
エスパーじゃないし、前世から約束された間柄でもなし、ぱっと見てその気持ちを察するなんて芸当、私には無理だ。愛やら友情やらを持っていると出来るのかもしれないけれど、そんなに海より深い情も持ってない。つまり他人同士なんだから、言わなくても解るなんて、そんなの私はできっこないんだよ。
物言いが辛辣すぎるせいか、新さんの眼差しが申し訳なさそうに揺れる。それ。それもなんかおかしい。ついつい難しい顔で言ってしまう。
「なんで謝るの。新さんは悪くないって言ってるでしょ。なんか私も大概偉そうだけどさ、私の方が新さんに謝らなきゃなんだよ」
「それは違う」
「違わないよ。私がもっと聡ければそうやって新さんに謝らせたり、本当は行きたくもない人ごみに連れ出したりしなかったのに」
新さんが、はっとしたように私を見た。それが私の言っていることを肯定しているようで、少しだけ悪いことをしたような気分になる。だから言えって言ったのにさ。誰も好き好んで悪者になんかなりたかないよ。きっと一番初めに出かけたあの時だって、本当は行きたくなかったんだ。それだけの理由でのあの態度ではなかったみたいだけど。
罪悪感なのか怒るのかわからない気持ちが込みあがる。だって苛々するから。新が余りにいい子ちゃん過ぎて。
「嫌なら嫌っていいなよ。なんで遠慮するの。私みたいにもっとばかすか言えばいいじゃん。ってなんかもう責めてるみたいになってるしさあ。ああもうどうせ私は性格きっついですよ」
「そんなことない」
「……どうも。そういうことはすぐ言うんだもんね。あのねえ、あんまりこういう何様ぶったこと言いたくないんだけどさ、一個だけ聞いてよ」
言うと、新さんは神妙に頷いた。なんでこう素直なんだか。もっとなにくそ根性あってもいいと思うんだけど。ああ、ないわけじゃなくて、根がいい子だからね。いやな風にとらないのね。けっ、どうせ私は根っから悪い子ですよ。まあいいや。この際だから言っちゃえ。
「大分前にさ、お母さんが私に言ったのよ。経緯は忘れたんだけど」
「うん」
「『言うより言わないほうがよっぽど困る』って」
いつだったっけか、私が何かお母さんに遠慮したときそういわれた気がする。私としては生意気にも気を使ったつもりだったんだけど、後で結局事が露見して、困った顔でお母さんがそんな事を言った。それがなんだか妙に、印象に残った言葉だった。
「別になんでも話せって訳じゃないんだけどね? 多分お母さんが言いたかったのは、嫌なこととか困ったこととか、そういうことくらい素直に言いなさいって言いたかったんじゃないかなって」
そのときは我侭との区別がつかなかったから、そうしてしまった。でも今ならちょっとわかるかな。私だってお母さんが困っている事を言ってもらわなきゃ、困る。それに哀しくなるし、寂しくなる。そういう遠慮なんてされたくない。お母さんに出来ることなら私だってなんでもしたいんだ。そう。力になりたいんだよ。
「他人に言えってんじゃなくてね? 言える人にくらい言いなよってこと。まあ、簡単なことでもないだろうけどさあ。でも話してもらえないと結構寂しいもんだよ」
「そう、かな」
「そうだよ。言ってもいい人、いるじゃん。一条さんとか。予備でお母さんとか私とか」
「予備って」
「予備だよ」
一番はやっぱり、一条さんでしょ。あの人結構お父さんの眼差しで新さんのこと見てるんだ。きっと一条さんも寂しいって、思ったりするんじゃないかな。知らないけどね。他人事だし。
無責任極まりないことを言うと、新さんがふっと笑う。
あ、きた。その笑い方。それ一条さんが見るとね、伝染するみたいにおんなじ笑い方するんだよ。新さんが笑うのが嬉しいんだろうね。私が、お母さんが笑うのが嬉しいのと同じようにさ。
「うん、ごめん。いやありがとう。じゃあこれから色々言っても、いい?」
「おう。遠慮すんな。なんてったって新さん我が家で最年少だからね。甘え盛りだよ」
いや全く羨ましいことで。
心の中で揶揄したところで、ケーキセットが届いた。言いたいこと言ってスッキリしたら今度は食欲。もさもさと食べて、それを見ていた新さんが食べたくなったらしくケーキを注文したついでに便乗して同じものを頼んだ。そのときの新さんは、全く清清しいほど呆れた顔で「太るぞ」と私に言った。
――それから、後で知ったこと。
新さんはあのことについては結局何も言わなかったけれど、ああいったことは彼にとっては日常茶飯事だったらしい。見も知らぬ人間に声をかけられ、相手は自分のことを名前どころか素性まで知っていて、気安く話しかけてくる。その困惑と、得体の知れない恐れ。そんなことが何度も起これば、そりゃあ外に出るのも億劫だろう。
他にも色々とあったようで、けれど新さんは私にその話をしたことなど一切なかった。けれど彼がそれさえも押し込めて私についていこうと思ってくれたことには、なんだか申し訳なくも面映かった。きっとそれを話さないのは彼なりのプライドと優しさとがあってのことなのだろう。
私は少しだけ、そんな彼の力になってやりたいと、思った。そのときはただ純粋に彼の力になれればと、そう思えた。
何故、もっとよく考えなかったんだろう。
どうして新がそんな目にあうのか。そんな風に接触してくる人の目的は一体何なのか。
私はそのとき盲目過ぎて、そして救いようがないほど無知だった。