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COMPLEX TRIP!  作者: Tm
第三章 佐藤かえで ~過去編~
23/37

  佐藤かえでと夏の夜の夢

 例のゲームはいつ生み出されたか。それはくだんの出来事から数週間経った頃のこと。煮えたぎるような夏の日々も終わりそろそろ初秋に差し掛かる、季節の変わり目。いつからそれは動き出していたのか、私達の関係にも以前とは違う何かが、見え隠れし始めていた。それが私と新を繋ぐ糸の、変わり目。




 あれから新の態度はそう変わることなく、私の方が拍子抜けするほどいつも通りに新は接してきた。いや、接してきたというか、特に接する機会もなく従って避けられる事自体が起こりようが無かっただけの話かもしれないけれど。

 そして懲りない私はというと、自分で言うのもアレだけど鬱陶しさも更にパワーアップしていた。


「あーらったくん、ご機嫌いかが?」

 ぽんぽんプニッ。よくあるよくある。

 誰もが一度は経験済みの、肩を叩いて振り向きざまに人差し指トラップ。無論誰かに悪戯など仕掛けられたこともないお坊ちゃまちゃまの新君は面白いほど簡単に引っかかってくれ、その時の彼の表情ときたら、思わず心の中で会心のガッツポーズを決めてしまったほどという上出来加減。その瞬間は彼の子供らしい一面を垣間見れた、貴重なナイス悔やし顔でしたとも。

 しかし事はそれでは済まなかった。後日再び、勉学に励むべく机に向っている彼の後ろに忍び寄る私。再びトラップを仕掛けようと手を伸ばしたその私の右手を、あろうことか手前からぬっと現れた彼の左手が素早く捉えた。

「お、っとお?」

 思わず面食らい呆けた声を上げると、会心の微笑み、一条新バージョン。どや顔で振り返りこちらを仰ぎ見る彼の端正な面差し。その勝ち誇った眼差しに、私の中の闘争心がめらっと一気に燃え上がった。

 よかろう。ならば左だ。うらぁっとばかりに繰り出す豪速の左手。

 しかし。

 無駄無駄無駄ァとばかりに再び鋭い徒手空拳が私の左手を阻んだ。

 うおおおおい読んでたよこのお坊ちゃん。再びどや顔二割り増し追加入りましたー。

「ふっ」

 なかなかやるじゃあないか。悪戯に免疫のない箱入り息子と見て侮っていたよ。薄ら笑いで力の篭もっていたその両手を弛緩しかんさせると、彼も笑むように目を細め拘束を緩める。両手が開放され、私はほっと一息つくように息を吐いた。

「ほ!」

 唸れ、閃光の両手キラートゥーハンド

 中二めいた技名を思い描きながらどつく勢いで両手を繰り出す。――が。

「甘い」

 ぱしぱしっ、と後ろからの攻撃を見事に掠め取られる。ぐぬぬ生意気な。ならば、と追撃。再び阻止。

 そうして、そんな攻防を飽きもせず小一時間続け、いつしか飽きたから攻守を逆転したいとのたまう彼の言葉に試合は一時休戦、ルールの考案へと移行された。再び小一時間後、何故かオリジナルゲームの成立となる。どうしてこうなった。

 そんな訳でどんな訳で、なんやかんやで例の遊びはこのような経緯で生み出された、というわけです。面白いことに、そんな流れで作り出されたゲームにも関わらず何故か彼のほうがいたくお気に召したようで、時折思い出したように仕掛けられることとなり、また一歩私と彼の距離を縮めることが出来た。その頃になると私も打算とは別に彼に親近感を抱き始めていて、次から次へと紡ぎだされる新しいやり取りを楽しく感じるようにもなっていた。


 何が変わったのか、誰が変わったのかは解らないけれど、確実に私と彼は当初とは全く違う思いでお互いに接し始めていたはずだ。けれどそれは私達だけの間に留まらなかったようで、もう一つの繋がりもまた季節の移り変わりのように緩やかに、けれど確実に織り交ざり始めていた。


 ――その兆しが見えたのは、ある夜のこと。もう残暑も過ぎ衣替えの季節となり、月が昇る刻限には夜風も肌寒く感じるようになった頃。明日は休みだからと夜更かしをしていた私は不意に喉が渇いて、何か飲み物を失敬しようとキッチンに通じるリビングへと赴いた。

 そしてその時その人は、そこに居た。

「――ああ。楓ちゃんか。一瞬紅葉さんかと思ったよ」

 誰もいないと思って入ったリビングのソファには、一条さんが座っていた。仕事かなにかから帰ってきたのか、仕事着のまま上着だけ脱いでそこに寛いでいたらしい。吃驚した、というより口から心臓が飛び出るかと思った。

 だって電気もつけずにぼけーっと座ってるから。月明かりに照らされてね、ぼやーっと現実なんだか幻なんだか幽霊なんだかただのジェントルマンなんだかっていう、感じで。言い方悪いけど。誰だって予告もなしにそんなの見たら吃驚しますよ、そりゃあ。

 そんな風に私を驚かせた当人はいつもよりも少しだけ疲れたような表情で、それでも私を目に止めると気が抜けたように穏やかな微笑を向けてきた。そのときに気付く。

 あ、髪が下りてるから今日はジェントルじゃない。いつもより若く見える。ていうかこの場合、歳相応か。一条さん、お母さんより五歳くらい若いらしいし。

「眠れないの?」

「……ちょっと、喉が渇いて」

 優しい声で問いかけてくる。それでもなんとなく言い訳みたいに答えると、何が可笑しかったのか一条さんはふっと笑みを濃くして、それから首もとのネクタイを緩めてシャツのボタンをいくつか外し寛げた。

「じゃあ、悪いけど僕の分もくれないかな。水を一杯」

「あ、ええ、はい水ですね」

「うん、よろしく」

 呑みの帰りだろうか。それとも接待か。とんでもないお金持ちの一条さんが接待。される側じゃないの。

 とりとめもない自問自答を繰り返しながら、私は冷蔵庫から麦茶と水のボトルを取り出した。傍らに置いてある洗いざしのコップを取って、水を注ぐ。次いで自分のコップにも麦茶を注ぎながら、ちょっとだけリビングの一条さんを盗み見た。

 なんだか余程お疲れらしく、珍しくだれているような様子でソファに身を預けて項垂れている。呑みすぎたのかな。それともこんな時間まで仕事してたのかな。どちらにしてもこんな夜も更けた時間帯まで続けば、そりゃあ多少なりとも疲れるだろう。一条さんって休みの日自体殆どないんじゃないかってくらい少ないし。休日でもぱりっとスーツの人だ。

 出来る人は大変なんだなあ、とか思いながらコップを持って一条さんの方へと向う。この場合、お疲れ様でした、とか言ったほうがいいのかな? そんな事を思いながら近付くと、気配に気付いたのか一条さんが顔を上げた。

「あの、えと、お疲れ、様デス」

 うう。なんだかどぎまぎしてしまった。想像ほどスマートにはいきませんって。

 だって美形過ぎるんだもん。大人の色気満々っていうか。ドキッというより、オーラが違いすぎて居心地が悪い感じ。普段の何割り増しなんですか一条さん。こんな人と恋人って、お母さんすごい。我が母親ながら、思わず斜め上に尊敬してしまった。

「あはは。ありがとね。……ああ、楓ちゃん」

「え、あ、はい?」

「もしまだ眠くないなら、少し話せないかな? くたびれた親父への労いだと思って」

 どうかな、なんて小首を傾げて言うから断れるはずもなく、おっかなびっくり向い側のソファに腰を下ろした。

 うう。面と向かって話なんて、したことないんですけど。深夜になんなんですかねイキナリ。酔ってるんですか。でも不思議とお酒の匂いはしてこない。それほど呑んでいないのか、それともただ純粋に仕事だけだったのか。

 訊ねてもいない問いに一条さんが答えるはずもなく、彼は私の手渡したコップ一杯の水を一息に半分ほどまで飲み下した。

「はあ、ああ、いいね。深夜に娘と一杯。おつなもんだ」

「……はは」

 なんと返せばいいのやら。いやまだ娘じゃねーしそれ酒じゃねーし乙も何も事実上水と麦茶と他人同士だし。と心の中で私がつっこんだとかつっこまないとか。

 しかも、返答に困って苦し紛れに麦茶をちょびちょび飲んでいると、なにやら視線を感じた。いやな予感がしてコップの淵からちらっと覗き見てみれば案の定、一条さんがこっちを見ている。どうもさっきよりも上機嫌なようで、にこにこと膝に頬杖をつきながら私を眺めていたらしい。

 一体なんなんでしょうか。年頃のレディに向ってその眼差しはちと不躾すぎやしませんかね、未来のマイファーザー。

「楓ちゃんは面白いね」

「……はあ、ああ、いえ、私なんてつまらない、いち学生ですよ」

「そうかな」

「そうです」

 何の面白みもない返答を返してみても、一条さんは楽しそうに相槌を打つ。今更悪感情持たれても困るけど、いきなりにこにこされても対応に困る。新以上に謎なオヤジだ、この人。

「こうしてみると楓ちゃんと面と向かって話すのは、初めてじゃないかな」

「そう、ですかね」

「そうだよ」

 まるでさっきの会話が逆転してしまったみたいだ。特に困ることでもないのに、一条さんがにこにこするごとに私のいたたまれなさもどんどん積みあがっていく。

 まるでジェンガをしている気分だ。穴ぼこの会話の向こうに居るのは勿論、一条さんその人。一つ一つ積みながら、崩れないように、けれど崩れそうになるのを楽しんでいるかのように、一条さんは会話をつなげる。私はただただ、おっかなびっくり、抜いた欠片を当たり障りの無いところに置くだけ。

「楓ちゃんはさ、お母さんが大好きだよね」

 む。嫌なところを抜かれたらしい。くっと言葉が詰まりそうになるところを、麦茶を飲み込むことで何とか誤魔化す。

 大好きだってさ。解ってる解ってるなんて言い方してくれちゃって、狸ジェントルマンめ。

「そう見えますか」

「そう、見えるよ」

 否定も肯定も無い可愛くない切り返しをしてみても、一条さんの優位は揺らがない。くそう。ならばくらえ。

「それじゃあ一条さんは、お母さんのことを大好きなんですか」

 さあ答えてみろ。一瞬でもたじろいだらせせら笑ってやる。臆面もなく肯定したら白けてやるぞ。けれど一条さんはそれを読んでいたのかそれとも天然なのか、私の予想を軽く裏切ってくれた。

「いや、ちょっと違うかな」

「え」

「僕、紅葉さんにぞっこんだからねえ。いい年したおじさんがみっともないんだけどね」

 苦笑しながらぬけぬけと。このキザ狸。たかだか出会って半年ちょっとの貴方が私のお母さんへの想いより勝ってると言いたいのか。そうなのか。ちっくしょうどうしてくれよう。

 いつも新へ向ける闘争心が当社比二倍でめらっと燃え上がった瞬間、その人は絶妙のタイミングで爆弾を投下した。

「あ、楓ちゃんのことは大好きだよ」

 おげえ。闘争心ぶち折れ。

 思わず顔をしかめかけてしまい、慌ててコップを口元に寄せて顔を隠した。けれど一条さんは見抜いていたようで、愉快とばかりに忍び笑いを漏らしている。

 ううううやり辛い。新をこれでもかとこねくり回して魔改造を繰り返した状態を相手にしているような気分だ。

 思わずだんまり決め込んだ私に、一条さんはふっと苦笑いを浮かべた。

「ごめんごめん。でも本当だよ。なんてったってあの初対面の日に、僕は君たち親子に一目惚れしたんだからね」

 ――はあ?

 突然意味不明なことを言い出すものだから、思いっきりそれが顔に表れていたらしい。一条さんは面食らったように目を丸くして、突如噴出した。

「……一条さん」

「ごめん、いや、はは、悪かった。悪いね、うん」

 そんなに面白い顔をしていたのか、一条さんは未練がましく喉の奥でくつくつ笑っている。

 私はというと、何も言えないでいた。笑われているのに腹が立ったんじゃなくて、少しだけ、驚いたから。面食らって目を丸くしたときの一条さんの表情が、いつかの時に見た彼の表情にそっくりだったんだ。それにああ血の繋がった親子なんだなあ、なんて妙に納得してしまい、怒るタイミングを完全に見失った。

 一条さんは笑いがひと段落つくと、小休止とばかりに水を一口煽って、私に向き直った。

「からかったと思っているね。本気で言ったんだよ。これは本当」

 本気だとしても色々と問題があると思うんですけど。とは、思っても言わない。言わないけど、隠しても今更なので目線で返事した。

「信じてないね。でも本当のことだ。僕はね、君たち親子を見て、家族になりたいって心底思ったんだよ。自分でも驚くくらい、はっきり感じた」

 かぞくって。まさかのまさか、この人の口からそんな月並みな言葉が出るなんて。

 俄かには信じられない、というよりなんだか似合っていない、と感じた。似合わないでしょ。一条親子は、家族と言う言葉が似合わない。一瞬そんなようなことを、漠然と思った。

「そうは見えないかな。そうかもしれないね。事実、夢かもしれないと思うときがある」

 私の心を読んだかのように、一条さんはぽつりと呟いた。

「……ゆめ」

「そう。毎日が夢のようだよ。君たち親子と一緒に住めて、暮らして、まるで家族のようだ」

 何を言っているのか。その時の私には、一条さんの言っている意味を半分ほども飲み込めていなかった。それでも、それを解っているのかいないのか、一条さんは独白のようにコップを見つめてその夢とやらを紡ぎ続ける。

「紅葉さんから、君の話を沢山聞いたよ。まるで宝箱をこっそり開けて一瞬だけ見せるみたいに、紅葉さんは大事そうに君の話をしてくれた」

 お母さん。その言葉だけは、じん、と染み入った。私の中に。

 一体なんの話をしたのやら。どんな顔で私の話をしていたのかを想像すると、泣きたくなるような心地にさせられる。もしかしたら一条さんも、同じものを思い描いていたのかもしれない。最初とは比べ物にならないほど穏やかな表情で、お母さんの名前を口にしているから。それこそとっておきの宝箱の中身の話を、するかのように。

「僕は紅葉さんから話を聞くたびに、君と会っているような錯覚を覚えたよ。初めて会ったときはね、勝手だけど、まるで初対面という気がしなかった」

 本当に勝手だ。私はそれまで一条さんのいの字も知らなかったというのに。

 まあお母さんが一条さんの話を私に聞かせなかったと知ればどんな顔をするかと想像すれば、少しは溜飲が下がるけど。

「ねえ楓ちゃん」

 はいはいなんでしょう。次は何を言うの。

「君は、お母さんのことが大好きなんだね」

 それさっきも聞いた。違和感を覚えてなんとなくちらっと一条さんを見ると、一条さんも私を見ていた。何か微笑ましいものを見るかのように柔らかい、けれどどこか芯の通った強い眼差しで。何故か、ぎくっとした私。

 そして彼は、言った。

「大好きなお母さんのために我慢したんだね、楓ちゃんは」

 慈愛に満ちた声で、恐ろしく残酷な言葉を口にする。

 思わず目を逸らしたのは私の方だった。机の下で拳を握り締め、なんとか表に出さずに済んだ。いや。そうできていると、思っていた。

「君は優しい子だ。すぐに解った。これが紅葉さんの宝物なんだと」

 貴方に何が解るの。

 喉元まで出掛かった言葉を、けれど歯を食いしばることでやり過ごす。怒りなのか、悔しさなのか、それともこみ上がる哀しさなのか、解らない。その全部かもしれない。ただ、彼の口からお母さんの心を勝手に代弁されたことが、どうしても受け入れられなかった。どうしてそんなことが解るの。どうしてそんなに簡単に言うの。そんなどうとも言えない感情が、私の中でぐるぐる、ぐるぐる、際限なく渦巻く。

「そ、んな……ことは、」

 うまく言葉を紡ぎ出せなかった。にっこり笑って「そんなことないです」とでも言えばよかったのに。そのときばかりはうまく、出来なかった。

「楓ちゃん。でも、それじゃあ駄目なんだ」

 なにが。

 胡乱に見つめ返した私を、一条さんは寂しげな笑みで迎える。

「僕はね、紅葉さんにぞっこんだと言った。でも結婚する理由はそれだけじゃない。紅葉さんと、君。僕と、新。四人で家族になりたい。そう思ったから、結婚しようと思った。彼女もそう思ったから、僕と結婚してくれる気になったんだよ」

 きれいごとだ。

 一条さんの言葉は、そんな風にしか私の耳に届かなかった。何か別の意味があったのかもしれない。とりあえずとばかりに無言で頷き返した私の反応が望んだものでなかったのか、一条さんはそのなんともいえない微笑を浮かべたまま、空のコップを持って立ち上がった。

「ごめんね。夜も遅いのにこんな話して。でも知っておいて貰いたかったんだ、僕達の気持ちを。出来れば今度は楓ちゃんの気持ちも、聞かせてほしいと思うよ。……じゃあ、おやすみ」

 僕達、だって。もう夫婦気取りときた。

 背を向けた一条さんには、私の乾いた笑みは見えなかっただろう。

 彼がリビングを去ったその後も、私は崩されたジェンガを見つめるように、ただ呆然と飲みかけの麦茶を見つめていた。

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