佐藤かえでの夢
これより過去編へ突入するためパソコン版ではレイアウトが変わりますが、見づらい、違和感がある等不都合を感じられる方はご一報くださると幸いです。
勝手に死ぬなんて、お父さんはなんてひどい人なんだろう。
置いていく側の気持ちなんて何一つ考えないその頃の私は、お父さんが亡くなったとき、漠然とそんな事を感じていた。
闇。暗闇の中。真っ暗でもなく、明るくもなく、ただ平坦な闇の中。ああ、そう、これ知ってる。眠りにつく直前みたいな感覚。意識が辛うじてあるようなないような、どっちにも転べる不安定さ。
あれ、でも、なんだろう。何かが見える。誰かが、見える。
――だれ?
遠い遠い暗闇の中で、それでも私の声は届いたのか、その子は振り返った。
「わたし?」
いや貴方しかいないでしょ。だれなの?
問いかけるというよりつっこむと、その子がふっと笑ったような気がした。そして私が近寄っているのか彼女が近付いているのか、見る間にその輪郭がはっきりしていく。見慣れた制服を着ているのが解った。ああ、それ中学校の頃のじゃん。
「わたしは佐藤」
聞き返す間もなく、その子は、彼女は目前にいた。いや、違うか。私。わたし、が、居る。
「私は佐藤かえで。あなたは、わたしでしょ」
笑っているのかいないのか、私はそう答えた。答えたと同時に、馴染んだ感覚が私自身を飲み込む。
ああ、夢か。夢を、見るんだ。
『わたし』はいつもの夢の中へ、とっぷりと沈み込んでいった。
お父さんが死んだ日のことは、覚えていない。まだ五歳だったからなのか、それとも生来私は薄情だったからなのか、父親が死んで哀しいとかそういう感情を抱かなかった。
ただ、お母さんが泣いていた。この世の終わりを迎えるかのように、それはそれは哀しそうに嘆いていた。それだけは覚えている。
多分、きっと、事実お母さんの世界は終わりを迎えていたんだと思う。お父さんが死んでしまって、お父さんのいる世界は無くなってしまった。だからお母さんはあんなに哀しそうに泣いていたのだろう。失った世界に追いすがって、もうこの世にはない存在を見つめて、嘆いていた人。
逆に私はというと薄情なことに、悲しみよりも別の感情を抱いていた。
――お父さんがお母さんを泣かせた。勝手に死んで、勝手にいなくなって、お母さんを泣かせたまま自分だけどこかに行ってしまった。
思えばその瞬間から、私は父親と言う存在を嫌いになったのかもしれない。お母さんがそれだけ心を痛める存在。きっとそのことに、子供ながらに嫉妬していたんだろう。
そうしてその時から私の世界の中心はお母さんだった。生きる寄り代。目的。私が、お父さんの代わりに一生お母さんを守る。そう、思って、育った。そのつもりで、歳を重ねた。
転機が訪れたのは、私が十四歳を迎えて少し経った頃。紹介されたのは新しい父親。と、その息子。
お母さんがはにかみながらあの人との付き合いを私に告げたときの、気分と言ったら。哀しくて、悔しくて、腹立たしくて、寂しくて、でも、どうしようもない絶望感を味わった。
その感情を味わうのは、二度目だった。一つ目はお父さんが死んだとき。そのときはまだ小さかったから、それほどでもなかった。むしろ使命感の方が強かった。でも二度目は、違う。それまで作り上げてきた私のそのちっぽけな使命感があっけなく打ち砕かれた、瞬間だった。
だってそうでしょう? ずっと、それだけを思って、過ごしてきたのに。生きてきたのに。私にはお母さんしかいない。お母さんにも、私しかいない。お母さんは私を一生懸命育ててくれた。今度は私の番。これから、これからだ。そう、思っていたのに。
新しい父親? なにそれ。そんなものいらない。そんな人必要ない。弟だって要らない。ずっと二人でいい。それで満足だった。それで幸せだった。そう、思ってたのに。
――お母さんは、私だけじゃ駄目だったの? やっぱり私は、お父さんの代わりにはなれなかったの?
そう、思うと、思えば、思うほど、底知れない寂しさを感じた。ずっと自分は一人だったのかと、独りよがりだったのかと、泣き喚きたくなった。
――けれど、でも。お母さんが、笑っていた。はにかんで、ちょっと恥ずかしそうで、でも満たされたように笑っていた。あの人の隣にいるときは。
だったら、駄目なんていえないじゃない。結婚なんてしないで、ずっと二人でいようよ、なんて、言えるわけない。そんなこと、言えない。そこにお母さんの幸せがあるなら、だったら、私、一緒に笑うしかないじゃない。それしかできない。それしか、選択肢なんて無かったんだよ。
それからは、気持ちを切り替えた。ううん、心を、挿げ替えた。全く新しい、別のものに。そうでなければすぐにだってお母さんを心のままに詰ってしまいそうだったから、前のわたしはその馬鹿げた使命感諸共封印した。
今度はそう、お母さんの幸せを守る。そういう、使命感。
そのためにはまず、この一条親子に取り入らなくてはいけない。万が一にでも私が不興を買ってこの結婚を破談にさせるわけにはいかない。そうしたらまた大切な人を失ったお母さんは泣いてしまうだろう。そんな事はさせない。これがお母さんの幸せなら、私はなんでもしよう。どんなことでも、してみせよう。これが私の、二つ目の使命感。
本当は、一条親子のことなんて嫌いだった。いやになんでも内包するように親愛めいた微笑を向けてくる一条さんも、母を奪った相手だと思えば胡散臭いと思えこそすれ好意なんて抱けなかった。二十歳も年上とは思えないほど若々しくて鋭気に溢れていて、なんでもできそうで、その通りなんでもできる力を持っている人。私とは正反対の人。おこがましいことに、自分なんかと比べて一丁前に悔しさを募らせた。
その息子もこれまた気に入らなかった。亜麻色の柔らかそうな髪に、はっとするほど真っ黒な瞳。切れ長の瞳はすっとなだらかな線を描き、まだ幼さの残る面立ちと反してひどく大人びて見えた。その容姿こそ目を奪われるほど完璧だというのに、ひどく醒めた目つきでものを見ている子で、あまり仲良くなれそうに無いな、と直感的に思った。それに、私だけならまだしも、自分の父親にも、私のお母さんにまでそんな目を向けていた。それだけでも嫌いになるには立派な理由になる。
だけど、私個人の主観なんてどうでもいい。嫌いたくても、嫌っちゃいけない。好きにならなくてはいけないし、好かれなくてはいけない。悪感情など結婚の妨げになる。だから私は、まずは一条親子に取り入ろうと、決めた。
幸いなことに、父親の方はさほど苦労は無かった。元々お母さんに好意を寄せて結婚を申し込んだ相手だ。その娘の私が好意的な態度を取ったことで、向こうも快く受け入れてくれたようだった。
問題は、一条新。彼のほうだ。結婚に反対の意こそ見せはしなかったけれど、その眼差しはいつだって無関心そのものだった。私にも、お母さんにも、或いは自身の父親でさえも、一連の流れのように捉えて興味の片鱗さえ見せない。時折、そんな彼を持て余して寂しそうに苦笑する一条さんを見ることがあり、私は新という男の子の厄介さをほとほと感じ入ることとなった。
そんな中で結婚の話は着々と進んでいった。まずは籍を入れる前に一度共同生活を敷いてみることから始めると、一条さんは言った。
同居。
一瞬「げえ」って思ったけど、またすぐに思い直した。好都合だ。生活を共にすれば、今よりもっと身近になれる。ともあれば、取り入る隙を伺えるということ。新たな使命感を胸に宿し、私は新生活に燃え滾る熱意で挑んだ。
新生活に及ぶにあたり、一条さんは住まいを用意した。一軒家。アパートとかマンションとかじゃない、まるまる一軒家。お風呂も床も床暖房で全部屋空調ついててお母さんの夢だったベランダも庭もあってシステムキッチンで冷蔵庫がどっちからでも開けられるやつでとにかくああもうなんかすごい家だった。夜になると廊下とかに足元にちっちゃい電気ついてるし。窓なんかリモコンでぴっとやるとぱっとなるし。玄関なんか家の柵から若干遠いし。意味解らん。
「すごーい。すごーいねえ、かえでちゃん! ねっころがっても暖かいよー」
きゃっきゃうふふとばかりに、人様の用意した家で躊躇なく寝転がりアホみたいにゴロゴロと喜ぶお母さんの傍らで、正直私はドン引きしていた。表面上はお母さんに習って無邪気に喜んではいたけれど。
だって、ねえ? 共同生活の為にまるまる庭付き一軒家って。百歩譲ってもマンションとかでいいじゃんとか思ったのは私だけ?
お母さんが夢のマイホームを密かに思い描いていたのを叶えてくれたのだと、お母さん本人はただ手放しに喜んでいたけど、私はそんなものをぽんと差し出す一条さんの常識やら財力やら金銭感覚やらその他諸々まるっと理解しがたかった。
なので、一条さんには悪いけど空恐ろしいやら気味悪いやら胡散臭いやらで警戒値がぐぐっと鰻上りになったことは否めない。その共同生活一日目、私は一条さん監視名目による内面調査を懸念事項に一つ加えた。注釈にはこう加えた。
『場合によっては破談も止む無し。』
ともあれ、難なく始まった共同生活。基本的には、なかなか快適だった。今までの自分の生活と近代の文明の利器との感覚格差には些か苦労したけれど、それ以外はさほどの問題は無かったように思える。お母さんは好きな人と生活できて年甲斐もなく乙女のように振舞って可愛かったし、一条さんも最初の懸念はどこへやら、生活の全てがお母さんへの思いやりに満ちていた。少なくとも二人は心底思いあっているのだとまざまざと見せ付けられる、腸煮えくり返る、もとい順風満帆な生活模様だった。ある一点を除いては。
私の、弟。正確には未だ弟じゃなかったけれど、未来の、と付け加える。
共に生活をしてみたものの、まったくと言っていいほど隙が無い。可愛げも無い。面白みも無い。新はそういう子だった。彼はいつだって褪めた目でものを見て、周りを見て、人を見ていた。相手が親だろうが教師だろうが他人だろうが関係ない。誰も彼もが彼の前では等しく、性差万別なく、あるいはものとも人ともの機微を見せない眼差しを向けてくる子だった。
当初私はそんな得体の知れない彼に近付きがたいものを感じずにはいられなかったけれど、それでもと決意を押し通して彼に向かった。とりあえずは嫌われてもいいから関心を向けること。そこから私と新のやりとりは始まった。
「あーらた君! なにしてんの?」
結論から言おう。相手にされてましぇん。毎度毎度このように特攻しつつ、あたかも闘牛士の如くさらりと交わされてしまいます。って私は牛ですか。自分ノリツッコミも飽きてきたその頃。そろそろ進展がほしいところだった。
こんな事を言っていると誤解があるかもしれないけれど、新さんは別に、私に対して冷たいわけではなかった。挨拶もすれば返事もする、微笑みも浮かべるし感情の機微のような表情も時折見せる。見掛けはごく普通の、人当たりのいい少年だった。
でも誰だって、ずっと同じ人を見ていればそれが本物かどうか位は、俄かにでも解ってしまう。見えない新の心。誰に対しても、自分自身に対しても、まるで執着が無いかのように見えた。いつも感じるものがなさそうで、けれどそうは見せなくて、でも、どこかそれは作り物めいていた。何もかもが本物じゃない。本当になんにも感じていないんじゃないかってくらいに。正直不気味さを感じたことさえある。
彼自身はそれを、自覚しているのだろうか? そんな疑問を抱きつつ、いつしか私の目的は自分でも気付かないうちに、新の本性を暴くことへと摩り替わってきていた。
その次の、小さな転機は同居を始めてから三ヶ月経った頃。進展の無い距離感にマンネリを覚えた私は、とうとう嫌がる(と言っても表面上はそんな様子を見せなかった)彼を外に連れ出した。
どこへって? 街です、街。彼みたいなお坊ちゃんは行ったことのなさそうな、けれど私みたいな一般人の慣れ親しんだ、街。
「行ってどうするの?」
彼はそう言った。遊ぶのに理由なんて要らないと思ったけれど、彼の中の常識では逐一理由が必要で、そもそも無いほうがおかしいし理由の無いことに時間を費やすことすら甚だ疑問だったらしい。けれど、まあ、天邪鬼な私でありまして。それならいっそのこと、とことん無駄な時間を過ごさせてやろう。そんなはた迷惑極まりない事を思いつき、思う存分彼を振り回してしまった。
それでも、ただ振り回されるだけで終わる彼でも無かった。流石、新。彼は私に無言の宣戦布告を言い渡した。なんてことはない、少し目を離した隙に、忽然と姿を消してしまった。
おやまあ、なんと、あの新が。彼を見失ったとき、私は呆然とするよりも先に感心してしまったものだ。だって今まで自分からは何もアクションを見せてこなかった彼が、ボイコット。もしくは自主迷子。
私は考えた。これは、あれだろうか。もしや、見つけてみろっていう、彼からの宣戦布告? それっぽい。そうに違いない。よろしい、ならば戦争だ。闘争心に火がついた。生来の猪突猛進な面も手伝ってか、目的はその瞬間に一条新と『逃走中』ごっこに変更された。
――が。世の中ってのは早々甘くない。甘くないというか、完璧に私の認識が甘かった。
「何故」
珍しく自分から私の部屋を訪れた彼は、扉を閉めるなりいつもより低い声で、ぽつりと言った。ただそれだけの一言でしかないのに、気圧されるほどの威圧感を覚える。吃驚だ。彼が、怒っている。作り物めいた感情じゃなくて、本当に。恐れおののきながらも、妙な新鮮さを感じてしまった。
何故彼が怒っているのか。その理由には勿論、心当たりがあった。
突如始まったかくれんぼに俄然張り切った私は、ありとあらゆる心当たりを探した。彼が行きそうなところ、興味を持ちそうなところ、もしくは隠れそうなところ。広い街の中では私の方が有利だ。負けるわけにはいかない。絶対見つけるぞ、と意気込み、私は一条新捜索に没頭してしまった。
気付いたのはそれから三時間後のこと。足が棒になるまで探し回り、はっとした頃には既に辺りは暗くなり、時刻は疾うに夜の八時を悠々と過ぎていた。これはまずい。連絡もなしに夕飯ぶっちはお説教フラグです。その時初めて焦りを覚えた私は、なんと浅はかだったのだろう。
しかしこれだけ探して見つからないなんておかしい。彼ならきっと頃合を見つけて自分から出てくるはず。まさか、彼は本当に迷子になってしまったんじゃあないだろうか。だとしたら大問題だ。私が彼を連れ出したのに、見失った挙句迷子にさせるなんて。監督不行き届きで私の積み上げていた株が下がってしまう!
彼への心配というよりもむしろ自身の保身の為に寒気を覚え、そのとき私は漸く家に連絡を取る術を思いついた。慌てて取り出した携帯を見てみれば、着信が数十件、同じアドレスからのものが表示されていた。言わずもがな、『家』だ。ついでに『一条さん』と『お母さん』も数件、あり。
まずった。そう思い一気に青ざめすぐさま家へとリダイヤルし家人と連絡を取ったその時。そう、その時漸く私は、自身の発想の貧困さを、まざまざと思い知ったのですよ。
彼は勿論、家に居た。無論、私から離れてすぐに自宅へ直帰ですよ。まあ、常識で考えれば一番最初に思いつく。でも私は思いつかなかったんだなあ、これが。
「ご心配おかけしてすみませんでした。あの、迷子になっていました。パニックで家に連絡することも思いつかなかったんです。ごめんなさい」
恐れ多いことに一条さん自ら迎えに来てもらい、家に着くなり心配で泣く寸前の表情になったお母さんと、珍しく渋面を浮かべる一条さんに問い詰められ私はすぐに謝った。ここはもう、謝り通すしかない。下手に余計なこと言って掘り下げられたら自分で墓穴掘っちゃいそうだし。でもまだ納得していなさそうな一条さんが、訝るように傍らに佇む新にちらりと目線を送りながら言う。
「一人で? 新が楓ちゃんと出かけたって、聞いたんだけど?」
「はい。でも、途中で解散したんです。その後迷子になったんです」
うっそでぇす。本当はバッチリその新君を探していました。
我ながら苦しい言い訳ですとも。でも、真に不本意ながら空気を読んだ私の胃が盛大に空腹のファンファーレを鳴らしたためその件はうやむやになり、私は追及を逃れるため一条さんが折れるまでとにかく謝りとおし、事なきを得た。
問題は、その後。そうです。ご飯食べてお風呂は入って人心地つきました、はあー我が家が一番だな。そんな満ち足りたため息をついたその直後、ベストタイミングで彼が尋ねてきたのです。
空気も読める子一条新。そんなアオリ文が浮かびましたとも。
というわけで目下、この通り。『何故』と、聞かれても。だって勝手に勘違いして勝手に闘争心燃やして勝手に熱中した挙句それが勘違いで回りに迷惑かけましたー、なんて言えるかい。
けれどどうやら彼は、私が彼のことをかばったのだと思っているらしい。ああ、帰って早々面倒くさい。いや待てよ。これを借りにするのはどうだろう。貸し借りで一気に彼との距離がぐっと縮まる――わけないか。わけないな。そんなことしてみなさいよ、寧ろぐっと広がりそう。彼のATフィールドがね。
待て待て、うまいこと言ってる場合じゃない。むしろ今はうまい言い訳の方を考えなければ。うまい言い訳。うまい言い訳。
「あのー、別に、嘘ってわけじゃないよ。半分迷子になりかけたし」
「どうして」
なんでちゃんかおまいは。
飾り気の無い追求だからか余計に息苦しく感じる。新君は尋問の才能もあるんだね! わあすごい。
「えー、いや、だって、」
彼は視線を一ミリたりとも外さない。いやに一条さん譲りの眼力があるせいで、どうも二人がダブる。似たもの親子め。そんなところまで似なくていいのに。無言の追求に耐え切れなくなり、ついに折れたのは私の方だった。そのとき漸く気付く。そうか、私は一条さんを折れさせたんじゃなくて、折れてもらってたのか。ちくしょう。
それでも最後の悪あがきのように目を逸らして、限りなく小さな声で白状した。
「探してみろって、いうことだったんじゃないの?」
だってさあ。本当は一瞬、見たんだ。新が私を置いて人ごみの中に紛れるところ。それで、その一瞬に確かに見えたの。いやに不敵な微笑み。どこか挑発するような、底の見えない表情。まるで新の深淵を見たみたいな気が、したんだよ。だから、追いかけようって、さあ。
「探して、見つけてみろっていう、宣戦布告をされたのかなーって、思っちゃってさ。つい、絶対見つけてやる!って躍起になっちゃって……まあ、それも勘違いだったみたいだけどね」
もごもご言い訳のように言いながらちろりと新を盗み見てみると、何故だか居を突かれたように目を見開いていた。そんなに的外れなことを言ったんだろうか。ふざけんじゃねえーとか言ってスーパーサイ○人化するかどうかこのまま見守っていたい気もするけど、本当になったら洒落にならない。この子じゃ冗談も下手に笑えない。ここはひとまずゴマ摺っとくか。
「いやあ、新君には完敗ですよ! まさか家に居るとはねえー。いや盲点! それとも私がアホだっただけかなー、なんて……はは、は」
笑えええ。もしくは怒れええええ。なんかリアクションしろよさっきまで絶妙な空気の読みっぷりだったくせに。なにこの滑った感。ダメ押しに自分で言って自分で笑っちゃったし。ひいいいっそ殺してえ。
耐え難い空気に私が身もだえしている間も、彼は微動だにしなかった。一体怒っているのか呆れているのかあざ笑っているのかはっきりしてくれ。ついに耐え切れなくなり、私の方から固まる彼に近寄りその彫刻のように滑らかな作りこまれた美貌を覗き込んだ。
「あのー……あーらた、くーん?」
ひらひら、と手を振ったとき、ぐっと彼の眉根がよった。心なし切れ長の目も日本刀さながら鋭くつりあがっている。それはもう、嘗てないほどに。
とうとうぶちきれたか。やったあ目標達成あれでも全然嬉しくないむしろ怖い怖い怖いぞおお。
恐れ半分期待半分で身構えると同時に、彼はそのままさっと踵を返し、瞬く間に無言で部屋を出て行ってしまった。呆気にとられる私を残して。
こうして、小さな転機はひっそりとその終末を向かえ、そしてまた新たな変化がそれと同時にひっそりと始まり始めた。それを関知できるはずもないそのときの私といえば、次はどんな顔をして彼のご機嫌伺いに向えばいいのかと、そんなことばかり考えていた。