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COMPLEX TRIP!  作者: Tm
第二章 カエデ
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カエデと清い人

 魔王はどこに居ると思う?

 知らない。居ても居なくても構わない。でももし居るとしたら、私はその彼か彼女の気持ちをほんの少しだけ理解できる、と思う。

 最初はほんの小さなことからだろう。どんな偉人だって、子供の頃があったように。だから彼らだってきっと、少しずつ、少しずつ、世界を征服していく。思い描いた世界を夢見ながら、一つ一つパズルのピースを埋めていくように作っていくんだ。そこにはきっと喜びがあったり、怒りがあったりするだろう。誰が想像しなくたって、そんなことには無縁のように感じたって、それでも世界を作り上げていくんだから。善も悪も関係なく考えればそれ自体は本当に、魅力のあることだよ。素敵なことだよ。

 きっとそれが完成に近付くたびに、魔王だって思うはず。せっかくここまで作ったんだから、壊したくない、って。せっかくここまでやったんだから、途中で断念したくない、って。形づいてくるそれを見て、それを大切にしたくなってくる。それを守りたくなってくる。

 自分の望んだ世界がもうそこまで近づいているのに、どうして簡単に手放せるって言うんだろう。どうして、壊されるところを黙って見ていられるだろう。例え悪の定義が自分で、善の定義がそれを否定したからって、だからそれがなんだっていうの。自分の世界を壊される理由になんてなりはしないよ。それを肯定する理由になんてならないよ。それを守らない理由になんて、絶対にならないよ。


 例えば、彼が勇者だとすると、間違いなく私の世界は悪の定義に当てはまってしまうだろう。許されざる定義に、当てはめられるだろう。その自覚さえ、私にはある。でも私は、例えそうであっても、もう認めない。もう恭順しない。

 新さんが勇者になるなら、私は魔王になる。自分の作り上げたその世界を守る、ただ一人の魔王に。




「新さん……」

 その人は、そこに立っていた。あの時と寸分違わない格好で、けれどあの時よりもずっと追い詰められた表情で。まるでそれは冒険の果てに決死の覚悟で魔王に挑む、勇者のような顔。

 ――魔王。私が? 上等。なんにだってなってやる。この愚かで儚い私の世界を守るためなら、なんだって。

 なりを顰めていたはずのどす黒い感情が、首をもたげたのを感じた。それに抗わず、振り返り何の感情も抱かないままにっこりと微笑むと、ただでさえ険しい新さんの表情が、もっときつくなった。

「意外と遅かったね、新さん」

 一週間くらいで来るかと予測していたけれど、思ったよりも三日分遅い。向こうでどれほど経ったのかは知れないけれど、嬉しいこの予想外は重畳だ。その三日分もみっちり楽しませてもらった。もちろんずっと来なければそれに越したことは無かったけれど、そんなことは叶わないと知っていた。いずれにせよ、新さんは戻ってくるって、解ってた。解っていたよ。

「その様子だと期待していてくれたのか」

 険しい表情のまま、唸るように新さんが言った。その眼差しがどんなに苦しそうで、悲痛な色を湛えていたとしても、私は何も感じない。ただ揺ぎ無い、凍りついた心がそこにあるだけ。

 もう感じないよ。新さん。もう、遅いの。だってもう私は、君のお姉さんでもなんでもないんだから。

 首をすくめて、卑屈に笑ってみせた。

「残念。三日も遅刻じゃ期待外れもいいところだよ。負け犬は大人しくお家に帰れば」

「……姉さんも、」

「帰るわけないでしょ。新さんが居る世界になんか」

 解りきったこと聞かないで。

 切り捨てるように言うと、新さんの眼差しがぐらりと揺れた。すごく傷ついた、って顔。

 傷つけられた? 私に? いいじゃん。もっと傷つけてあげる。もう二度と私に近寄る気も起きないくらい徹底的に傷つけてあげる。今の私にはそれができるよ。もう新さんがどんな顔をしたっていちいち心を痛めたりしない。罪悪感を覚えたりしない。今の私にはね、新さんよりも大事なものがあるから。だからそれを奪おうっていうなら、私、新さんでも容赦しない。どんなに傷つこうが悲しもうがもう関係ない。今ならどんな残酷なことでも言える。それでどれほど新さんが悲しもうと、私の世界を救えるなら万々歳だよ。魔王上等。この世界には勇者なんて必要ない。新さんなんて、要らないの。

「ねえ、帰って? 頭のいい新さんなら解るよね? 解ってて来たんだろうけど、はっきり言われなきゃ身に染みてこないのかな」

 ひたすらに、非情な言葉が勝手に出てくる。情なんてもう残ってるわけ無い。あの時根こそぎ新さんと一緒に捨ててきたんだし。あるとしたらそれは、これまで培ってきた化け物みたいな感情だけ。そしてそれはそれを育ててくれた張本人にぶつけるしか、消す術が無いわけよ。ご愁傷様新さん。できれば、これ以上私が酷い事を言う前に帰ってほしいな。自分では止められないから。止めようとも、もう思わないから。

 それでもまだ、新さんは凍りついたようにそこから動かない。それが益々私を残酷な気分にさせる。負けてたまるか。新さんがどんな目をしたって。どんな目で、私を見たって。

「なに、黙ってんの? 聞いてる? 聞こえてる? 足りないならもう一度言ってあげようか。あのね、私新さんのこと大っ嫌いだったの。ていうか、どんどん嫌いになったって感じ? もう顔も見たくなくなるくらい、声も聞きたくなくなるくらい、こうやって傍にいることすら嫌に」

「おい、カエデ、」

 不意に肩を、掴まれる。戸惑うその声にはっとした。

 ――アブラアムさん。

 アブラアムさんが後ろにいたんだった。新さんが目の前に現れたせいで頭に血が上って、そんなことすら忘れてしまっていた。ぎこちない動きで後ろを見ると、私と目が合ったアブラアムさんはほんの少しだけびくっと眼差しを揺らし身を引いた。

 ――ああ。

 見覚えのあるその顔に、ぐるぐると渦を巻いていた醜い感情が一瞬にして形を潜める。そこに残ったのは、寂しさと哀しさ。見られてしまったことへの、失望感。

 ぐっと奥歯をかみ締めて、私から目を逸らした。

「行こう」

 戸惑うアブラアムさんの腕を強引に引いて、ただ突っ立っているだけの新さんの横をすり抜け、逃げるように足早にそこを去った。振り返ることはできなかった。ただ、ただ、振り返ることが怖かった。




 歩いている間私が何も喋らなかったせいかアブラアムさんも終始無言だったけど、アブラアムさんの家に着いて中に入った途端、また困惑した眼差しを向けてきた。それには何も感じていなかったはずの私の心も、軋むように少しだけ痛む。

 あーあ。見られちゃった。この人には見せるつもりなんて、無かったのに。見せちゃった。私の中の化け物。アブラアムさんはどう思ったんだろう。ううん、解ってる。解りきってる。あの顔見れば、一目瞭然だ。あの時の新さんの表情と被るんだもん。全く、とことんついてない。

 観念するように深いため息をついて、目を閉じた。ぐるぐると、想いが巡る。まだ未練はある。でも、ここもお終い。新さんが来てしまった以上、あんな私を見られてしまった以上、もうどうしようもない。これも最初から解りきっていた。そうだよ。おままごとだって解ってたよ。どうせすぐに壊れるって解ってたんだよ。もう、諦めなさい、楓。もう十分じゃない。満足したじゃない。

 そう、言い聞かせて、力を振り絞る。もう感覚も朧な指先をアブラアムさんの腕から、そろりと離した。

「ごめんなさい」

「……カエデ?」

「ごめんなさい。沢山迷惑をかけてしまって。今まで、本当にお世話になりました」

 一歩、二歩と、アブラアムさんから離れるように後退する。その一歩が、とても重い。顔なんて上げられない。声を絞り出すだけでも精一杯。立っているだけでもギリギリの精神状態だ。さっきとは、大違い。

 のろのろと、異様に緩慢に頭を下げた。やっとの思いで。ああ、惨め。

「アブラアムさんには本当に感謝しています。このご恩はきっと、いつか、ちゃんと返しますから」

「おい、いきなり何言って……」

「今! ち、ちゃんと、出て、行きます。本当に、今日まで、ありがとう、アブラアムさん。さよう、なら……」

 失礼だけど、頭を下げたまま、お礼の言葉を口にする。顔を上げられないので仕方が無い。これで今のところは許してほしい。そのままじりじりと下がって、入り口のところで、なんとか背を向けた。

 なんか、手が、震える。ドアノブを握っても、力が入らない。

 楓、しっかりしなよ。あとちょっとでしょ。自分で出て行くの。追い出される前に、早く――。

「待て」

 だん、と頭上で大きな音がした。顔を上げられないけど、見なくても解る。アブラアムさんがドアに手をついて開けられなくしたんだ。

 ああ、もう、うまくいかない。さっきから。心だけが焦れる。焦れると同時に、怖いくらい震えてる。ううん。怖いから、震えてる。もう、やだ。

「カエデ。俺はまだ行っていいとは言ってないぞ。家主の許しもなく勝手に出て行くな」

 さっきとは打って変わって、すごく冷静なアブラアムさんの声。それどころか少しだけ、怒っているみたい。それとも不快なのだろうか。勝手に出て行こうとしたから? それともあんな私を見て失望した? どちらにせよ、怖い。アブラアムさんの顔を見れない。彼が私をどんな風に見ているのか知るのが、どうしようもなく、怖い。もしも、もしもあの時みたいな目をしていたら――。

「あの、わ、たし……」

「カエデ」

 肩に手を置かれて、強引に向き直させられる。ただでさえ力の入らない私の抵抗なんか、アブラアムさんの前では抵抗にすらならない。無言の問答の末に、逃げられないようにとアブラアムさんが私の両手を捕まえた。

 ああ、もう。もう!

「カエデ。こっちを向け」

「あの、いや……待って、アブラアムさ、」

「俺を見ろカエデ」

 アブラアムさんの無骨な手が、私の頬を包み込んで上を向かせる。アブラアムさんの青い瞳と私の瞳が、かっちりと合わさった。

「お前、なんか変だぞ? 一体どうしたんだ。さっきの奴は?」

「ち、違う、違うんです、わたし」

 なにがちがうの。

「カエデ。聞いてやるから、言ってみろ」

 違う。違うの。やめて。見ないで。カエデって呼ばないで。私、もう、あんな目で見られるの、いや。貴方にあんな目で見られるの、いやなの。あの時の新さんと同じ、あんな目で、もう見られたくない。

 だから、逃げたくて。逃げたい、のに。なのにどうしてそんなに清い目で、私を見るの――。

「あ、ぶらあむ、さん……」

 勝手に決壊する、涙の粒。ほろほろ、ほろほろ、アブラアムさんの手を濡らす。それでも頬を包む温もりは揺るがない。その眼差しも、私を見ている。清い瞳で、私を見てる。あんな私を見たくせに。ちっとも変わらず私を映す。貴方の清らかさが。

「アブラアム、さん……わたし、」

「おい、カエデ。なんで泣く。くそ、また俺か? いつも俺か」

 瞳が揺らいで、慌ててる。あの時みたいに、焦ったように。

 ちっとも変わらない。どんなときでも、優しく私を包み込む。アブラアムさん。

 私、怖かった。心臓が凍りつくかと思った。貴方にまで嫌われると思ったら、怖かった。死にそうなほど胸が痛んでしまうくらい。怖くて怖くて、仕方がなかった。

 それでも貴方は変わらない。その清らかさが、また私を泣かす。貴方の心が、こうして私を甘やかす。こうして私は、甘えてしまう。私は一体いつからこんなに、弱くなってしまったのだろう。

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