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COMPLEX TRIP!  作者: Tm
第二章 カエデ
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カエデと再会

 路上でみっともなくも感情に任せてぼろぼろと泣きじゃくる私に、アブラアムさんはひどく困惑したように必死になって私に何かを語りかけていた。それでも何を言っているのか判らなかったので、よく解っていない頭でなんとか首を横に振っていたけれど、それを私の癇癪か何かと勘違いしたらしいアブラアムさんはそのまま、泣き続ける私の手を引いて歩き始めた。

 どこへ行くんだろう。そうは思ったけれど、どうせアブラアムさんだから怖いことにはならない。というかそんな甲斐性この人は持ち合わせていない。そんな失礼なことを思いつつ止まらない涙で視界もままならず、ただアブラアムさんの手を握り締めて導かれるままに歩き続けた。

 アブラアムさんは何故だか優しくて、もちろん言葉は解らなかったけれど話しかけてくる語調がとても穏やかで、歩調ものろのろと歩く私に合わせるようにゆっくりだった。とにかく、私の顔を時々振り返っては何かを話し、時折私にカエデと呼びかけまた私の涙腺を刺激しては、そのとめどない涙の粒に困ったような顔を浮かべて殊更話しかける、の繰り返しだった。

 そんな事を飽きもせず続けて漸く私の涙が沈静化しかけた頃にたどり着いたところは、どこかの飲食店のようだった。泣きすぎてぼーっとしながらただ歩く私の手を繋いだまま、アブラアムさんはその店の中をどんどん進んでいき、あるテーブルへと辿り着く。そこには既に客がいて席は全部埋まっていて、テーブルの上には食べかけの料理やら飲みかけの酒のようなものやらで埋め尽くされてしまっていた。何がなんだか解らない私を目に留めたそのテーブルに座っていた客達は、私を目に留めた途端目を輝かせて言った。

「カエデ!」

 また。

 また、だ。また、私の名を呼ぶ人。新さん以外に、私の名を呼ぶ人。新さんがいなければもう呼んでくれる人さえ現れないだろう。そう思っていた矢先に、その名を口にされる。しかも、嬉しそうに私を見て。他の誰でもない私を見て、嬉々としてその唇がつたない発音で『カエデ』と口ずさむ。

 途切れていたと思った涙がまたほろりと、頬を伝った。

 だって、名前を呼ばれることがこんなに嬉しいことなんだって、私、知らなかったから。自分ですら時々その名前を忘れかけた。新さんが私を『姉さん』と呼び始めてからはなおさら。『楓』なんて、もう、どこにもいないと思っていた。だから、今更、呼んでくれる人がいるなんて。そんなこと思いもしなかったから。だからこんなに嬉しくなる。こんなに、泣きたくなってくる。みっともなく、子供のように、止まらない。

 私は、『新さんのお姉さん』なんじゃない。誰の姉でも、一条でも、なんでもない。私は『カエデ』。『楓』なんだ。

 そうして一度は止まったはずの涙がまた飽きもせず零れ始めるものだから、今度はアブラアムさんだけじゃなくてそのテーブルにいた人全員がぎょっとして、大慌てで用意した椅子に私を座らせた。そしていやに必死な表情で何かを言いながらテーブルの料理やら新しい料理やらを私に勧めて、飲み物を殆ど無理やり持たせて、時には小さな子にするように頭を撫でたりしてなんとか泣き止ませようと苦心しているようだった。

 まるで泣きじゃくる子供をどうにかあやそうとする大人みたいだ。というか、それそのまんまか。そんな事を思って思わずくすっと笑うと、その場にいた全員がほっとした表情に変わる。それから打って変わって皆にこにこと微笑んで私に話しかけてきて、そこで私は漸く、彼らがあのとき私を攫った人達なのだということに気がついた。

 あの後どうなったのか気になってはいたけれど、この様子だと私の願い通りに事態は好転してくれたらしい。まあ、ソロンさんは悪人ではない。約束はきちんと守ってくれたのだろう。新さんもそれに一役買ったに違いない。

 そうして暫くは彼らが話す様子にうんうんと頷いていたけれど、その内にあの時はあれほど雄弁だった私が一向に何も喋ろうとしない事に皆が怪訝な表情を浮かべ始め、そこで私は今更に身振り手振りとで言葉が通じないことを示した。彼らはそれでもよく解っていなかったみたいで怪訝な顔を浮かべたままだったけれど、私が落ち込んだ表情になったらまた大慌てでその場を盛り返そうとしてくれた。それが私の作戦だとは、誰も気づいていなかったと見えると、あいも変わらず萌えるおじさん方というのが確認できて重畳だった。





 そしてそのまま宴会のように盛り上がり、そんな中で私は言葉が解らなくてもなんだか楽しくて、沢山笑った。こんなに笑って大丈夫かなって思うくらい、笑ってしまった。

 それから楽しいひと時はあっという間に過ぎて、もう飲みすぎてぐでんぐでんになる人やらが続出し、料理も全部食べつくしてしまった頃合を見て、今日は解散となったらしい。店の外で皆が私に上機嫌で口々に何か声をかけながら一人また一人と帰っていき、私とアブラアムさんが最後に残った。

「カエデ。××××××××?」

 もう辺りは真っ暗で、どっちがどっちだかすらも解らない。辛うじてポツポツと灯る民家からの光で道筋は解るが、それだけだ。

 アブラアムさんは私に向かってどこかを指差しながら何かを言っていて、私は彼が言わんとしていることがなんとなく解ったけれど、笑顔でそれを断り彼と別れを告げた。

『神殿まで送っていこうか?』

 アブラアムさんはきっと、そう言っていた。多分私がここに残ったことの経緯など何も知らずに言ったのだろう。それでも、今更神殿に行ったところでどうすることもできない。万が一にでも向こうに帰ることができるとなれば帰されてしまうのは目に見えている。それだけは避けたい。

 だから私はこれからどこに行くあてもなかったというのに、無謀にもそれを断ってしまった。馬鹿だと思う。本当に馬鹿すぎる。なんの計画もなしにあんなことをしたから、今こんなことになっている。とぼとぼとどこへともなく歩きながら、まるで人事のようにそんな事を考える。

 それでも。それでもやっぱり、後悔はまだしていない。これからどうしようとか、どうなるんだとか、そういう不安はある。今でさえどうしようもない状況だ。でも不思議と後悔する気にはなれなくて、まあいっか、なんて考えている。気持ちが開放されたら随分現金なもので、考え方すらも大分アバウトになってしまった。

 というか寧ろ、これが本当の私なんじゃないだろうか。今までは私というものが不明瞭すぎて頭がガチガチになって、だからあんな風にアブラアムさんたちにも色々と細かく指図できていたのかもしれない。普通に考えればあんな状況で自分を拉致した相手と楽しくご飯、なんてありえなかったし。

 でも、楽しかった。『カエデ』と呼ばれるたびに嬉しくて、けれどちょっと面映くて、いつものように上手に笑えなかった。でもその代わりに、すごく心が落ち着いた。作り笑顔で頬が引きつることもなかった。あんなに自分が自然体になれたことなんて、今までになかった。人生で一番楽しかった。そんな風に思えるくらい。

 ていうか、まだまだか。まだまだこれから。これから私の人生が始まるんだ。今度こそ、私だけの。私による、人生が。

 へらっと笑って、でもなあと人知れず項垂れる。問題は、今。今が大事。幸いお腹は膨れたけど、今日は野宿かなあ。一体どこへ行けばいいんだろうとのろのろ歩いていると、後ろから声がした。

「カエデ」

「……アブラアムさん」

 別れたと思ったら、すぐ後ろにいた。まさか歩いているつもりでそこから一歩も進んでいなかった、もしくは堂々巡りだったというオチなんじゃ。と思ったけれど、辺りを見回すとあの店もなく、そうではなさそうに見える。見上げると薄暗い中でよく見えなかったけれど、アブラアムさんは少しだけ渋い顔をして私を見下ろしているようだった。

 あらら? なんだか雲行きが怪しい?

「××××、××××?」

 なんだか疑るように何かを言っているけれど、よく解らない。でもこれはよくない展開かもな、と第六感が働き、また先ほどと同じ笑顔でへらへら笑って頷いて誤魔化しを図る。そして「私急ぐので。じゃっ」と手を掲げて去ろうとした途端、そうは問屋がおろさないとばかりにその手をさっと捕まえられてしまった。そしてアブラアムさんは何か文句のようなことをぶつぶつと言いながら、問答無用で私を引っ張り歩き始めた。

 ちょっと、ちょっとちょっと。じゃなくて、これはやばいんでないの。このパターンだと間違いなく神殿行きでしょ。強制送還フラグでしょ。いやだああああ。一難去ってまた一難。油断させてからドーンとか作者本当に外道の極み。

 だから帰りたくないんだってば行きたくないんだってば放っといてほしいんだってば。そんなことを喚いてもアブラアムさんは聞き入れる気がないらしく、踏み留まろうとする私をものともせずに、ずるずると引きずるようにして歩き続ける。

 ああもうどうしてこんなことに。いっそのこと後ろから不意打ち食らわして逃げようか。でもこの巨漢相手に不意打ちとはいえ私のへなちょこ攻撃で逃走を図るなんてヤムチャがべジータに一発当てることくらい難しいんじゃ。いやいやいやものは試しって言うし。というか試さないと強制送還ルート直行だし。女は度胸。よしやろう! ごめんねアブラアムさん!

 キャプテン翼の如く足を大げさに後ろに引いてこれでもかというほど大振りの蹴りをかます。その直前。

「カエデ」

 くるっと絶妙のタイミングでアブラアムさんが振り返る。妙な大勢で殺気を放っている私にものすごく怪訝な表情を浮かべた。うわまずい気づかれたらふい打ち所じゃないじゃん。慌てて取り繕うようにへらっと笑うと、疑わしげにしつつもアブラアムさんは私にくいっと顎で横を示した。

 まさかもう神殿に着いたのか。ぎょっとして示されたほうを見ると、そこはなんてことはない、ただの一軒家だった。白塗りのとても小さな二階建てで、明かりはついていないらしい。箱のような形に、穴が開くようにポツポツ窓がついている。

 なんだろうと目を白黒させる私をそこに置いて、アブラアムさんはその家の中にさっさと入ってしまった。そのまま呆然とする私の前で、ぱっとその家に明かりが灯り、四角く切り取られた窓から淡いオレンジ色の光が漏れる。

 ぼけーっとそれを見ていると、中からアブラアムさんが顔を出して何か言いながら手招きしてきた。なんだろう。言われるがままにその家にお邪魔する。中はとても簡素だった。部屋の中心に丸い机と、椅子が二脚。壁際には小さな箪笥が一つと、備え付けられている取っ手らしきものに何か上掛けのようなものがかけられている。奥にも何か部屋が繋がっているらしいけれど、よくは解らない。そんなに広くもなく、一人暮らしにはちょうどいい広さだ。

 そっか、ここアブラアムさんの家なんだ。ああそっかあ。一人暮らし。へえー、アブラアムさんって独身だったんだ。もういい年してそうなのに。

 本人が聞いたら憤慨しそうなことを淡々と考えつつその場に突っ立っていると、アブラアムさんがまたちょいちょいと手招きする。言われる? がままに近寄ると、はい、とばかりに何か手渡された。

 なんか、着古した、服?

「なに、これ」

 思わず呟くと、アブラアムさんはなんだか憮然としながら何かいい、こつんと私の頭を小突いた。そしてそのまま何かをぶつぶつ言いながら、奥の部屋へと消えてしまった。

 残された私はというと、唖然呆然だ。一体何が何なのか。この服をどうしろと。物資? だったらできればお金とまでは言わないけど食べ物の方が後々ありがたいんだけど。

 ご飯を奢ってもらっておいて何様なことを思いつつも、持たされた服を広げる。オフホワイトの綿のシャツと、もう一枚は褪せた紺色のこれまた綿の七部丈のパンツのようなもの。どっちもアブラアムさんサイズなのか異様に大きい。サイズで言うと3LとかXLとかって感じ。

 これに着替えろって? なんで今アブラアムさんちで着替えなきゃなんないの。泊まるところも決まってないって言うのに。

 首を捻ると、アブラアムさんが奥の部屋から私を呼んだ。なにがなんだかわからずもそのアブラアムさんのいる部屋へと向かうと、そこは思ったよりも手狭でちょっと吃驚した。個室? というか、カーテンのような目張りがされている。アブラアムさんの声はそこから聞こえてきた。そのカーテンをくぐると、むっとした熱気が降りかかってくる。中にはバスタブと、映画の中でしか見たことのない旧式のシャワーのようなものが見えた。アブラアムさんは袖をまくっていて、私に何かを言っている。

 いよいよもってわけがわからなくて言葉を失っていると、アブラアムさんは私の頭をぽんぽんと叩いて何かを告げて、そのバスルームと思わしき所から出て行ってしまった。そして呆けること数分。

「あ」

 そこまでされて私は漸く、アブラアムさんが家に泊めてくれようとしているのだということに、気がついた。

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