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COMPLEX TRIP!  作者: Tm
序章 始まり
1/37

一条新とその姉

 これが誰のための物語なのか、私は知っている。これは私の物語ではない。これは彼の、彼による、彼のための物語。それがいつから始まっていたのかさえ、私にはいやというほどに解りきっていた。



 一番初めに見えたのは、つやつやとした、かすり傷一つ無い黒いローファー。中学校の入学式のために買っていた一足三千円のものをそのまま履いてきた私と違って、恐らくは私のそれよりも十倍以上は高値、そして新品なのだろうと一目見てすぐわかった。

 目線を上げていくとそのお高そうなローファーにかぶさるグレイのパンツ、濃緑色のブレザー、紺色のネクタイが見えた。公立校の私の一着しかない制服と違って、敷居がえらく高そうなその皺の無い制服は恐らく生地も仕立も一級品だ。ご丁寧に胸元には銀色のネクタイピンが添えられていて、これも一見普通の物に見えるがそれがプラチナであることはすぐにわかった。

 そして最後には、黒縁の眼鏡をかけ、利発そうな口元をきゅっと結び、私をじっと見上げる少年と目が合った。

 神様みたいだ。

 幼齢にして非の付け所の無い精錬されたようなその容姿を目の当たりにして、まるで金縛りにあったように一瞬呼吸さえもが停止した。その長いような短いような刹那の後、気付けばはっとするくらい聡明な瞳が私を映していた。

あらた、新しいお姉さんにご挨拶しなさい」

 隣に佇む、人当たりのいい笑みを浮かべる次元の違うジェントルマンのような人。この人が、戸籍上私の義父になる人。その未来の義父に促され、新と呼ばれたその少年はにこりとも笑わずただじっと私を見つめて、ぼそっとそっけなく呟いた。

「初めまして」

 これが、私と新のファーストコンタクト。この日を境に私の世界は、生活もアイデンティティも私本人ですらも、まるでオセロの一こまのようにあっけなく、がらりと反転したのだった。





「――……それでは次に、副会長から新任のご挨拶をお願いします。一条新君、お願いします」

「はい」

 凛と透き通る美声。未だ高校一年生にして身から冴え渡る堂々とした風格。隙の無い所作で歩く彼の姿に、誰もが目を惹かれ見惚れ感嘆する。まだ少年と青年の狭間に居るようなその面差しは逆に中性的な印象を見る者に与え、見つめる者は男女問わず頬を赤らめてしまうほど。生徒ならばいざ知らず大人である教師までもが己の本分を忘れ彼の挨拶に心酔しきってしまっているのだから、全く理解できないほどの魅力の持ち主だ。

 首席入学以来成績はいつもぶっちぎりのトップ、部活では弓道部に所属し僅か三ヶ月も経たないうちに主将の座に上り詰めてしまった英傑。少々口数の少ないきらいにあるけれどそれがまた彼の人柄を模したようで魅力の一部となり、次々と他人を寄せ付けまた期待を裏切らず人当たりもいい。一言で言うなれば、彼はチート。レベルだけは開始当初から最高値を約束された、そんな少年だった。

 そしてそんな語りつくせない魅力を備えた少年を弟に持つ、たった一歳違いの姉がこの私、一条楓いちじょうかえで。容姿も成績も性格も特筆すべき点がどこにも見当たらない、有体に言えば登場人物B程度のスペックの持ち主。それが私。私に名が与えられているのだってきっと、主役級の弟の姉というポジションに辛うじてぶら下がっているからに過ぎない。そんな事は、彼に出会ったあの時から既に気がついていた。

 しかしもうそんなことは気にすべきではない。彼がこの物語の主人公ならば、モブはモブらしくモブたる所以の役割を果たしてさっさと退場するに限る。そうすればきっと私は――。


「姉さん」

 いつのまにか就任式自体が終えていたのか、気がつくと目の前には主人公その人が立っていた。あいも変わらず淡々とした眼差しで私を見上げ、いや見下ろして、ぼそっと呟いた。

「帰ろう」

「――……うん。かえろっか、しんさん」

 私は呆けていた頭をどうにか切り替えて、微笑み返した。彼は私が『新さん』と呼んだとき、いつものように眠たそうな瞬きを一つした。



 一条新いちじょうあらた。誇るべき、私の弟。元は赤の他人だったが、私が中学一年生のときに彼は私の弟となり、そして私は佐藤楓から一条楓になった。

 母親が再婚し一歳違いの弟ができ、当初の私は少なからず戸惑った。微妙な年頃だったというのもあるが、父方、つまり新の父親は俗に言う富豪の家系というやつで、私の家など家系図すらない庶民中の庶民だったために、弟というよりもお金持ちのお坊ちゃまと同居、というイメージの方が強かったからだ。

 だからただでさえ口数の少ない彼に対してどう接したらいいのか解らず、私はひたすらにこにこと下手糞な愛嬌を振りまいていたわけだったが、当の本人はというと初対面から何も変わらず、それどころか私を呼び捨てにして呼んでくるので、そんな戸惑いさえもいつしかどこかに消えてなくなっていた。

 そんな風にしてお金持ちの弟との生活に四苦八苦しつつもなんとかやってきたのが高校までの三年間。私達はなかなかうまくやっていたように思える。姉弟喧嘩もしたことなどなかったし、そこは幼い時分と違い、お互いある程度の一線は踏まえて過ごしてきたように感じる。

 しかし何時からだろうか。いつのまにか彼は私を呼び捨てにすることをやめ、そして私と同じ学校に入学してきて、今しがた副会長に就任してしまった。

 一体なにがあったのか。それとも特に何もなくただの偶然なのか。寡黙な弟は何も語らず、何も示さず、黙々と私の隣を歩いている。

 よくよく見てみればあの時は私よりも低かった彼の身長は今ではすっかり私のそれを越してしまい、見下ろす立場と見下ろされる立場がすっかり逆転してしまっていた。

 何かがあったわけではないはずなのに、確実に何もかもが当初とは違ってきている。それがなんの兆候なのか、私には解るような気がしていた。

「新さん」

「なに」

「あとで、部屋に行っていい?」

 似ても似つかない弟を見上げる。綺麗な弟。何もかも。似ても似つかない。

 当たり前か、と心の中で自嘲が浮かぶ。私とは血が繋がっていないのだから。遺伝子の時点で、私達に共通点は無いのだから。

 その優良遺伝子の持ち主が、前を向いたまま答えた。

「……うん」

 ちらりと私を一瞥して、そっけなく頷いてくれた。何か思うところがありそうな態度にも見えるけど、あえて私は無視をして微笑み返す。

 それから私は新さんの横顔を時折盗み見ながら、家についた後の予定を頭の中に組み立て始めていた。



「あはははは」

 いつになく明るい笑い声が、弟の部屋に木霊する。こんな時は、私が新さんの部屋に居る証拠。そして私が新さんに変なことをさせている状況、でもある。

 変なこと、だろうか。おかしなこと、とも言える。とにかく普通ではない。

「新さんすごい。すごいよソレ」

 今お腹を抱えている私の目の前で新さんがなにをしているかというと、単なるブリッジ。そう、仰向けになり床に手のひらと足をついて身体を持ち上げる例のアレだ。一見するとただの柔軟かもしれないが、普段こんな事をやりそうも無い、しかも今しがた副会長の挨拶で全校の皆さんを魅了してきた少年がやっていると思うと、シュールすぎて笑いを抑えられなかった。

 チートな弟が何故か部屋でブリッジをかましている。写真に撮りたいくらい、面白おかしい光景だ。ついでにそれを全校の皆さんに公開して、うなぎ登りだった好感度を光の速度で地に落としてやりたい。しかしそんな事はできない。姉として、弟の不名誉は避けたいところだ。たとえそれが、私がせがんで生み出した光景だとしても。ブリッジ新さんは私の心のシャッターに納めておくに留めておこう。

「ああおかしかった。もう止めていいよ」

 微かに滲んだ目じりの涙を擦って言うと、新さんは言うとおりに体勢を立て直す。まるで何事の無かったかのように平静とした顔で。

 ――おかしなことに、新さんは私がせがんだことは今と同じようにしてなんでも叶えてくれた。それが今のような恥ずかしいことでも、難しいことでも、もしくは嫌なことであったとしても、拒んだりはしない。それどころか一向に表情を崩さず淡々とそれをやってのけるものだから、私はこのお願いが癖になってしまい、いい年になってもうこんなことはやめようと思いつつもやめられなかった。

 だってなんでも聞くから。あの新さんが。だから、つい。つい、ね。

 体勢を立て直して手を払う新さんの目の前に立ち、おもむろにその片手を握った。そうすると、新さんのもう一方の片手が私の空いているほうの手をぐ、と掴んでくる。お互いがお互いを捕まえるような形になって、向き合う。暗黙の了解のように、なんの疑問もなく。

 そう。これも私が提案したゲーム。家族になりたての頃、口数の少ない弟との距離感をどうにか掴もうと編み出したのが発端だ。以来私達はふとしたときにこのゲームを始める。言葉を交わさず、相手の心を読むこのゲームを。

「今日は勝てるかな」

 陽気な声で言うと、新さんが私を掴んでいる手に少しだけ力をこめた。

 これは単純な駆け引きのゲーム。手を離したほうが、相手のもう片方の手を捕まえるとゲームオーバー。離されたほうは捕まえられる前にその離れた手を捕まえたらセーフ。攻守がお互いにある、名も無いゲーム。

 最近の私は滅法このゲームで惨敗を喫している。やっぱり成長すると反射神経とか動体視力とか、色々違ってきちゃうのかな。前はそれでも、勝っていたときもあったのに。

 それでもなにかが変化したとしても私はたった一つの盟約を彼に課して、変わらずこのゲームを行っている。それは手加減をしないこと。本気でこのゲームに取り組むこと。私の言うことをなんでも叶えてみせる彼は、未だ嘗て盟約を破ったことなど一度としてない。

 そんな律儀な弟に毎回敗北を喫しながらも、私は幾度と無く彼に挑戦した。なぜだろう。なぜかってそれは――。

「……新さん?」

 ふと、腕を掴んでいた力が、緩んだ。そういう焦らしたり匂わせたりという緩急をつけるのもゲームの駆け引きの一つだが、目前の弟の様子が何故だかいつもと違っていた。どこか別のものを見ているように、深刻な表情をしている。

 あっと思ったときには掴まれていた手を離され、それどころか掴んでいた手さえも振り払われる。反射的にいつもの癖で離れた手を捕まえに掛かり、一度は離れたその右手を取った瞬間、目の眩むような強烈な光が新の後ろから瞬いた。私はそのとき弟がどんな顔をしていたのか、逆光で全く見えなかった。

 一条家の御曹司、あらたのお父さんと、彼女のお母さんが再婚して、二人は義姉弟となりました。一歳違いです。

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