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初めまして地球の者  作者: 想造力


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9/10

俺は前方の七十度ほど上空に浮かぶ空球の影を眺めていた。少なくとも月よりはあまりにも大きいため、空球のちょうど中心あたりが薄暗くなっている。

太陽はいよいよ空を青白く照らし始めたはずだったが、今は空球の影にすっぽり隠れて日食のようになっている。空球はプラズマボールのように後光を放ち、霧雨は視覚的に密度を増し、周囲は淡い藍色に染まった。まるで梅雨だ。

さっきからアストラはルイジュと何か話している。状況の説明か、現実逃避か、はたまた無機質に言語学習か。ああ、もはや考えるのも面倒になってきた。遡ればキリがないし、考えるほど考えたくないものが滲んで混ざってくる。

今までの冷静さが、いくつもの予防線の上で成り立っていることを初めて理解した。そしてそれが、すべてたった一つの着陸船という特異点によって支えられていたことに気づいた。思えば、この星に降り立つ過程で予防線を消していっていたのだ。「…み…」 巡行中こそよかったものの、この星に近づくほど電波は崩れ、地球の面影から遠ざかっていった。シックハウスは宇宙船内で克服したつもりだったが、今はどうしようもなくあの地球に帰りたい。この鮮やかで淡い、まるで具体性を持ちすぎた抽象画のような世界から、いち早く抜け出してやりたい。「…るみ」ダメだ、思考を止めるタイミングを見失ってしまった…。

「なるみ!」

耳元ギリギリまで接近した少女の大きい声が、右耳から左耳へドカンと貫通した。ギュッと喉奥が締まり、出したことのない音とともに反射的に体が跳ねる。足を組んで座っていたのに、明らかに一瞬だけ船から離陸した。

「どっ、どうした!?」

混乱しながら応答した。無意識にぐらぐらと振られる頭と眼球を鎮めてどうにか右を向くと、いくらか見慣れたルイジュの少し大きな目と華奢で幼い顔が視界いっぱいに映った。彼女は不満そうな、呆れているような、安心したような顔をしている。

「なるみ。」

今度は落ち着いたトーンで俺の名前を呼んだ。

次の瞬間、視界が曇りガラスのような薄い肌色に染まった。

「ン…!?」

正確には、彼女は俺の頭を自らの胸に押し付けるように抱いている。顔面にほんのり冷たくて柔らかい感触が広がる。その確かな肉感に、みるみる人肌の温かさが加わっていく。顔面周りが薄紅色に発光し、視界を包んでいく。海球の独特な磯の香りがする。

ふと、瑞野さんを思い出した。感触から匂いまで何もかもが違うが、小六の時に経験したあの歓喜と希望に満ちた力強いハグにどこか近しいものを感じた。子供っぽくて全く大人らしくないのに、どこか優しくてパワフルな母性を感じる。

目頭が熱くなってきた。これまでの人生経験からして、これはきっと自我で止められる類のものではない。そもそも止める気が起きない。俺はルイジュのくびれた腰あたりを抱き返し、静かに泣いた。

数分の後に落ち着き、ルイジュから離れた。そして、アストラに言った。

「アストラ、お前の入れ知恵だろ。」

「バレましたか。ある漫画のシーンにとても似ていたもので、今の鳴海さんに効果的だと思ったんです。迷惑でしたか?」

アストラは申し訳なさを演出しているが、その口調にはそんな雰囲気を微塵も感じられない。むしろ、してやったりな表情の自信に満ちた声で喋っている。

「…いや、助かった。久々にスカッとしたよ。」

ルイジュのハグによって、これまでのあらゆる負のストレスが雑巾のように絞り出された気分だ。

「先ほどと比べて口調が明るくなりましたね。踏ん切りがついたようで何よりです。」

「そうだな。ルイジュも、ありがとう。」

俺は目の周りを袖で拭い、両手でルイジュの頬下を撫でた。霧雨はいよいよ雨粒を肥大化させ、いつの間にか本格的に雨として降っていた。


数日にわたる航海の後、はるか遠くにようやく陸の影が見えてきた。影はまばらに隆起していて、丘がたくさんあることがわかる。その日は快晴で、地平線に沈みかけた太陽がくっきり見えるほどに雲一つない紺碧の空が、これまでとまた違う美しさを放っている。この数日で空球はより空高くまで移動した。きっと赤道に近づいているということだろう。

「ようやく陸が見えてきたか。船に揺られる生活はしばらくやめたいところだな。」

この数日で、ルイジュの気持ちがわかった。この海の沖には自転と潮汐と重力の影響で強力な潮流が発生していて、決して激しくはないが大振りな横揺れが発生する。その全く慣れないタイプの揺れにより、俺は延々と強烈なアナフィラキシーが起こっているような感覚に襲われた。

「なるみ、かめら、ほしい」

そうルイジュが言った。この間カメラの使い方を教えたときは、特に興味を示すことはなかったのに。何か撮りたいのだろうか。というか、カメラの言い方が強制されてしまったあたりが少しばかり寂しい。

「ほら。」

俺はルイジュにぽいと水中カメラを投げ渡した。彼女はそれを片手でキャッチすると、すぐに手に巻き付けて海に飛び込んでいった。

ルイジュはすぐに戻ってきた。毎度毎度ザボンと大きな音と水柱を立てながら上がってくるせいで、いつも驚いては服が湿る。今日も対策しきれなかった。彼女は俺に水中カメラを投げ、「あすとら!」と叫んだ。

「どうしましたか?」

「これ、またモニターで流してくれ。ルイジュが何か撮ってきた。」

ルイジュはさっきから興奮気味だ。一体何を見つけたというのだろう。

アストラはカメラをモニターに接続し、その画面に映像を映し出した。それは、濃い灰色に染まった砂浜。おそらく向こうに見えてきた陸地の映像だろう。この間までいた陸地とは雰囲気が全く違う。何というか、粘土質だ。そして、森の代わりに巨大な岩山が大量にそびえている。

その時、岩山の隙間に何か動くものが見えた。都合のいいことに、ルイジュはそこをズームインしてくれた。きっとルイジュが発見した対象なのだろう。

そこには茶褐色の人型が数人。遠いせいで細かくは分からないが、随分とガタイがいい。ポンチョのような衣服で隠れているにも関わらず、俺達よりも明らかに大柄に見える。こっちには布をまとう文化があるらしい。その群れは大体五か六人、一人だけ肌が白い個体がいる。肌の色以外に変わったところがないため、おそらくアルビノ個体だろう。メラニンによる体色変化か、それともまた別の何かによるものか。

一通り映したと判断したのか、ルイジュはズームを等倍に戻し、船に向かって方向を変えた。


「ルイジュはあれを知っているのか?」

「知ってる、うん」

「アストラ、見る限りあれは知的生命体だと思うんだが、間違いないか?」

「ええ、おそらくそうでしょう。人間のような体型が何よりの証拠になると思います。脳が発達した知的生命としてはかなり合理的な形態ですから。」

「あれはどういうものなんだ?」

「あれ、つよい、こわい、でも、やさしい、あたま、いい」

「知り合いはいますか?」

「いる、うん、ふ…た、り?」

「いい人か?」

「いいひと、うん」

「安全な人か?」

「ちがう、さいしょ、あれ、おそう、つよい、こわい、あぶない」

「最初?」

「うん、あれ、まもる、だけ」

「自己防衛でしょうか。だとすれば、私たちが安全だということを証明すれば、仲間になれるということになりますかね。」

「しょう、めい?たぶん、うん」

「なるほど。」

そう話しているうちに、ようやく岸についた。ルイジュが撮ってきた映像通り、粘土質な濃い灰色の砂浜と奥の大きな岩山。砂浜は見たところ干潟や沼といった感じではなく、ただ細かな泥が固まっているような感じだ。降り立ってみると、案外柔らかい。油粘土のように沈むが、特段滑るわけでもない。砂浜にしてはかなり歩きやすい。ただ、車で走るとタイヤがはまりそうだ。

「鳴海さん、何かの足跡です。随分沈んでいますが、おそらくあの人型の生き物のものでしょう。」

確かに、浜の境界線に沿うように数メートルおきに片足ずつ深い足跡がある。この重力でこの距離、そもそも体が大きいか、もしくはルイジュのように身体能力が高いか。足跡のサイズ的には後者が有力だろう。

波がかかる場所なのに型がくっきり残っている。きっとまだ新しいものなのだろう。早く離れたほうがよさそうだ。

「あ」

船から分離してまた立方体型に再結合したアストラが、まるで聞いたことのない声を発した。それは呆然とするような、少し素っ頓狂な声。彼は俺の後方上空を見て…

ゴォッ

背後からの突風に混ざりこむように伸びてきたそれは、首から肩を撫でるように、固く、堅く、俺を掴んでいた。

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