出発
五分もしないうちにルイジュが海の中から現れた。彼女は粗目の布でできた細長い巾着のような袋を持っている。
「む、あれは武器のようですね。」
アストラが一足早く反応した。袋の口からは数本の木製の槍が生えていて、その先端には独特な青い光沢を持つ石の矢じりが付いている。彼女は俺の前に袋を下ろし、槍をすべて引き抜いて袋の中身を見せてくれた。中には少し湾曲した骨の棒が入っており、取り出してみると思ったより軽い。振るとよくしなる。
「アトラトルに近い形状ですね。槍を投げるのを補助する道具です、あなたの家の図鑑に記載されていました。」
「へえ。どの種族も考えつくことは同じなんだな。」
俺はこのアトラトルと思われるものの能力がどれほどのものかすごく気になった。俺はルイジュに向けてこの道具を指さして見せ、次に五十メートルほど先の大きな枯れ木を指さした。
「試用ですか。確かに気になります。」
ルイジュもアストラと同じように理解したように数回頷いた後、槍とアトラトルを手に取った。アトラトルを槍と一緒に握り、俺たちから少し離れた位置に移動していく。
彼女はひざを曲げるかのように下半身を大きく湾曲させ、尾の先端で座るような姿勢になった。次に上体をひねって槍を構え、腹を反らせる。
「ンッ」
ビュゥン
全身がほんの少しだけ膨張し、それに合わせて全身が赤く光る。下半身を伸ばし、全身を前方へはじき飛ばす。槍を持つ手が離れ、アトラトルの先端が槍を押し出す。周囲の、主に彼女の背後の砂がぐんと盛り上がる。
ボッ
気づけば、そこに槍の姿はない。彼女の背後にはまるでアニメのエフェクトのように大きな砂埃が立ち、数メートル先で腹から着地している。
パンッ
木魂のような破裂音。とっさに音がした方向を見ると、どうだろう。枯れ木が縦にぱっくりと割れている。
「え?」
最初、理解できなかった。地球の常識を元にしているからか、思い込みがあったからか。俺とアストラは揃って枯れ木に駆け寄ると、それは実に天晴れだった。槍は枯れ木の中間あたりを貫き、半分ほど通ったところで静止していた。
「先ほどの投げ方、呼吸、生息環境からして本気ではなかったでしょうね…彼女が温厚でよかったです。…本当に。」
俺たちは着陸船から移動用の軽トラのような車を組み立て、カタカタと森の中を走っていた。森の中は案外木々の間が空いていて、かなり移動しやすい。野生動物や植物があるはずなので食料には困らないだろうが、万が一のため非常食をいくらか持ってきた。ついでに俺専用の機材を持ってきたため、荷物としては多いだろう。
森は梅と楠木と白樺を混ぜたような外観の大木が延々と立ち並び、その黄色い金属のような光沢を持つ木々が森全体を異質で幻想的に保つ。
そんな中で、俺はあの槍投げについてアストラと頭を働かせていた。
「あの状況で枯れ木を貫通…となると、槍を投げた時点で秒速五百メートルくらいでしょうか。火縄銃レベルです、もはや『投げた』というより『発射した』という方が割に合いそうですね。」
「何を呑気な。生物として異常すぎるだろ。」
「そうですね。あの魚の尾にどれだけ筋肉が詰められているかをシミュレーションしても、きっとさっきほどの初速は出せないでしょう。何か根本的に違う部分があるのでしょうか。」
「現時点で周辺におかしな部分は見当たらないよな。しいて言うなら、青みの強い海と白金色の雲か。」
「追々重点的に調査していきますね。」
早速面白そうな謎が現れて、心なしかワクワクしている自分がいる。そんな中、遂に森を抜けた。太陽はいよいよ空高く上り、反射光をあまり多く得られない空球は空に薄暗い影として浮かんでいた。森を抜けた先は、だだっ広い平原が続くばかり。
そこには山どころか小高い丘すらなかった。いうなれば、アメリカの広大な平野のど真ん中にいるようだ。見渡す限り地平線で、そこら中にちらほらと四足歩行の生物が見える。奥のほうには何かの群れが見える。横を向くと、海岸線に沿うような形で森の境界線が続いている。つまり、どこを見ても山なんてないのだ。
「おォー」
ルイジュが身を乗り出してその光景を見回した。いくらこの地域に棲む彼女でも、ここまでは来たことがないらしい。
「ここ、きれい」
カタコトだが、ルイジュが日本語を話した。
「やっぱり、言語の習得が早いですね。」
「ホントだな、羨ましい。」
俺は英語が全くできず、研修時点で外国人の仲間との会話にとても苦労した。まして高校生活でさえ英語は赤点ばかり。そんな俺にとって、ルイジュの記憶力は羨ましい限りだった。
「あの時はよく頑張っていたと思います。いつの間にか通訳までできるようになっていたんですから。」
「つーやく…」
また車を発進させた。空がひらけているおかげで太陽光がたっぷり降り注いでいるため、電気自動車であるこの車は特に電池切れを心配することもない。森を抜けて平坦になったおかげで車体の揺れが減り、ルイジュがさっきより上機嫌だ。
そのまま六時間ほど走り続けると、また森が現れた。
「この感じなら、この先は海だな。」
「ええ、そうですね。さっきの森と特徴が似ています。」
後ろへ振り返ると、ルイジュがさっきいた四足歩行の哺乳類のような生物を荷台で絞めていた。やることは単純で、首を深く切って出血させるだけ。血を抜くことで腐りにくくなるというのは分かるが、通った道に血の跡が残るのはやはりいい気分ではない。
「…手当たり次第というわけではなさそうですが、生物を殺めることにあまり抵抗がないようですね。これが知性を持った野生生物の倫理観なのでしょうか。」
「そうだな…。まあ、おかげで食料には困らなそうだが。そろそろ日が落ちてきたし、早いところ海まで出てしまおう。」
「うみ!」
ルイジュは飛び血が付いた顔を上げて無邪気に笑い、俺たちの恐怖を際立たせる。そうこうしながら車を走らせ、森に入った。
数十分後、ようやく森を抜けた。既に太陽は沈み、空球の光が地面を明るく照らしている。空球自体が大きいため、この星は夜でも昼間の曇り空くらいには明るい。
空を見上げてみると、着陸から初の快晴だ。そこには、月の十五倍はあろうかというサイズの空球が白熱電球のように白銀色に光り、空の周辺まで白く照らしている。そして、その空球に向けて、南の地平線から虹色の束がまるで橋のように架かっていた。おまけに細いプラズマまでまとっている。それは絶え間なく色を変え、時間がたつほど顕著に色を増していく。
「これが『プラズマの環』の本来の姿のようですね。空球と海球の潮汐と磁場が生み出すプラズマの束が、宇宙ではちょうど中間部分だけ見えていたのでしょう。」
アストラが丁寧に説明してくれているが、まるで頭に入ってこない。俺がその光景に見とれていると、ルイジュがその虹色の束を指さし、流暢な舌使いで「リージュ」と言った。
「あれ、リージュって言うのか。」
「うん」
ルイジュは頷いて見せた。
ついに夜になってしまったが、やっぱりあまり眠くない。今日起きた時は太陽がちょうど南中に昇ったころだったため、寝る時間にはまだ数時間ほど早いのだ。アストラは車から分離し、車のメンテナンスをしている。
「なるみ!」
急にルイジュに呼ばれた。行ってみると、どうやら肉の解体が終わったらしい。先ほど食品用に携帯していたナイフを渡してみたが、仕上がりは対して変わらなかった。どういう手の構造をしたらそうなるのだろう。
「アストラ、肉の鑑定を頼む。」
毒見のためアストラを呼び出す。
「わかりました、切れ端を私にください。」
俺は小さな肉をアストラに渡し、アストラは簡素な検査機に肉を突っ込む。
「おお、あの魚と違い、これは加熱しても食べられますね。久々に焼いた肉が食べられますよ。」
それを聞いて俺は歓喜した。慣れない生食を続けたせいか、ここのところ腹の調子が悪かったのだ。
俺はたくさんの木を集め、アストラはいくつかの岩を探し、ルイジュは肉を大まかに切る。
「なるみー、にく!」
肉を大方切り終えたらしいので見に行ってみると、ルイジュがそのままつまみ食いをしていた。食べたことがないであろう肉を不思議な顔で咀嚼し、少しするといまいちそうな表情で首をかしげた。
「これは焼くんだよ。」
「ンー…やくん?」
「焼く」
「やく」
ちょっとだけ頬下を掻いてやり、アストラがどこからか採ってきた大量の枝の串に刺していく。ルイジュも後に続いて真似し始めた。そして作業が終わったと思えば、いつの間にかルイジュは海を流れていた。
準備ができた肉をまたアストラがどこからか採ってきた大きな葉っぱに並べ、今度は簡易的な風よけを作って焚火の土台を組み立てた。
アストラがバッテリーモジュールから先端が不思議な形をしたコードを引き出し、それを木に触れさせると、バチッという音と共に一瞬で火が付いた。
「なんだそれ、すごいな。」
「疑似的な雷で点火するアークライターの応用だそうです。船内でアップデートした時に付属されていました。」
こんなものもついていたのか。意外と気を利かせてくれている。
「油を採っておきませんか?料理のほかにも様々なものに使えるので。」
「なるほど、名案だな。」
アストラの提案を受け、俺はバッグから予備の水筒を取り出して油を溜めていく。生肉を見た時も思ったが、この生物は比較的脂肪分が多いらしい。
ちょうど肉が焼けたころ、ルイジュが戻ってきた。彼女は貝ともカニとも似つかない生物を両手いっぱいに抱えている。陸に上がった途端、彼女はこちらを見て目を丸くした。すぐにこちらに寄ってきて、そのめらめらと燃える焚火を不思議そうに眺め始めた。
そうか、彼女は「火」を知らないんだ。金属を使わず、食事は生食ばかり。それも今なら説明がつく。ルイジュは焚火に指を入れてはピャッと逃げ、息を吹きかけては火の粉を散らす。そんな初々しい反応は少し面白かった。
「ほら、焼けたぞ。」
ルイジュに串焼きを手渡すと、おもむろに熱々の肉を鷲掴んでしまった。案の定ネコがキュウリを見たように飛び上がり、「シー、ジー」と言いながら肉に触れた手を舐め始めた。彼女が落ち着いた後に俺は「ここを持つといい」と串焼きの食べ方を教え、食べる様子を実演して見せる。とはいえ俺も久々の焼いた温かい食べ物だったため、予想以上に熱くて驚いてしまった。調味料が無いとはいえ、ほんのり木のような香りがしておいしかった。
彼女は俺の真似をするようにフーフーと冷まし、いざ嚙り付く。少し難しい顔をしながら咀嚼していると思えば、みるみる彼女の顔が明るくなっていく。
「ンー♡」
あの魚や海藻を普段から主食としていたであろう彼女にとって、これはよほど美味いのだろう。口角を上げ、目を細め、幸せそうに二口目を頬張った。




