着地
昔のことを思い出しながらようやく作業を終え、完成した基盤を手前の立方体に差し込み、アストラを再起動した。
「おはようございます、今は地球時間で朝の八時三十七分です。」
あの錆だらけのスピーカーが新調され、鮮明な若い男の声が鳴る。
「アストラ、何か異常はないか?」
「問題ありません。しいて言うなら、以前までの声が出せるようになりました。」
「そうだな、やっぱりこのほうが聞き心地がいい。」
「腕の感覚と視覚の情報が無いですね。モジュールに不具合がありましたか?」
今のアストラはバッテリーモジュールと記憶モジュール、思考モジュールの三つだけがつながっている状態だ。これはアストラが単独で起動できる最小限の構成となっている。
「いや、この辺はアップデートだ。ストレージやバッテリーを新調して、劣化したコードや発電装置を換装して、冷却装置を手入れして、あとはお前自身のモジュールの適応だけだ。」
「了解しました。では、まず視覚モジュールをお願いします。」
「はいよ。」
俺は立方体型の視覚モジュールを手に取り、手前左の定位置にくっつけた。
「視覚の接続を確認しました。カラーカメラ、ライダー、超音波視覚、望遠、すべて問題ありません。カメラの解像度が上がりましたね、ストレージは圧迫されないでしょうか?」
「ストレージはたっぷり拡張したから問題ないぞ。」
「了解です。では、腕モジュールをお願いします。」
俺は腕モジュールを正方形状に四つ並べ、アストラを上に乗せる。すると、すぐにアストラは腕モジュールを花のように開き、四本の機械アームを伸ばした。
「腕の接続を確認しました。さっきより軽快に動きますね。」
「そりゃよかった。問題なさそうか?」
「はい。少し違和感はありますが、すぐに慣れるでしょう。」
アストラはすぐに腕を使って運転席に戻り、体に片っ端からコードをつなげ始める。
「推定半日ほどで大気圏突入になります。ただ、プラズマの輪があるため一筋縄ではいかないでしょう。心の準備をしておいてください。」
「了解。」
俺は資料を閉じ、資料の引き出しを開く。すると、空中に大量の紙が四散する光景がフラッシュバックした。
いよいよ半日が経過し、海球の大気圏に近づいてきた。もはや窓全体を海球表面の白金のマーブル模様が覆い、反対を向く窓からは空球の白銀が覗いている。
「約十分で海球着陸船の切り離し準備を開始します。私も同行するので、それまでに準備を済ませてください。」
「わかった。そういえば、母船の留守中は誰がここを管理するんだ?」
「ステラが代わりに管理してくれます。説明しませんでしたか?」
俺は「そうだった」と笑いながら宇宙服を着て、着陸船へ移動した。宇宙船の操縦席をちらりと見ると、アストラの立方体モジュール一つ分のロボットが無数のコードで操縦桿に繋がれていた。そのロボットは細い腕をめいっぱい上に伸ばし、見送るように無邪気に振った。
「確認します。この着陸船は母船から切り離され、惑星へ着陸します。母船はあのステラの操縦によって衛星軌道を周回し、探査完了後に離陸して戻ってきた着陸船とドッキングして帰還します。注意点は、プラズマの環によって太陽光発電による燃料確保が難しい点です。そのため探査は長くても五年が限度となっており、これを過ぎた場合、母船は地球に帰ってしまいます。もちろんしっかり戻ってきてくれるのですが、往復なので少なくとも一年はかかります。私たちの生命線や我らがSERAの経費のためにも、時間内の帰還を目標としましょう。」
ステラというのはさっきのロボットだろう。あれは瑞野さんがSERAの有人宇宙船開発のイチ技術者として活動していた時に、アストラの派生機として追加製造されたものだ。本当に、瑞野さんの発明には頭が上がらない。地球出発時の彼女は三十歳を超えたくらいで随分元気そうだったが、今はどうしているのだろうか。
「では、そろそろ切り離し準備の時間です。ステラに手を振っておいてください。」
俺は着陸船の入り口から身を乗り出し、「行ってきます」と大きく手を振った。ステラは片手の手話を使って「いってらっしゃい」と言い、さらに大きく手を振って見せた。
「切り離し準備を開始します。いいですか?」
俺は素早く着陸船内に潜り込み、グッドサインを送る。
「いいですね。入り口が閉まります、注意してください。」
アストラがそう言った数秒後、着陸船の入り口が重苦しく鈍い音を立てて閉まった。
強烈な光、微かな磯の香り、砂の味。目を開けると、アストラのカメラが見えた。
「覚醒しましたね。鳴海さん、大丈夫ですか?」
アストラは俺から離れ、分離していたカメラモジュールを元の位置に移動させた。アストラにより隠されていた太陽の光が本格的に目に飛び込んできて、たまらず目をつむる。おそらくアストラが俺を外へ運び出したのだろう。
「海球に到着しました。ただ想定より地上付近の大気の密度が小さく、想定より速い速度で着地したようです。私たちはこの星の重力が地球より弱いおかげで助かったようですが、着陸船は少し損傷してしまいました。軽く修理が必要になると思われます。」
着陸船の窓から中を見ると、ありとあらゆる機材の位置が微妙にずれ、モノによってはコードだけでぶら下がっているものもあった。アストラいわく、機材自体に問題は無いらしい。入り口が開いているが、おそらく安全確認したうえでアストラが開けたのだろう。
「酸素は地球より若干濃いですが、気圧が地球に近いため宇宙船を着る必要はなさそうです。一応、不調が出るようでしたらいつでも言ってください。」
「わかった、ありがとう。」
俺はアストラの手伝いのもと寝起きのように重たい体を持ち上げ、宇宙服を脱いだ。温暖な場所に降り立ったようで、異星にしてはかなり快適だ。横を向くと、美しい碧色の海が一面に広がっていた。さらに空一面が白と白金の雲に覆われ、反対側には空球と思われる影が見えた。そして、その空球に伸びていく虹色の柱のようなものが見えた。
「…美しい星だな。そうだ、アストラ。何枚か写真を撮っておいてくれ。」
「了解です、付近の写真を撮ってきます。鳴海さんの写真も撮りましょうか?」
「まあ、一応頼む。」
俺は重力に耐えかねて砂浜に仰向けに寝転がり、笑って見せた。すぐにパチリとシャッター音が鳴り、「いい写真ですね」とアストラが言う。傍から見れば、見知らぬ日本人が白い砂浜に寝転がっているだけの写真に過ぎないだろうに。




