金の樹
ルネットたちはそんな樹に構うことなく、ずんずんと大通りを進んでいく。進むたびに樹は大きさを増し、表面はより複雑に絡まり合う。
地面が揺れている。地震のようだが、一定のリズムがあって規則的だ。それは樹に近づくたびに規模を増し、ドクン…ドクン…とゆっくりだが確かな鼓動と心拍音が足元から頭頂まで響く。
ついに樹の麓まで来た。鼓動は地面を内から叩き、轟音を響かせる。樹を成す何とも巨大な根は、鼓動に合わせてメキリ、メキッとその身を伸縮させている。視界が金色の花粉で色づく。何気なくルネットを見ると、何やら立ち止まって前方を覗き込んでいる。
「鳴海さん、空気中の金色の物質の密度が増えています。」
横を歩いていたアストラが、何か忠告すような口調で言った。
「なんだ、もしかして人体に有害なのか?」
「具体的にはまだわかりませんが、これには鉄イオンが含まれているようです。場合によっては鉄過多で体調不良になる可能性があります。粒子が比較的大きいので吸入の危険性は低いですが、念のためガスマスクを装着することをお勧めします。」
「お前は大丈夫なのか?」
「設計上は問題ないはずです。重要な機構のカバーは密閉されていて、関節もある程度は防塵処理をしています。」
少々心配だが、まあ信じることにしよう。俺はバッグから透明なガスマスクを取り出し、顔面に押し付けた。
樹の根本には、十人くらいが横並びで入っても余裕で通れるくらいの巨大な穴が開いていた。そこをルネットが先頭に立ってくぐっていく。何というか、この樹は何もかも規格外すぎて、本当に恐ろしい。
通り抜けるときに見てみたが、この樹は街の周りを囲う壁の門よりも圧倒的に大きい。にもかかわらず、この入り口のように開いた穴は、樹の直径の六分の一にも満たない。足元直下から大太鼓のような鼓動が鳴り響き、鼓膜をダイレクトに叩く。だが、さして好きでもないアイドルのギャンギャンしたライブと違い、この爆音は不思議な安定感と包容力がある。
「なに、それ」
ルイジュがガスマスクに反応した。
「これはガスマスクだ、アストラがつけろと…」
「だめ、はずす」
ルイジュはテンの腕の中から身を乗り出し、ガスマスクをぐいと引っ張った。ガスマスクはスポンと音を立てて顔面から離れ、そのままアストラへぽいと投げられた。アストラはとっさに二本の腕を出し、キャッチする。
「ここ、かお、かくす、だめ」
まさかと巨人らを見ると、ちょうどルネットが口の布を外しているところだった。テリアやテンは慣れた様子で外すが、アムラとノアとルビンは気持ち赤面している。路地裏の男女の件といい、本来はああして恥ずべきことなのだろう。あまり見るべきではなさそうだ。
「しきたり」というモノであればまあ仕方ないので、俺はできる限り浅く呼吸することにした。
樹の中を覗くと、そこは筒状に中空となっていた。見上げても幹の終わりは見えない。そこには変わらず根が絡まったような幹があり、それに沿うように木造の足場が上っていく。前方には段が少し大きい階段があり、上は広い足場になっているようだ。
いびつなスロープをゆっくり大股で登る。その先の平坦な広場に出ると、金色の濃い花粉の中に一人の人影が見えた。
とがった長い耳、綺麗に編まれた長い髪、引き締まった白く細い身体。そこで振り返った気品漂う女性は、美しい群青色の目をしていた。
「ルーネ!」
ルネットが何か叫んでいる。それが何かを表すのか、もしかすると彼女の名前なのかもしれない。
「キキチチ…」
白い女性が顔をしかめ、長い耳を塞ぐ。白い女性が細く開いた口からは白く立派な犬歯と長い舌がちらちらと見え、その金色にちらちらと光る髪が空を舞い、まるで樹の壁面に溶け込むようだ。彼女は身に装飾品、口の布、衣服のいずれも無く、一糸もまとわぬ姿でただただそこに立っている。
気が付くと、彼女は消えていた。俺は一瞬静止し、目を擦る。
ぱさっ
その時、アムラとルネットが上体を傾け、とっさにと言わんばかりに駆け出した。何事かと進行方向に目を凝らすと、ひときわ白く浮かぶ影が地面に横たわっている。
彼女は倒れていた。その場の全員が彼女の方へ走り出し、ルイジュに関してはテンの腕からいち早く飛び出した。
一体何が起きたのだろう。
まるで操り人形の糸が切れたようにプツンと倒れ、そこに居合わせたルイジュ達は異様な速さで救護に向かった。まるで、倒れた理由が元から分かっていて、それがとても危険だということを最初から理解しているかのようだ。
その時、膝がチクッとした。何事かと膝をさするが、特に何もない。気のせいかと思った矢先、今度は腕がかゆくなってきた。蚊に刺されるほどではないが、軽い霜焼けのような感覚だ。段々熱と赤みを帯びてきたようにさえ感じる。一体どうしたのだろう。
「鳴海さん。心拍数が上がっています、一度外に出ましょうか?」
何の変哲もないアストラの声が、ギンギンとハウリングするように頭に響く。いよいよ明確におかしい。俺はアストラの腕を掴み、触れた部分がチリチリと痛むのも構わず無理矢理樹の中から出た。
「大丈夫ですか?」
「あまり喋るな。頭に響く。」
自分の声でさえ脳が焼けるようだ。巨大な門をくぐった途端に金色の霧は晴れ、世界に色が戻る。太陽は空球の影に隠れ、そろそろ出てきそうだ。
「…なぁアストラ。何か眩しくねぇか?」
世界の輝度が妙に高いことを小声で訴える。これじゃまるで、五感が過敏になってるみたいだ。そしてこのストレスのせいだろうか、思いがけず口調がフランクになる。
「いえ、至っていつも通りの日食です。」
アストラは俺の状況を悟ったようで、同じく声量を下げて話してくれている。
次の瞬間に太陽が空球の影から顔を出した途端、視界は見事なまでにホワイトアウトした。
「アストラ、これはさっき言っていた物質の作用か?」
「感覚過敏、肌のかゆみ、関節痛などが発生しているようであれば、十中八九この花粉、もとい金色の物質が原因です。」
アストラは指先で大粒の花粉をしゃらしゃらと擦りながら言った。皮肉なことに、アストラの言った症状が余すことなくすべて出ている。
「ガスマスク、いりますか?」
「…ああ、早くくれ。」
俺はアストラからガスマスクを半ば強引に受け取り、ぐいと顔面に押し付けた。
「なるみー、どこー?」
樹の門の奥からルイジュの声が聞こえる。さすがに何も言わずに出てきたのはまずかっただろうか、少なくとも百メートルは離れている場所から樹の鼓動をかき分け、鮮明な少女の声が耳をつんざく。ちゃっちい双眼鏡で巨樹の幹の門を覗いてみたが、見事なまでに金色に染まっていて中の様子が全く分からない。
少しして、樹の門から一人の大きな女性と一回り小さい人魚の影が現れた。大きな女性は人魚を抱え、人魚は女性の腕の上で手を振りながら俺の名前を叫んでいる。まあほぼ確定でテンとルイジュだろう。テンのほうは少々ふらついているように見えるが、大丈夫だろうか。
「な、る、みー!」
普段は心地のいいルイジュの少女らしい声が、今はまるでマイクを通した金切り声のように変貌している。アストラは慌てた様子で二人のほうへ向かい、小さな声で諭した。
「ルイジュさん、落ち着いてください。今、鳴海さんは体調不良です。静かに話してあげてください。」
「たいちょうふりょう?」
「『鳴海さんの』船の上にいた時みたいに、気持ち悪くなることです。」
「あ…。」
ルイジュが途端に静かになった。ここのところ四六時中アストラにイジられがちな気がするが、俺への気遣いに免じて今回は許すことにしよう。
テンとルイジュがすぐ目の前に到着し、ルイジュがテンの腕から降りた。二人とも金色のラメのような花粉が体中に付着し、まるで大雪の中を走り回ったような状態になっている。ルイジュはすぐさま全身を力強く震わせて金色の花粉を吹き飛ばし、元の肌色や青緑色の鱗の色と独特な模様、五色の石を下げたネックレスの色が戻ってくる。テンのほうは顔を震わせて髪から花粉を払った後、ポンチョのような毛皮をおもむろに脱いでバサバサと振り回した。今の俺の耳には少しばかり強い音が鳴ったが、すぐにルイジュが制してくれた。
「神経系を含む全身に作用するとなると、現時点では時間を置く以外に解決策がありません。どこか安全な場所で休みましょう。」
「いいとこ、しってる」
そう言ってルイジュは俺の腕を軽く掴み、下半身が魚の尾でできているとは思えない速度で走り始めた。
この時にほんの少し見えたルイジュの表情は、はにかむような、不自然な笑顔だった。
この星の生物でも例外なく、樹の内部に長時間滞在することはすごく、すごく危険らしい。解析を終えたアストラいわく、金色の物質はいくつかの効果を持っている。
まず、神経の過敏化。今まさに俺が体験している効果だ。あの白い女性もルネットに呼ばれたときにうるさそうな反応をしていたから、金色の物質は巨人たちにも効くのだろう。テンの歩行の異常もここから来ていそうだ。
次に、物質の硬質化。これはある意味この物質の「良い効果」ともいえる部分で、基本的に様々な物質と繋がる特性を持つが、生物の骨と融合することで強靭な骨格を得られるらしい。ただ、俺の場合はこれを受ける前から既に骨が成長を終えていたため、順応できずに骨表面で結晶化した可能性があると。それが関節の痛みの原因だろう。幸いにもこの物質は水溶性なようで、そのうち排泄なり分解なりされるだろう。痛風みたいで何か嫌だ。
どちらにせよ過剰摂取は危険なようで、飽和して血栓ができたり、過度な神経への作用により失神したりすると。樹の内部は特別花粉のようなものが降っていたが、あれは空気中で飽和している状態らしい。あの中で深呼吸すれば、人間ならまず間違いなく即死。ルイジュや巨人たちは出生時からだいぶ耐性があると考えられるが、それでもあの樹の中に長く留まることはできないだろう。実際、ルネットたちは樹の入り口、少なくとも五メートルは離れた地点で一度立ち止まった。そんな中に、あの女性は全裸で佇んでいた。
自殺
ふと、そんな言葉が浮かんだ。あんなに危険な場所でも、ある意味ではエチケットともいえる布をわざわざ外すような礼儀的な行動が見られる。つまり、あの樹の内部は神聖な場所なのだろう。逆に言えば、あんなに危険な場所にわざわざ最も無防備な姿になってまで入る者はほぼいないと考えられる。
…とてもじゃないが、よっぽどの理由がない限り、あの行動を納得できそうにない。




