巨人
音が無い。脳みそをそのまま外へ弾き飛ばされたような心地だ。インパクトからじわじわと感覚は戻ってきたが、この首筋の長い、いや、大きい手の感触。少なくとも俺の首相手に指でわっかを作れている。三本の太い指が首をキュウと絞め、薬指と小指が右肩を撫でる。軽くもがくように動いてみるが、指の骨に固定されてピクリとも動かない。まるで肉をまとった拘束具のようだ。より高い体温を持つ哺乳類的な手のひらが、「自身より強い生物に押さえられている」ということを本能で理解させる。
だが、がっちりと固定されてはいるが、決して苦しくはない。手加減している、ということはもはや火を見るより明らかだが、むしろその方が…怖い。
視界の端に見える指は、しっとりした見た目の黒褐色。関節がまるで鼓動するようにキシキシと小さな音を立てる。
言わずもがな、俺は硬直していた。さっきの「もがき」以降、その手に拘束されていない脚でさえ全く動かない。顔面から首、腕、腹、脚にかけて流れ出る冷や汗や脂汗のいやに冷たい感触以外に知覚していない。
「ギィー、ギィーー」
ルイジュの声が微かに聞こえる。彼女が初対面で初めて発した言葉だ。左耳からはそれに応答するようにゴゥという低い小さな吐息が聞こえた。
「ギィー、ジャー」
背後から女性的だが若干太い声が発せられた。ルイジュ達の言語を模倣しているのか、はたまたこの星の公用語なのか。その女性的な声はどうやら後ろを向いて発せられているらしい。
「ジリジリ、ウー」
まるで意味が分からないが、急に首を固定する手の力が緩んだ。その拍子に首根っこから顎下までずり落ち、脚が動こうとしない関係でむしろ苦しくなってしまった。
すぐに、後ろから粘土を踏むような足音がたくさん聞こえてきた。
「鳴海さん、おそらくさっきの群れです。一人だけ白い個体がいます。」
「にゃ、な、るみ…」
背後から男のかなり太い声が聞こえる。この状況に反し、ほんの少しだけ柔らかさを感じる声だ。そしてルイジュと同じように、アストラの言葉を模倣しているらしい。
「ギィー、ジリジリ、シー」
次はさっきの女性的な声。ルイジュの様子から、何か会話しているように見える。この様子だとこれがこの星の公用語だと考えてよさそうだ。
そうして女性的な声と男らしい声とルイジュが計十回くらい言葉を交わすと、途端にスッと首から手が離れた。急に自由になり、対応しきれずに地面に倒れこむ。死の危険から一段解放されたとはいえ、俺はまだ彼らの足元だ。
そうして中ば反射的に背後を見ると、六人の巨大な黒褐色の影が、俺を見下ろしていた。
彼らは大きなポンチョのような服を着ていた。そんな体のシルエットが消える服装をしているにも関わらず、その肩幅が彼らの筋肉質さを主張している。ポンチョの前面は大きく切れてマントのようになっており、その隙間からはいかにも硬そうな腹筋が覗いている。
すぐ目の前に立つ女性のような姿の巨人を例に見るが、それは黒褐色な人型をしていて、大きく横に伸びる長い耳、真っ黒な細い髪、人間をそのまま大きくしたような図体を持っている。彼女はしゃがんでいるのに、それでも俺より大きいことがわかる。
そして、手が大きい。人間の場合、手をパーに広げた大きさは顔面と大体同じ大きさという話があるが、彼女らに関してはおそらく頭全体を掴めるだろう。
そういえば、全員口元を四角い布で隠している。どういう意味があるのだろう。
体も部位別だとどこかアンバランスなのに、全体でみるとなぜかバランスがいい。まるで「身体能力特化の大きなダークエルフ」のような風格だ。
他にいる肌が黒い四人は男性のような巨人が二人、女性のような巨人が二人。明らかに性別が分かれている。
男性のうち一人は坊主頭で口元の布で隠しきれないほど立派な髭を生やしていて、その群れの中で最も大きくてガチムチだ。
もう一人は長めの髪を黒曜石のような石の装飾でオールバックにしていて、キリッとした眉と眼光から知的な印象を受ける。
女性の一人はその長い黒髪をラピスラズリのような石で飾られた髪留めで後ろにまとめていて、他よりも若干肉付きがいい印象を受けた。
もう一人はボーイッシュな小さい少女のようで、身長も俺の肩ほどしかない。
その最後尾から、唯一肌が白い男性が覗いている。白金色の整った短髪、群青色の瞳、滑らかな肌。何というか、すごく美男だ。
俺がこの巨人の足元に座るという状況下でなお観察に夢中になっていると、ルイジュの「キチチ、ルィージュ」という声が聞こえた。ルイジュのほうへ振り返ると、彼女は自身を指さして話していた。
そうか、彼女は自己紹介をしているのか。アストラが続いて「アストラ」というので、俺も慌てて「鳴海っ」と名乗ってみた。
向かう巨人たちは何か驚いた様子で仲間同士で互いを見合ってブツブツと話し、まず俺を掴んでいた屈強な女性が胸をポンとたたいて「アムラ」と答えた。次に坊主頭の大男が低く太い声で「テリア」と、オールバックのイケメンは男性的だが少し高い声で「ノア」と、少しムチッとした女性は見た目より若々しい声で「テン」と、小さな少女は女の子らしい声で「ルビン」と、最後に肌の白い男が良く通る若い男の声で「ルネット」と名乗った。
日が暮れたころ、動けるようになった俺とアストラは船の解体作業をしていた。
海岸より先に広がる岩山はこの「車」ですら困難な道になっているのに、なぜかルイジュが「ふね、はこぶ」と言い出した。揃って「はぁ?」と疑問符が浮かぶような提案だったわけだが、彼女はいつになく強要してくるので仕方なく解体して小型化しているところだ。
巨人たちはずっとルイジュと何か話しており、去る気配が微塵もない。
さっさと一通り解体を終え、人一人入る段ボールくらいのサイズに収まった。これは三角トラス型の骨組みと薄い金属板という何とも貧相な構造のおかげである。この形でもタイヤで荷車のように移動させることはできるが、SERAはこういう凹凸の大きい地形で移動することを想定していなかったのだろうか。
「ヂィー、コココ」
ルイジュが作業を終えた俺たちを一瞬見たのち、ルネットと名乗った巨人に向かって言った。それに何か返事をすると、アムラ、テリア、テン、ルビンと名乗った四人に何か合図した。すると、その四人はぞろぞろと俺たちのもとへ向かってきた。俺とアストラはさっきの経験から身構えたが、さっきのような固い雰囲気が消えている。
まずテリアはその図体で船だったものを担ぎ、テンはルイジュを、ルビンは恐る恐るアストラを抱く。残るアムラは俺をひょいと背中に担ぎ、スタスタと群れのほうへ移動していく。
いかにも流れ作業というような動きに俺は何をされたのか一瞬理解できず、さっき俺の首を絞めた張本人に担がれている、という事実に気づくのに時間がかかった。むろん俺は今すぐ地面に降りたいのだが、例によって背中を抑えられて動けない。それどころかその毛皮を被った大きな背中に密着させられる。その毛皮は少し獣のにおいが残っている。
「チリチチチィ…」
全員が岩山を向き、先頭に立つルネットが発声する。理解できないまませわしなく頭を振っていると、後ろにいたノアという巨人に頭を押さえつけられた。
次の瞬間、視界は直線状の残像に埋め尽くされ…
ドォン
ぐうんと後ろへ引っ張られる。首や胴体への大きな負荷で背中から剥がれそうになる。一瞬のうちに速度を増し、もはや毛皮の獣のにおいなんかしない。耳元を風が轟々と唸りながら走り抜けていく。空中に浮く間、ドンと大きな音がした。途端に振動がなくなり、体がふわっと浮くような感覚になる。
勇気をもって目を開けてみると、そこは空球で翡翠色に輝く空と灰色に反射する岩山の境界、その夜の暗闇と霧の中に幻のように浮かぶ巨大な岩山を軽々と超える真っ最中だった。




