マカイノスタジオへようこそ②
魔王らしき黒い鎧の人物が、左手を勢いよく掲げた。
瞬く間に紫炎の火球が生まれ、俺を中心に半径二メートルを囲む。
やばい、このままじゃ消し炭だ!
反射的に手元のタップをつかみ、鎧へ投げつける。
カン、と乾いた音で弾かれた。
「おのれ、ちょこざいな!」
低く響く声。
暗闇に慣れた目で部屋の中を見渡すと、出入口らしき扉があった。
迷わず背を向け、全力で駆け出す。
「むむ? 戦いの最中に背を向けるとは、恥を知れー!」
怒号が背中を追ってくるが、知ったことか。
扉を蹴破ると、そこはやたら広い廊下だった。
高級そうな絵画や壺、彫像が一定間隔で並び、階段が四方八方に伸びている。
どれほどの広さなのか、想像もつかない。
背後から紫炎の光が迫る。とっさに扉から離れた瞬間――
爆音。
衝撃に吹き飛ばされ、二度三度床を転がった。
木っ端みじんになった扉の向こうから、黒い鎧がゆらりと現れる。
尻餅をつく俺を、ゆっくりと見下ろす。
「逃がさんぞ……」
声だけで背筋が震えた。
「待ってくれ! 争いに来たんじゃない! 変な爺さんに飛ばされてきただけなんだ!」
「なにを訳のわからんことを。問答無用ー!」
聞く耳なし。
俺は反射的に走り出す。命がかかった時、人間って本当に足が速くなるもんだな。
飛んでくる火球をギリギリで避けながら、無我夢中で廊下を駆け抜ける。
そのとき、前方に二つの人影が見えた。
助けを求めるなんて愚かだとわかってる。ここは魔王の城だ。
でも、藁にもすがりたかった。
近づくと、それは人影じゃなかった。
一人は緑色の鱗に覆われた大きなトカゲ。二足歩行で瞬膜をパチパチさせ、俺を凝視している。
もう一人は――三メートル近い人型の岩。
ごつごつした岩の隙間に苔が生えている。どう見ても魔王の部下だ。先回りされたか?
「お、おい! なんだ!? なんだ!?」
トカゲが慌てた様子で叫ぶ。……あれ、敵じゃない?
とりあえず二人の間をすり抜け、逃走を続ける。
背後から火球が飛び――
「あちゃー!!!」
トカゲが直撃を食らったらしい。悲鳴に振り向いた瞬間、
「きゃっ!」
誰かと正面衝突した。俺はその人の胸に倒れ込む。
甘くスパイシーな香り。艶やかな赤髪が頬に触れる。
「そうね〜、大丈夫?」
色っぽい声とともに、長い髪を耳にかける仕草。
だが……やけに硬い胸板。胸筋だ。
撫でてくる手も筋肉隆々で血管が浮いている。男性だった。
筋肉でパツパツの執事服が似合いすぎている。
「騒ぎを聞きつけて様子を見に来たと思えば……そうね〜、あなたが原因なのね」
「あの! 違くて! 俺は!!」
「往生せいやあああ!」
振り返ると、魔王が紫炎をまとって飛びかかってきた。
「そうね〜、ラグナちゃんも暴れすぎよ! ストップ!」
空間から無数の鎖が飛び出し、魔王をぐるぐる巻きに拘束する。
鎧ごと床に叩きつけられ、鈍い音が響いた。
……この人が助けてくれたのか?
「ありが――」
「たまにいるのよね、今でも魔界を攻めに来る人間が。
でも、寝込みを襲うなんてナンセンス!
外部侵入は極刑って決まってるの。……そうね、何度も来られるのも面倒だし」
周囲に物騒な拷問器具が次々と現れる。
「どこの組織の企みか、た〜っぷり聞かせてもらおうかしら?」
気づけば俺も鎖でぐるぐる巻きにされていた。ミノムシ状態で倒れる。
赤髪の男が手に取ったのは――彫刻刀。しかも角刀。
「まずは、全身の皮を剥ぎます」
え、それ何時間かかるの!?
真剣な眼差しは、冗談に捉えれなかった。
その顔を見た瞬間、老人の言葉が脳裏によぎった。
そういえば、赤髪の男に探すように言われていた!
「待ってくれ! 俺はある老人から、あんたにこの紙を渡せと言われただけなんだ!
ここに危害を加えるつもりはない! 本当だ!」
左手に握っていたくしゃくしゃの紙を差し出す。
「……なにかしら?」
「ティル! そんなやつの言うこと聞くな! さっさと処せ!」
魔王が鎖の中で怒鳴る。
赤髪の男は紙をじっと見つめ、やがて口元を緩めた。
「うちのレイアウト用紙に、このサイン……間違いないわね。
あらやだ、予言の救世主って、この子?」
彫刻刀は下ろされた。助かった……のか?
「手荒な真似をしてごめんなさいね」
「いえ、こちらこそ……」
鎖が解け、膝から力が抜ける。差し伸べられた手を借りて立ち上がった。
魔王も鎖を解かれ、紙を見て発狂していた。
「こいつが救世主だと!? こんな貧弱なやつがか!? ミヤタニは何を考えておる!」
救世主? ミヤタニ? 話が全然見えない。
「あの、俺、本当に何も知らなくて。ここで何を――」
「やだー! 私、飲みの約束があったんだった! 時間に厳しい魔物なのよね〜!」
赤髪の男は慌てて俺の腕を鎖で巻く。
「細かい説明は明日! 今夜は牢獄で過ごして頂戴♪」
「……え」
あっという間に彼は去り、トカゲと岩に地下牢まで運ばれた。
トカゲは黒焦げで、終始不機嫌そうだった。