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35話

 あの子からこの人物に手渡された神器。ストラディバリウス。ヴィズの脳裏にもよぎる。


「ヴァイオリン? 『シュライバー』のこと?」


「いーや? あれは使わない。あの子だってそうだったでしょー? ヴァイオリンはね、使い分けたい時があるんだよ。ピアノだってそうでしょー?」


 最前列の客席にケースごと、事前にオーロールは置いておいた。弾くかどうかは気分次第だったが、いいピアノの演奏と闘争心にあてられ、弾くほうに軍配が上がった。


 使い分け。その気持ちはヴィズにもわからなくはない。響きよりもタッチを優先したい時。ある。


「否定はしないわ」


「ま、そんなわけで、もう少し弾いて馴染ませたいんだよねー。付き合ってくれる?」


 オーロールが振り向いた先。


 そこには、今か今かと待ちわびるイリナがいるわけで。


「そっちがこっちに付き合うんだよ。あいつは、ブランシュはすごいヤツだった。あいつはあんたを認めてるのか知らないけど、あたしはまだ認めてない」


 たとえどんな曲であろうと。今ならどんな曲も弾ける気がする。アドレナリンが溢れていて。疾走感、みたいな前のめりな高揚。こいつの鼻を明かして、そしてやっぱりって安堵する未来の自分が——


「バラキレフ『イスラメイ』」


「……あ?」


 その曲名。作曲家。冷静に。淡白に。静かにオーロールから言い渡された単語。それにイリナは体を硬直させる。


 微かな衣擦れの音さえも聞こえてきそうな、音のない空間。緊張感が増された場。それを作り出した張本人のオーロールが動きを見せる。


「……って言ったらどうする?」


 おちゃらけるように。ただ反応が見てみたくて。


 そう、それは嘘。だが、嘘だとしても。ピアニストを目指す者としては、瞬きが多くなる理由があるわけで。


 唇を舐め、軽く噛むヴィズ。言葉が出てこない。たっぷりと間をおいてから、


「……なにが、かしら」


 と、あえて問うてみる。眼球が泳ぐ。

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