エピソード6-2 貴族の欺瞞
長い一日が終わり、食事の席が整えられた。
ロルフ・エバーラインは、格式を保ったまま静かに席につき、エルミナを迎えた。
「改めまして、公爵令嬢。このような機会をいただき、光栄に存じます」
「こちらこそ、手厚いもてなしに感謝する」
食卓には、街で取れた野菜や肉が並ぶ。
一見、豊かな食事のように思えるが、どこか質素な印象を受けた。
(……この規模の街なら、もっと豪華な料理が並んでもおかしくない)
エルミナはそのことに気づいたが、口にはしなかった。
ロルフは礼儀正しく振る舞い、食事を進める。
しかし、その動作にはどこか張り詰めたものがあった。
「エルムヴィークは、王国でも重要な交易の拠点だと聞いている」
「ええ。そのために、他国との関係も密接であり、王宮からの指示を受けることも多くございます」
「外交政策の影響は?」
エルミナが探るように問うと、ロルフの指が一瞬だけ止まる。
「……公爵令嬢、この国の外交の意義はご存じでしょう?」
「ああ。隣国との友好を保つことは、戦争を防ぐ上で重要だ」
「その通りです。我々もまた、それを理解しております」
ロルフは酒杯を軽く傾け、ゆっくりと息を吐く。
「しかし、それを"支えている者"が誰かを考えたことはございますか?」
エルミナは無言で彼を見つめた。
「貴族は、国の安定を維持するために外交を行う。それは正しい」
ロルフの口調は変わらない。
だが、その目はどこか冷ややかだった。
「ですが、公爵令嬢。貴族が"交渉"をし、"外交を成功させる"のは簡単です。
なぜなら、その負担を引き受けるのは"庶民"だからです」
エルミナは、その言葉に僅かに息を呑んだ。
「どういう意味だ?」
ロルフは笑みを消し、低く語る。
「王族や貴族は、隣国と友好を結ぶために"贈り物"をします。
しかし、その贈り物を用意するのは貴族ではありません。
それを捻出するのは、我々──庶民です」
「……」
「我々は、税を納め、食糧を差し出し、軍の維持費を負担し、それでも足りぬと言われる。
"貴族が統治することが国を守るため" という建前で、我々の暮らしは"安定"の名のもとに圧迫されるのです」
静かな声だった。
だが、その言葉は鋭く、重かった。
「……お前は、貴族の存在を否定するのか?」
ロルフはゆっくりと酒杯を置き、エルミナを見つめる。
「貴族が必要かどうか、私は答えを持ちません」
「……」
「ですが、公爵令嬢。貴族がいることで、本当に庶民は守られていますか?」
その問いに、エルミナは返す言葉を持たなかった。
貴族がいなくなれば、統治が乱れ、混乱が生じる。
それは確かに事実だ。
だが、今目の前にいる男の言葉が示すのは、「貴族がいることで庶民が犠牲になっている」という現実 だった。
「……私は、貴族の責務を果たしてきたつもりだ」
「ええ。貴族の中には、確かに国を憂い、民を守る者もいるでしょう。
しかし、それは一部の話です」
ロルフの目が、鋭く光った。
「貴族は、貴族のために存在するのではありませんか?」
エルミナの胸に、鋭い刃が突きつけられたような感覚が走る。
王族のために。
貴族のために。
国のために──それが自分の生きる道だと思っていた。
(だが、それは本当に"民のため"だったのか?)
それは、今まで考えたこともなかった問いだった。
ロルフは、静かに席を立つ。
「……長々と失礼しました、公爵令嬢」
彼は頭を下げるが、その表情はどこか皮肉げだった。
「この話を聞いて、何を感じるかは、お嬢様次第です」
「……」
「ですが、貴族がいることで、本当に庶民が幸福になっているのか。
それだけは、貴族の方々にも、一度考えていただきたい」
ロルフの言葉が、まるで錆びた針のように、エルミナの心に突き刺さった。