エピソード4 貴族の秩序を壊す者
「衛兵、この男を処刑しろ」
ヴァルド・オルタン男爵の声が、王都の馬車通りに響いた。
その言葉に、貴族たちは何の疑問も持たず、クスクスと笑う。
民衆の中には怯えた顔を見せる者もいたが、誰一人として止めようとはしない。
なぜなら、貴族の言葉は法であり、秩序であり、絶対だからだ。
衛兵の手が剣の柄にかかる。
絶望に震える老人が、涙を流しながら地面を這いずる。
「お、お願いです……私を殺さないで……!」
しかし、ヴァルドは哀れみの一欠片も見せなかった。
「汚いな。こんなものが生きているだけで、貴族の道が穢れる」
その瞬間。
「剣を抜くな」
冷たい声が、通りに響いた。
全員が息を飲んだ。
貴族たちが一斉に振り返る。
いつの間にか、馬車から降りていたひとりの女。
──エルミナ・ルゼリア公爵令嬢。
衛兵が戸惑いながら、手を止める。
ヴァルドが彼女を見て、不快そうに顔を歪めた。
「……エルミナ公爵令嬢。何のつもりだ?」
「その男を処刑する理由がない」
静かに告げる。
彼女の言葉は、冷たく、鋭く、そして凛としていた。
ヴァルドは鼻で笑う。
「は? 理由? そんなものは簡単だ。この貧民は、貴族の道を汚した。それだけで処刑するに足る理由だろう?」
エルミナは、一歩前へ出る。
「ならば問おう。貴族の道を汚した者は全て、処刑の対象となるのか?」
「当然だ」
「ならば、貴族の名のもとに横暴を働く者も、その対象か?」
その言葉に、ヴァルドの表情が変わる。
「……貴様、私を侮辱する気か?」
「事実を問うているだけだ。答えられぬのなら、貴方の言葉に正当性はない」
貴族たちがざわめく。
まるで「面倒なことになった」と言わんばかりに、目を逸らす者もいた。
しかし、衛兵たちは微妙に動揺している。
貴族の命令は絶対だ。
だが、エルミナ・ルゼリアは、公爵令嬢であり、王国の最前線で戦ってきた者。
そして、国王が認めた騎士でもある。
どちらの命令に従うべきか──彼らは迷い始めていた。
「黙れ!」
ヴァルドが怒りに満ちた顔で叫ぶ。
「お前はもう、王太子妃ではない! ただの捨てられた女だ!」
その言葉に、貴族たちの間から笑いが漏れる。
だが、エルミナの表情は変わらない。
彼女は、老人の前に立った。
まるで、「この者には指一本触れさせない」と言わんばかりに。
「王太子妃でなくとも、私は貴族だ。貴族であるならば、貴族の道を問うことは許されるはず」
「……ッ」
「それとも貴族は、己の愚行を指摘されたら、己より弱い者に剣を向けることしかできないのか?」
ヴァルドの顔が怒りで歪む。
「殺せ! そいつも一緒に殺せ!」
その言葉に、衛兵たちがぎくりと身を固くする。
彼らは戸惑い、互いに視線を交わす。
──貴族の命令に従うか。
──それとも、エルミナ公爵令嬢の言葉に従うか。
その間に、エルミナは衛兵の前に立つと、低く告げた。
「剣を抜けば、私は正当な理由のもと、お前たちを討つ」
彼女の瞳が、まるで刃のように光る。
衛兵たちの間に緊張が走った。
「……貴族同士の争いには、我々は関与できません」
一人の衛兵がそう呟くと、周囲の兵も一斉に頷いた。
──ヴァルドの命令を、無視したのだ。
「貴様ら……!」
ヴァルドは激怒しながらも、エルミナを睨みつけた。
「いいだろう……その老人はくれてやる。だが、覚えておけ。お前のその振る舞い、貴族社会が許すと思うなよ?」
エルミナは何も答えず、老人に手を差し伸べた。
「立てるか?」
老人は涙を流しながら、震える手でその手を取る。
「……ありがとうございます……」
その光景を見ていた周囲の庶民たちは、誰もが驚愕していた。
これまで、貴族に逆らう者などいなかった。
それを、目の前で成した者がいる。
──この時、初めて「革命の炎」が灯った。
貴族たちの間では、エルミナの行動は「問題のある行動」として囁かれ始める。
しかし、庶民の間では、彼女の名が「貴族に歯向かった貴族」として密かに語られ始めるのだった。