エピソード3 穢れた景色
馬車の車輪が石畳を滑る。
金で装飾された貴族たちの馬車が並び、王都の中央通りを悠然と進んでいた。
この通りは、本来ならば貴族たちのために整えられた道。
貧民などいないはずの場所。
──だからこそ、彼は激怒した。
「なんだ、あれは?」
窓から外を見た瞬間、彼の顔色が変わった。
彼──エルミナを見下していた貴族、ヴァルド・オルタン男爵。
華やかな衣服を纏い、優雅にワインを傾けるその男の視線の先には、ひとりの老人がいた。
背中を丸め、破れた布を纏い、痩せ細った体。
まるで風に吹かれれば消えてしまいそうな姿。
彼は馬車通りの隅で、何かを探すように這いつくばっていた。
──一片のパンの欠片を。
その姿が、ヴァルドの機嫌を大きく損ねた。
「なんと醜悪な……」
彼は馬車の扉を乱暴に開け、外へと降りる。
そのまま、道端にいる老人を見下ろしながら、鼻をつまんだ。
「貧民がこんな場所にいるとは、どういうことだ?」
まるで異物を見るような目。
周囲の貴族たちも、興味深そうに馬車から顔を出す。
「どうしたのです?」
「何か面白いものでも?」
「いや、ただの目障りなものを見つけてしまっただけだ」
ヴァルドは肩をすくめ、続けた。
「……私は、醜いものを見るのが嫌いでね」
その言葉に、貴族たちはクスクスと笑う。
彼らの笑い声に、老人は怯えたように頭を下げ、這うように後ずさった。
「す、すみません……私は、ただ……」
「ただ?」
ヴァルドは笑みを浮かべながら、片足を老人の肩に置いた。
軽く押し出すように、まるで小石でも蹴るかのように。
老人は転び、地面に這いつくばる。
その姿を見て、ヴァルドの表情が歪んだ。
「──不愉快だな」
その言葉とともに、彼は躊躇なく命じた。
「衛兵、この男を処刑しろ」
その場が一瞬、静まり返る。
だが、貴族たちはすぐに無関心に戻る。
まるで、「当然のこと」が起きたかのように。
「……処刑?」
地面に伏せた老人の声が震える。
「この通りは貴族のための道だ。それを汚した罪だよ」
ヴァルドは言い放つ。
嗤うように、心底愉快そうに。
「"美しくないもの"は、この世に不要なのさ」
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エルミナの視点
馬車の中で、その光景を見つめていたエルミナの指が、わずかに震えた。
(処刑……?)
彼女は何度も人を殺めたことがある。
戦場で、剣を持ち、国のために戦ってきた。
しかし、それは敵国との戦いだった。
貴族の気まぐれで、貧しい老人が処刑される光景など──見たことがない。
ヴァルドはエルミナを馬鹿にしていた貴族のひとり。
王太子の新たな婚約者が決まったことで、彼もまた、彼女を見下すようになった。
だが、今の彼の表情を見たとき、エルミナは気づいた。
(……私は、こんな者たちと、同じ側にいたのか?)
ヴァルドの目に映るのは、"人間" ではない。
ただの"目障りな汚れ"。
「では、早くやれ」
「嫌だ、嫌だ! お助けを!」
老人の叫びが、周囲に響く。
しかし、貴族たちはただ興味深そうに眺めるだけ。
エルミナは馬車を降りようとした。
だが、その瞬間、衛兵の手が剣の柄にかかった。
(……この場で止めても、意味はない)
彼女は歯を噛み締めながら、拳を握りしめた。
今、ここで剣を抜けば、確かにこの老人を救うことはできる。
だが、それは"貴族同士のいざこざ"で終わるだけだ。
(──貴族の秩序を破壊しなければ、何も変わらない)
エルミナの中で、確かな"革命の種" が芽吹き始めていた。