エピソード2 帰路
──王宮の扉が閉じた瞬間、世界の色が変わった。
エルミナは馬車に乗り込むと、息を吐いた。
背筋はまっすぐ伸ばしたまま。
表情も崩していない。
だが、指先がわずかに震えていた。
(……滑稽なものね)
彼女は窓越しに、壮麗な王城を見上げる。
あそこは、彼女が命をかけて守ろうとしていた場所だった。
王太子の剣となり、国を支えることが、自分の役割だと信じていた。
(そんな私を、"真面目すぎる" からと捨てるとは)
それはつまり、国の未来よりも、心地よさを選ぶということだ。
彼女がこれまで尽くしてきたものは、ただの「飾り」にすぎなかったのか。
「……ふふ」
小さく、笑みがこぼれる。
それは冷たい笑みだった。
もはや怒りでもなければ、悲しみでもない。
ただ、ひどく滑稽だと思ったのだ。
貴族たちは、己の立場を忘れ、安楽に溺れる。
王族は、国の未来よりも、その場の心地よさを求める。
そして、それを見て見ぬふりをする王宮の貴族たち。
(……ならば、この国に未来などないわ)
エルミナの視線は、遠くへ向いた。
王都の繁華街。
活気に満ちた市場。
そして、その奥に広がる、貧困街。
そこに生きる者たちは、彼女とは無縁の存在だった。
いや、今まではそうだった。
彼らの苦しみを知ることなく、ただ剣を振るって国を守ることだけが、自分の務めだと信じていた。
(私が信じていたものは、もしかすると……)
視界の端に、ひとりの幼い少年が映る。
痩せ細り、ぼろぼろの服を着た少年が、道端で何かを探していた。
やがて、彼は石畳の隙間に落ちていたパンくずを拾い上げ、小さな手で握りしめた。
(……あれが、この国の現実)
王宮では決して語られない、もうひとつの世界。
彼らの声を聞こうとする貴族は、一人としていない。
それでも、彼らは生きている。
必死に、泥をすすり、カビたパンを齧りながら。
──それは、この国を生かすために必要な犠牲なのだろうか?
その問いが、初めてエルミナの胸に浮かんだ。
彼女の世界は、今、静かに変わり始めていた。