エピソード1 婚約破棄
「お前との婚約は破棄する」
その言葉が広間に響き渡った瞬間、すべてが決定した。
それは王太子の意志であり、貴族社会の秩序に逆らえぬ者たちにとって、受け入れるべき「決まりごと」だった。
エルミナ・ルゼリアは、ただ静かにそれを聞いていた。
感情を押し殺し、冷ややかな眼差しを保ちながら──。
「我が公爵家を軽んじるとでも?」
広間に冷たい波紋が広がる。
貴族たちは顔を見合わせ、場の空気が重くなるのを感じた。
「貴方の一時の快楽で国を不安定にするおつもりですか?」
レオポルドは眉をひそめ、周囲の貴族たちは一瞬、息を呑んだ。
だが、すぐに笑いが起こる。
彼らはこの空気が悪くなることを嫌い、考えることを放棄した。
──まるで「面倒なことは考えずに、忘れてしまえばいい」と言い聞かせるように。
しかし、王と執務官たちは、確かにその言葉を重く受け止めていた。
そして、王子の新たな婚約者が、柔らかく微笑んだ。
まるで「勝者」として哀れみを投げかけるように。
「申し訳ありませんが、あなたには殿下のお心を癒やすことはできませんわ」
彼女の声音は甘く、優しく、そして突き刺さるように冷たい。
「あなたには足りないものがあるのです」と言わんばかりに。
エルミナは彼女を一瞥し、ゆっくりと視線を戻した。
まるで彼女を取るに足らぬ存在だと見做すかのように。
「……私がここに立つ理由は、殿下の心を癒やすためではありません」
「国の未来を守るためです」
レオポルドが口を開く前に、エルミナは静かに踵を返した。
音もなく歩き出す。
だが、最後に。
彼女は振り返らずに、ただ言葉を残した。
「──快楽に溺れる者が王となる国は、どれほど短命でしょうね」
その瞬間、広間が凍りついた。
誰もが言葉を失い、場は異様な沈黙に包まれる。
しかし、それは一瞬のこと。
すぐに貴族たちは苦笑し、またどうでもいい話題へと移っていく。
まるで、この出来事など取るに足らないことだと。
──だが、王と執務官たちの表情だけは、硬いままだった。
エルミナは背を向け、静かに宮廷を後にした。