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書痴日記  作者: 茶屋ノ壽
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005_20230902

 先生というものは、先ず生きていると書くくらいのものであり、まあ、尊敬に値するものではない、とか何とか表現している小説だったかエッセイだったかの書き物があったような覚えがあるわけではあるが、大体はその通りであるという現実が、結構悲惨なのではないかなとは思う。


 いやまあ、一概にそういうどうしようもない人ばかりではないということは確かであり、こう、大きく括って文句をつけるのはこれはまあ、卑怯と言うか、予断というか、失礼と言うか、妄言というか、ううん、つまりは、言い過ぎではあるわけで、しかしまあ、構造的にダメな大人が教師をやっている可能性はおそらく高い、のではないかなと言う予想があるんだな。


 いや、根拠としてはシンプルで、それは、労働に見合った賃金が支払われていない、これに尽きるわけであり。反論はまあありそうではあるけれども、こう、な、労働時間とか、仕事上の責任とか、それに見合う見返りが少ないのじゃないかなと言うのは、客観的に見て明らかではあるし、主観的に見ても、いやまあ、私が目にする教師の生体と言うか勤務実態とか見ても、ええまあ、自分がその職に就きたいかと言うと明確に断りたいくらい、忙しすぎると見えるわけであり。


 小さな人に、経験が少なくて、浅い思考しかできないようなのだとしても、これはまあ、酷い労働環境なんじゃないかなと思わせるくらい、取り繕えないくらい、誤魔化しが効かないくらいに、余裕がないことが見て取れるという。


 そんな職業に就くしかなかった追い詰められた大人がやっていることをどうやって、尊敬すれば良いのかなぁと言う単純な話であり、つまりは自分の才能というか努力というか、そこまで積み重ねてきた人的資源を、教師という割に合わない職種に注ぎ込むしかなかった、という、人生設計のまずさが見て取れるわけであり。


 いやまあ、もちろんそれだけではないのはわかるわけで、先生と言う職種にある種の憧れやら使命感やら大義やらを感じている方々もそれはいるであろうけれども、いやまあむしろそれがなければやっていけないというのだろうけれども、どう考えても、どう観察しても、それはそれで歪んでいるんようにしか見えないのだよなぁ、と。


 別に教師を馬鹿にしているわけではなく、限られた選択肢の中で自ら選択したか、流れ的にそうなったのかは、まあ、個々の話でわからないわけではあるけれども。


 薄給の割には苦労が大きすぎるとしか見えない、そう言う構造が、素直に先生を尊敬する気持ちを妨げている。いやまあ理由はそれだけではないんだろうけど。


 まとまらないな。


 今日はここまで。

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