049_20231016
宗教が絡む闘争は相手を殲滅しなければ収まらないというところになりやすいのですかね?
日本の戦国時代にもあったみたいに、民衆がというか宗教団体が、民衆を統率してしまった場合の暴力装置を解体させるには、信仰という拠り所から滅ぼさなければならないという形になりやすい、のかなぁと。
信じるものは救われるなら、その考えを持つものを残らず消してしまわなければならないという判断は、それほどおかしなものではなく、ある意味、時間をかけて精神的な汚染?洗脳を解く暇がない時には、その思考をもつものを排除しなければならない、となるんだろうなぁと。
それが道義的に正しいかどうかは、その時々の環境によるのであろうけれども大体は殺人が肯定される状況であれば過半数の同意は得られる流れではあるのかな?と。
戦争状態は組織的に殺人が肯定されている環境であるわけで、まあ、その場合でもあまりにも悲惨すぎるやり口は禁止されるわけではあるけれども、逆にいうならば、あっさりとすっきりと後腐れなく一息に、無差別でなく選別することができるなら、効率よく人を殺してもよいということではあり、なんだかディストピアっぽい雰囲気がぷんぷんしてくるわけで。
当然人的資源は枯渇するまで追い詰められるわけではあるので、むしろここで手加減をしてしまった方が禍根が残るまである、と考える管理者も多いのであろうかなとか、宗教的な思考やら価値観の創造は、ある意味洗脳であると言えるわけであり、完全にそこを破壊しておかなければ同じ失敗を繰り返す、ことになるという、そういう考えは、論理的には見える。
ただ、思い上がる気持ちそのものを否定することに繋がりかねない、つまりは真っ当なというか生物として普通の、命を守りたいという、生存戦略と宗教が混ざり合ってしまうと、というか基本それは、同じものであったはずで、生き残りたいからこそ宗教を作り上げた、生きやすいようにそれを作ったはずであるので。
それを否定されることは、命を脅かされることに等しいという、そのような価値観ができやすいのであろうかな?と思うわけで。
いやもう、宗教、無くしたほうが人間楽になれるんじゃないかなという意見が、あまり過激では無くなってきているような気がするんだけど。
既得権益というやつが、邪魔をするんだろうなぁ、知ってる。
どうしようもないんじゃないかなと思うけど、どうにかするしかないのであろうなぁと、徐々に変化させていくしかないのであろうなぁと。
無理とは言わないけれども、長い時間がかかるだろうなぁ、私が生きている間は達成されないんじゃないかな?
今日はここまで。




