037_20231004
昨日の考察?適当な連想?の続きになるのかも知れない、いやまあ、どこぞの紅茶好きの提督ではないのだけれども、民主主義の方がいくらかマシという発想は常にあるんじゃないかなと、ええまあ、基本堕落するというか、形骸化するというか、腐敗してダメになることは確かではあるけど。
独裁というのは個人に頼りすぎてしまう、そこに暮らす市民とか国民とか構成員とかが何も考えずに丸投げしてしまうことがよろしくなく、要は決定権を丸ごと預けてしまうことがよくないわけであり、これはまあ、無責任というか、怠けているのではなかろうかと言われても不思議ではない?んじゃないかなと。
いやまあ、大体はあのSF小説で言っていた?書いていた内容そのままではあるのであるけれども、含蓄があるような気がするんだよね、間違ってはない、気がする。なので、定期的に革命を起こして民主主義をやり直す?ことが必要なのではなかろうかなという話でもあるのかなと。
暴力的なそれではなくて、既得権益のリセットに近い受け渡しのようなものであるのかなと、属人化を廃して、広くその構成員が関われるような、風通しの良いシステムに変革していくという流れが必要になる、のであろうかな?と。
一度独裁制になってしまうと、これを覆すことは難しく、それはそう、思考やら言論やらの統制が、暴力を背景にして行われてしまうので、ひっくり返すにもまた暴力が必要になることが多く、これはなかなかに不利を覆すことが難しい、んじゃないかなと予想できるわけで。
なので、それを防がなねればならないわけではあるけれども、それには基本的にその国の構成員が頭がある程度よくなければならない、少なくとも独裁をよしとしない、ことを理解していなければならないわけであり。
また、支配管理をすることを権力を分散したままで行えるような知恵やら知識やらも同時に必要になるわけであり、その必要性が十分大切なものであるという価値観も育てておかなければならず。
どうして、広く一般の市民が政治に関わらなければならないのか、その利点と、そうしなければ被る被害やら不利益を、知っていかなければならない、というところは確かなんじゃないかな?
だから、学校でいろいろ習ったり、経験したりする、んじゃないかなぁとか、思うのだけれども、そこまで考えている人は実は少数なのであるかな?
小さな人はともかく、大人もそういう意識は普段は低そうではある?
気のせいかな?気のせいだといいなぁ。
今日はここまで。




