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書痴日記  作者: 茶屋ノ壽
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031_20230928

 不必要な人間は存在しない、これがお題目ではあるというか、ほぼ全てで肯定される意見ではあり、人権とかが関わってくる元になる、価値観ではあるか、とか思うのであるけれども、じゃあ、なぜ人殺しが無くならないのかという話にはなるなぁと。


 いや、それが大切であると言っているのであるから、それはまだ守りきられていないということである、とか言ったらば、そこで話は終わってしまうわけではあるけれども、ある意味終わって良いのかも知れないけれども。


 こう、看病に疲れて、病人を殺してしまって、そして自分も死んでしまうという話とかを聞くと、命ってなんであるかなとか、思う人が多いような気がするな、という、いく年か前には、障害者施設で入居者?を職員が殺害するようなものもあったりしたけれども、生きていても仕方がないからそうしなくした、というのは、実のところ筋が通っているのではないか?とか、思われないのであろうかな?


 多様性を大切にしてきたからここまでやってこれた、というか、ここまで多様性を大切にして、結果としてこうなっている、種として存続しているのである、という、戦略性から見ると、どのようなものでも生き延びさせておくことは正しい戦略であるので維持しよう、という話ではあるのだろうなあと、聞き齧りだけれども。


 今はかなり役に立たないような、お荷物であるような性質を持つ個体であったとしても、のちに役に立つかも知れないので、存続させよう、というただそれだけのことではあるのかなと、そこに感情やら、想像力やらが、働いて、今のシステムになっているということなのかな、とは思う。


 今更、どうして人を殺してはいけないのですか、と真面目に尋ねる人は、情報の入手を怠っているのではなかろうか?という疑問が浮かんでくるくらい、当たり前の話ではあり、また、明確な絶対的な正解はないという話でもあり。


 相対的なものであるということを、知っていれば、その答えを聞く行為があまり意味がないというか、趣味的なものでしかないことも、分かりそうではあるのではなかろうかとか、思うのであるけれども?


 時と場合と環境と状況と、そこに至るまでの経緯と歴史と、まあ文化とかが絡み合ってしまって、価値観が決定されている、絶対的なものではなく、相対的なものであるという、認識を前提として、理屈を構築することが大切なのかな?


 まあ、不具合が多すぎるので殺人は割に合わないことが多いでしょう。


 今日はここまで。

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